きみだけを想っている

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きみだけを想っている

ひたむきさとは、正に彼の為にあるような言葉だと思う。 真っ直ぐで、一途で、時に心配になるくらいただ一身に。 大切なもののためならばどんな努力も、自分自身だって惜しまないというその姿勢は本当に心配になるけれど、羨ましくて眩しくて、そして泣きそうになる。 どうしてって。 その「大切なもの」というのが、他でもない俺だから。だそうだ。 出逢った時から俺に対しておかしかった彼は、時間をかけて俺の心に勝手に住み着いて、どんどんその範囲を広げていった。今考えればちょっと腹立たしい。 俺はそれに気づいていたときもあれば、気づいていなかったときもある。正直後者の方が圧倒的に多いだろう。 気づいていたとしても、信じられていなかったことの方が多いと思う。それも後々考えてみればなんと彼に対して失礼なことだったろうと思う。 それが俺の弱さで、だけどその弱さごと受け入れてくれていたのが彼だった。 こんなにも真っ直ぐに見つめ続けられていたら流石にもう否定もできないし逃げられもしないや。 いつかそう告げたら彼は一瞬だけ頬をほんのり朱に染めて、「そうでしょう」と得意げに笑った。 俺も、同じくらい返せたらいいのにとはいつも思っているけど、まだ十分の一も返せていないんじゃないかな。 そもそも何か借りている訳でもないのだし、「返す」という言葉は間違っているだろうか。じゃあ何て言えばいいんだ。 ………俺のあまり良くない頭ではやっぱりその言葉しか思い浮かばない。 彼がくれるもの、俺に向けてくれる想い。同じだけとは言わないけれどせめてもっと、俺が持っているものでお返しできたらなぁ。 どうせまた「十分だよ」って微笑うんだろうな。あのいつもと変わらない、ヘラヘラした顔で。 ポスンとソファーに寝転がると、別に真剣に観ている訳でもないテレビの音と、カチコチと秒針が進む音がやけに大きく聞こえた。 まだ、帰ると言っていた時間には程遠い。気がする。 読んでいた本の内容も頭に入ってこない。ただその本にふと「ひたむき」だなんて言葉を見つけてしまってから、頭の中を別のことが占めるようになってしまった。 集中できなくなって、流れる時間がさっきよりずうっとゆっくりになった気がして、ぼうっと天井を眺めた。 初めはそんなことなかったのに。 たった一週間、一日、半日、一時間。彼が隣に居ないというだけでこんなにも時間の流れ方が変わるなんて知らなかった。 俺は知らなかったけれど、あいつは知っているんだろうか。 …知って、いたんだろうか。 いつからって訊いたら、初めて出逢った時からずっとって答えられて戸惑ったことがあったな。 俺は高校の体育の時かなと思ったんだけど、よく訊いたらそうじゃないって。中学生の時だよって言われた時は驚いた。 だって俺は、覚えていない。なのに向こうだけ一方的に知っていて、高校で近づいて、それから、それから…。 ずるいよ。俺だって中学の頃のお前を知っていたかったって、何度思ったことか。 いやそもそも、覚えていなかった俺が悪いんだろうか。…そんな無茶な。 ごろりと寝返りを打つ。ぼうっと玄関へ続くドアに視線が向くが、誰の影ももちろん落ちることはない。 まさかこんなになるなんて。あの野郎。おかしいと思ってた奴に俺もおかしくされた。腹立つ。 「………まだかな」 スマホを見ても連絡なんてある訳ないし、今日は用事でスマホすぐ見られないかもって言ってたし、というか一緒に住んでんだから夜になれば嫌でも会えるし。 …嫌なら一緒に住んでないし。 もう一度寝返りを打って仰向けになると、今はひとりきりの部屋で「はああぁぁぁっ」と大きい大きい溜め息を吐いた。 どうせ誰に聞かれている訳でもないんだから、今くらい素直になる練習をしてみてもいいんじゃないか。 せめて、奴を前にしても赤面せずに言えるくらいに、独り言で言ってみてもいいんじゃないか、なんて。 そうして数拍置いてから、開けるのも億劫になっていた唇を薄く開けた。 本当に、本当に俺自身にも聞こえるかどうかの声量だったと思う。 「…さびしい。はやく、帰ってきて」 ………。 んんんー。 言ってから、自分で恥ずかしくなって赤面した。恥ずかしい。何コレ、なに、コレ!! ひとりだからこそ本音な感じが出るというか、センチメンタルというか、何というか、恥ずかしい!! 誰にも聞かれていなくて良かった…。実はもう帰って来てましたーみたいな感じで聞かれていないよな…?なんて疑いながら玄関の方を見るもその心配は無さそうでほっとする。 いや、独り言でもって言ったのは俺だけどさ…。 ふうっと一仕事終えたようにまた小さく息を吐くと、今度はゆっくり目を閉じた。テレビは、観ないときは消すんだっけ。 でも今は無音が嫌だから、カチコチと響く秒針の音がゆっくりに聞こえてくるのも嫌だから、つけたままでぼうっとした。 それから何分経っただろう。鍵を開ける音にハッと目を開き、慌てたように玄関から近づく気配に微睡んでいた意識が覚醒した。 時計を見ると一時間も経っていなかったが、まだ帰ってくるには早すぎる時間だ。忘れ物でもしたのかな。 ソファーから身体を起こすのとほぼ同時に、ドアが開いて彼が帰ってきた。 