エピローグ

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エピローグ

「信じられない。」 「いや、さつきだって言わなかったでしょ。」 「それは、あれやこれやで忙しくって。でも最初に伝えたかったのに。」 枕に顔を埋める。 その少し前、プロポーズの後、私たちはワインを開け牛肉の煮込みを食べて今夜のことに話が至った。 「え、一緒に?」 「当たり前でしょうが。俺たち婚約したんですよ?」 「あ、ちょっと―」 「なに照れてるんです?顔、赤いですよ。」 「だってまだ全然婚約って言葉、慣れないんだもん。」 「だもん、って。さつきサン、プロポーズお受けしますって言ってくれたじゃないですか。」 「そりゃそうだけど、大地は慣れてるかもしれないけど、私は慣れてないんだって。」 「はあ?むしろ俺は初めてですけど、さつきサンは二回目じゃないですか、プロポーズ。」 「う、うう。それ今言う?」 「…ごめん。でもベッドは一緒でしょ。」 「照れちゃうの。」 「照れないで。っていうか、大丈夫、今日は一緒に寝るだけだから、純粋に。」 「えっ?」 何が‟大丈夫“なの?この人。 「今月東京に行った時、改めて小笠原家に挨拶に行かせて。それでその後、ホテルに一緒に泊まって。」 「は、え?なに今月って。大地、東京に来るの?」 そして冒頭の会話になったわけである。 「神崎先生から連絡があったんだよ、一週間前くらいに。J大で糖尿病・内分泌(大地はさすが正式名称を言った)内科を作るから帰って来いって。」 「ええーっ?あのたぬき、私には言ったの、金曜日だよ?それも定例カンファの後に。しかも副部長承諾が引き換え条件みたいにして。」 「すごいじゃん、さつき、副部長?」 「え?いや、うん、それはまあいいんだけど。それよりよ、それより。さも私には最初に伝えましたって顔してたくせに。」 「さすが神崎先生。」 大地が感心したように頷いているから余計に腹が立った。 「感心してないでよ。」 「いやあ、俺もあれくらい腹の底が見えない男になりたいなあ。」 青空のようなあなたが何を仰る。 「無理だよ、大地は。正反対だもの。あれは伏魔殿をしきる大妖魔。」 恨みがこもり過ぎて歯ぎしりした。 「でもさ、きっとさつきのスケジュール込みで金曜に言ったんじゃないかな、部長。」 「え?」 「そうしたらさつきがすぐ飛んで来られるように。土日オフだから。」 うーん、あのたぬきならやりかねないか。端正な顔でニッコリする姿がくっきりと浮かんだ。 「部長はきっとずっとさつきを心配してたんだよ。こんなに痩せちゃって元気もなくなってるのを見ててさ。」 「う…ん、まあね。確かにあの人は良く見てる。視野が広いくせに細かい。だけどさ、私が一番に伝えたかったんだって。それでおめでとうって、大地が頑張ったからだよ、って言いたかったのっ。」 大地の手でそっと頬がくるまれる。目と鼻の先に大地の顔がある。こんな至近距離でそう優しく甘く微笑まれては、うっとりする以外なくなってしまう。 「有難う、来てくれて。」 瞳に吸い込まれるようにギュッと抱きつくと腰に手が回される。 「待ってる。どれくらいかかっても絶対に待ってる。」 途端に楽しそうな顔になって、 「浦島太郎じゃないんだから。今月挨拶に行った後、6月からJ大復帰だよ。」 と言う。この顔だ。私の大好きな陽気な明るい顔。金色の太陽のような。嬉しくて嬉しくて大地の唇に自分の唇を重ねる。 「おっと。」 とおどけるから笑ってしまった。笑いながらのキスはとても心が温まって、四月からのひび割れた心があっという間に潤っていく。 「このKDMだって多分部長の差し金だったし。」 キスの合間に差し挟まれる言葉にギョッとして、顔をちょっと反らした途端に、唇が吸い付いてくる。ゆったりとしているのに深い。 「ま、待って、待って。差し金って?」 ようやく唇を離せば、 「だってこっちの院長ともサッサと話がつくって、どう考えても変じゃないか?何なら四月からお帰り下さいだって。第一、せっかく来たのにマネージメントの仕事ばっかりさせられて、何かおかしいとは思ってたんだよな。」 眉間にちょっと皺を寄せている。そんな表情にも身体が熱くなるなんて、ほんと私はどうかしている。 たまらず大地のおでこにキスをした。 「ん?」 この状況で上目遣いだなんて。たまらず顔中にそっとキスを落とす。ようやく唇に触れようとした時、身体が反転して、熱を宿した黒い瞳に見下ろされていた。初めて見る炎のような瞳だった。  「無理なんだって。」 「うん?」 「東京で、って。そう言ったよな?」 「え?う、ん…」 怒らせてしまったのかと思えば、焦らす様に親指が頬を撫で始める。大地は本当に触れ方を知っている。いつだってどこだってその指が触れたところは発火するし、心は陶然としてしまう。だから首に腕を回して抱き寄せてしまう。 「さつき、だから…」 柔らかな唇も塞いでしまう。だってもうずっとキスしていたい。生まれたての“素直な自分”を味わっていたい。大地の決意がどうであれ。 この人さえいれば私は人生の最期に微笑んで死ねる。 大地、あなたを愛しています。 ー終ー
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