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 ブラッシングを開始して数分もしないうちに、申し出たことを心底から後悔した。毛量が多いせいで、すぐにブラシの歯が詰まるから面倒くさい。    柴本の全身を覆う毛は二重被毛と呼ばれるように、毛質の違う二種類の毛が生えている。  赤茶色でゴワゴワした感じのトップコートの下に、綿毛のようなアンダーコート。春になって温度が上がるにつれ、密に生えていたアンダーコートが抜け落ちるのが、今の惨状の原因だ。  10分経った辺りで疲れてきたのでブラシを置くと 「えー、もう終わり?」  心底不満そうな顔でこっちを向かれても困る。なんか飽きたと正直に申告したところ 「遊びじゃねーんだよ! しっかりやれよぉ!」  飛んでくるブーイングにイラッとする。うっせぇわ毛の生えた冷凍マグロめ! 腹いせに背中の毛に手を掛けて、一気にむしり取る。綿毛がごっそり抜けた。 「お゛っ゛♡」  隠し事のできない尻尾が、千切れそうなくらいぶんぶん揺れている。気持ちいいらしい。声まで出てるし。楽しくなって更にむしり取る。 「お゛ん゛っ゛♡」  すっごい抜ける。舞い飛んだ毛のせいで咳出ちゃう。テンション上がってきた。動画に撮ってやろうか? 「ら゛め゛♡ 社゛会゛的゛に゛♡ し゛ぬ゛♡」  おう分かってんじゃねーか。    この男は本当に器用で、わたしの情緒をかき乱すくらい他愛なくやってのける。このヤラシーヌ(やらしい犬)タラシーヌ(たらし犬)め、今まで何人にブラッシングやらせてきた? 「今゛ま゛て゛♡ 食゛へ゛た゛♡ パ゛ン゛の゛♡ オ゛っ゛♡ 数゛な゛ん゛て゛♡ お゛ッ゛♡ 覚゛え゛ち゛ゃ゛♡ い゛ね゛ぇ゛♡」  えい。もっとむしってやる。あ、ここの毛すっごい抜ける。ヤバい、くしゃみ止まらない。 「あ゛っ゛♡ そ゛こ゛っ゛♡ い゛い゛ン゛♡」 (――中略――)    念のため言っておくが、今やっているのは換毛期のブラッシングであり至って健全なのだ。本当だよ。  気付いたときには、柴本をもう一人作れそうな抜け毛の山が出来上がっていた。
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