本当に急いで帰ってきたのか、明るい茶色の髪はやや乱れ、珍しく息を切らしている。だけどあの瞳は、俺だけを映して潤んでいた。そんなに寒かったのかな。 帰ってくるやいなや彼は荷物を雑にその辺に置いて、上着も適当に投げ捨てるとソファーに座ってぽかんとしたままの俺に近寄り、ぎゅうと抱き締めた。 意味が分からなくて混乱する。まだ一言も話してない。 何かあったんだろうかと心配するが、ぐりぐりと首筋に擦り寄せられる髪が擽ったくて、大きな犬みたいで微笑ましくも思ってしまって。俺はそれを、宥めるように撫でてやった。 暫くしてからやっと呼吸が落ち着いたらしい彼は、ようやく顔を上げる。相変わらず髪がボサボサでも格好良いことだ。 「おかえり」 「…ただいま」 目が合うと、さっきまでの焦燥っぷりが嘘のように穏やかな雰囲気に戻っていた。 「どうした?帰ってくるのまだのはずだろ。何かあった?」 「いや、その、用事が…思ってたより早く終わって。はやく、帰りたくて」 そんなに疲れてたのかな。でも、そこまで急いで帰ってくるなんて。 嬉しいけど、素直に喜んでいいのか分からない。そうして何かを読み取ったのか、彼はちゅっと俺の瞼に口づけた。 「んっ、本当に何もなかった?」 「んー。まぁ、うん。でも何か、おれの恋人が寂しがってるような気がして…?」 「何をふざけたことを」 「いてっ」 綺麗なおでこにほんのり赤い痕が残るが、そこまで力は入れていないのですぐに消えるだろうと思う。 …俺の首筋にある痕とは違って。 それにしても、俺の独り言を聞き取ったような速度で帰ってきたな。すごい偶然だけど、偶然かな。 「なぁ、お前さぁ…」 「なんでしょう?口にもしていい?」 「いや、何か今はダメ」 「なんでっ!早く帰ってきたのに!!」 「いや何か…ちょっとムカつくから、ダメ」 「えぇ…」 「こんなに早く帰ってくると思わなくて、まだ何の用意もしてないんだよ、晩ご飯」 「おれが作るよ?」 「いや、今日は俺が当番なので」 「律儀…すき…。じゃあ一緒に作ろう」 「何にしようかな…鍋かな」 「あのさ、口にしても…」 「ダメ」 「えぇー」 変に言いつけは守るくせに、頬に瞼にと落としてくる感触は止まなかったのでぐいと腕を伸ばして引き離した。 めちゃくちゃに不満そうな顔をされたが、これではキリがないのでとりあえずポフッと撫でやすい位置にあった頭を撫でると一瞬で大人しくなる。 これはほんのつい最近心得た俺の密かな裏技であった。成功率は夜は低めだが。 やがて大人しく正座しながら、ソファーに座る俺を見上げる形でヘンタイが口を開く。 「ねぇ、褒めてくんないの?」 「なにを?」 「おれ、早く帰ってきました」 「うん?」 「だから、ご褒美など」 「なんの?」 「ううん…手強いな」 「疲れてんのか?寝る?」 「膝枕だ!!」 「うわっ!ちょっと!」 年々遠慮というものが…いやそもそもそんなに持ち合わせていなかったのかもしれないが…なくなってきたこのヘンタイには辟易することもあるが、大人しく受け入れる俺も相当に染められていってると思う。 またちょっと腹が立ってきたな。お腹空いてんのかな。 でも断りもなく膝に頭を乗せてきたこいつのせいで身動きが取れなくなってしまった。 腹いせに猫っ毛をこれでもかと撫で回し、更にボサボサにしてやった。嬉しそうな笑い声が小さく響いて、部屋が一気に明るくなった気がする。照明の明るさは変えていないはずなんだけどな。変なの。 …変なの。 「なぁ、一織。お前もしかして…聞いてた?」 「優臣くんのお膝は気持ちいいねえ」 「振り落としていーい?」 「よし、しがみつこう」 きゅっと上半身に回された腕はそんなに締めつけていないはずなのに、やけに力強かった。 というか訊きたかったこと、はぐらかされた気がする。この野郎。 「あとちょっとだけだかんな」 「んー、すき…あと数時間…いや数日…?」 「意思疎通って知ってる?」 「………ただいま」 「ん。おかえり」 さびしかった。ただその一言を言えたら、今度は直接言えたら喜ぶかなぁなんて。 そうっと近づけた耳元にぽそりと呟くと、その耳が一瞬真っ赤に染まったのが分かって笑ってしまった。 時計の音が控えめに響く。テレビの音も小さくなった気がして代わりに、膝で目を閉じるこいつの息遣いと、俺の漏れるような笑い声が部屋を満たしていった。 ふむ………。 ついっと一房強めに引っ張ると、彼が寝返りを打って仰向けになる。 薄く開いた瞳にちらりと視線を送ってから、少し屈んだ。 顔を離すと、またほんの少し赤くなってから花が綻ぶような笑顔が広がった。 「今…!」 「別に。ご褒美終了」 「では今度はおれから…」 「お腹空いた。用意しよう」 「照れてるな」 「うるさい。まず手を洗ってきなさい」 「はぁい。ふふっ」 「そこ、笑ったら晩ご飯抜きですよ」 「さっき自分だって笑ってたくせに」 くそう…。俺も、髪もうちょっと伸ばそうかな。 そうしたら耳まで真っ赤になってもちょっとはバレにくくなるかもしれないな。 全く、あれを「ひたむき」と呼んでいいのか今は謎だが、真っ直ぐすぎるのも考えものである。
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