夏色夏子

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自分の名前を嫌いとまではいかないけれど、至って平凡だなあとよく考えている。 姓は『保田』、名は『夏子』 名字はともかく、『夏子』なんて名前、今時は逆に珍しいかもしれない。 だから、自分の名前の由来を聞いてこいなんて課題を出された時、少し戸惑った。私は名前の通り、七月生まれの夏の時期に生まれた。 夏に生まれたから、『夏子』 そういう誰にでも考えつく理由で名前を付けられたとしか思えなかったのだ。 それでも何か、万が一もしかしたら深い理由があるかもしれないと、意を決して仏壇の前で手を合わせている父に聞いてみた。 「ちょっといい?」 「ん? どうした」 「課題。自分の名前の由来だって」 「夏子のか?」 「そう」 「由来……そうだなぁ」 「もしかして……夏に生まれたから、夏子?」 「うっ……」 言葉に詰まる父。どうやら、案の定図星のようだ。 「そんなことだろうと思ったけど、安直」 「ま、まあそうでもあるようなないような……」 「もっとさあ、捻りのある名前にしようと思わなかったの?」 「でもなあ、名付け親は母さんだし……」 「え?」 母親。仏壇に写っている、面識のない母親。お母さんは、私が生まれて間もなく亡くなった。 「お母さんなの? 名付け親」 「なんだ、意外か?」 「まあ……こういうのって、勝手に父親が名付けると思い込んでたから」 「どうだろうな。家族によって色々あると思うけど……」 父は仏壇の横にあるアルバムを開いて、昔を懐かしむように話し始めた。 「母さんの名前、『雪』と書いて『セツ』って読むだろ。それこそ母さんは、雪の日に生まれたから『雪』って名付けられたそうだ。ほら、これが子供の頃の母さん」 アルバムに貼られていたのは、麦わら帽子を深く被って、不機嫌そうにカメラに視線を向ける少女。他の写真も、笑顔より真顔だとか、少し不機嫌そうな写真が多い。 「母さんは、自分の名前が嫌いだったらしくてな。大人しくて、物静かでおまけに病弱。そんな所が名前と似るから嫌だったらしいが……ま、俺はそういう母さんの凛としてるところが好きだった」 「それで、そんな鬱々とした名前じゃなくて、生まれてくる子供にはハツラツとした名前を付けたかったんだと。お前の出産予定日が、夏頃になるとわかった頃から、もう決めてたらしい」 「だから……夏子?」 「そうだ。安直ではあるが、それなりに理由はある」 その理由に少し戸惑う。 「でも私、そんな明るくない」 クラスでも、特別何かをするほうではない。誰とでも、当たり障りなく。仲のいい友達と上手く付き合っていればいいとさえ思っている。 「お前は外見も中身も母さんに似たのかな。俺に似てるところも少しはあるが……でも大丈夫だ。名前負けしてない。夏子は夏子だ」 「そうかな……?」 「ああ……」 アルバムのページは次々と捲られた。やがて開いたのは、私の子供の頃の写真が貼られてるページだった。 幼稚園、小学生、中学生……旅行に行った時の写真もある。その写真は、お母さんのものよりは表情が豊かに思えた。 「夏子は覚えてないかもしれないけどな、雪がいなくなって、しばらく育児放棄してた時期があったんだ」 「え……!?」 「ごめんな。俺も許されないことをしたと思う。生まれてしばらくの夏子は、婆ちゃんに面倒見てもらってた。大体2年くらいだな」 「それは、お母さんが亡くなったから?」 「そうだ。元々母さんは身体が弱かったから。出産と同時に、身体が危険な状態になるかもしれないと説明はされてたんだ。それでも、せっかく授かった子供を諦める選択肢は俺達には無かった」 「でもな、最悪な想定が最悪に起こって……夏子と入れ替わるように雪がいなくなって……俺は、雪が大切だったから。生まれたばかりの夏子が大切じゃなかったわけじゃない。それでもあの時の俺は、雪が一番大切にしか思えなかった」 「葬式が終わって……季節が秋になって、雪の季節になって……暖かくなって、雪がいなくなって1年経っても……俺は毎日雪のことを考えていた」 「周りの人は心配してくれたけど、どうにも受け入れられなくて、仕事も上手くいかず、そんな状態がもう1年続いた。上手くいってない仕事を理由にお前を避けてもいた。いや、ほとんど婆ちゃんに任せっぱなしで、俺は何もしてなかった」 「雪がいなくなった悲しさは、季節が変わろうと毎日降り積もるばかりでさ、とうとう俺は自分で身動きが取れなくなった。中途半端なお前への責任も、自分自身を生かそうという責任も、いよいよ止まろうとしてた」 「そんな時だ。お前、夜泣きしてさ。いつもは、婆ちゃんがあやしてくれるんだけど、たまたまいない日だったかなんかで。俺が部屋まで行ってあやしたんだ」 「親になってから、まともに育児なんてしてこなかったから、どうすればいいかわからなかった。それでも、とりあえず抱っこして揺らしてみようかなって」 「で……その時お前を抱いたら……暖かったんだ。子供だから体温が高いのは当たり前だけど……今までが特に寒かったから……」 「その時、ただ漠然と、『この子は生きてるんだ』って思ったよ。生きてて、俺と雪の娘で、なんでちゃんと見てやれなかったんだって」 「お前が泣いてるのに、俺も泣き出しちまってさ……娘が泣いてんのに、目の前で泣く親がいるかって馬鹿馬鹿しくて……泣いて、笑って。悔しくて嬉しくて、滅茶苦茶だった」 「(ゆき)は、降り積もれば大切なものを埋めて隠してしまう。そして、一度埋まってしまったものを掘り返すのは困難だ。それでも、そんな(ゆき)の中、自分はここだ……って夏子が教えてくれてる気がして。俺は大切なものをもう一度見つけることができた」 「だから……ありがとうな。夏子。ありきたりだけど、ありふれてるけど、生まれてきてくれて」 「時々、雪が居たら……なんて思うこともあるけど、もう大丈夫だ」 「(ゆき)は、何時でも俺と共にあるが、大切なものを隠してしまうほどでは無い。夏子がいるからな。その暖かさと光を貰ったから、俺はもう自分を見失うことは無いだろう」 「だから……いつかお前も名字が変わる時が来るかもしれないが……名前くらいは大人しく墓まで持って行ってくれ。そうしてくれなきゃいよいよ俺もダメかもしれん」 私の知らない時間の、私の話。この短い時間に大切なお父さんに大切だったものがあって、私は二人に愛されていたことがわかって、すぐに言葉が出ないくらい気恥ずかしかった。 「……名前なんて、大層なことが無きゃ変えないし。ちゃんと墓まで持ってくよ……」 「……そうか」 「……結局、夏に生まれから夏子って、それ以上に書けるような気がしない」 「うっ、まあ長々と話はしたが……」 「ねえ、私にも子供ができたら、私が名前付けようかな」 「そういうのは気が早いって」 「秋だったら……秋、穂? 春だったら……なんだろ?」 「また夏か冬だったら?」 「あはは……そうだね……どうしようか……………」
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