3.St. Valentine's Day

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「さつきサン、一人ですか?友だちは?」 高二の夏祭りに、中学時代からの友だち二人と待ち合わせをしていた私を見つけて声をかけてくれた。友だちが、絶対ね、というので着て来た浴衣を見られたのが恥ずかしくて、確かあの時も私はただ首を横に振っただけだった。 「そう、ですか。俺も待ち合わせなんですけど皆まだみたいなんで、良かったらちょっと回ります?」 さっぱりとしたグレーのTシャツにジーンズ姿で見下ろされて心臓が早くなった。いつのまにこんなに‟男子”になったんだろう。家族同士の年始回りで顔を見かける時は、大抵上郡家か医院でだったから、当たり前だけど大地は上郡家の一員としてリラックスした顔を覗かせていた。空と一緒に、小さな頃から知っている上郡兄弟の弟として。なのに、外で見る大地は全然違った。まだ中二のくせに身長だって私よりずっと高くなったし(私だってバレーをやってるくらいだから170あるのに)、ひょろりとした身体だってひ弱さのかけらもない鍛えられているものになっている。見下ろされているだけなのに守られているような気にさえなってしまう。 「う…ん。」 赤くなりかかってるに違いない顔を見られたくなくて、俯きながら返事をした。ただでさえ着慣れない浴衣のせいで自分の身体とも思えないほどぎくしゃくとしか動けないのに。大地を意識すればするほど転びそうになる。全身に汗が滲み始め会話もままならない。こんな私といたって面白くとも何ともないよね、ドンくさいし。何で声なんかかけちゃったんだろうって後悔してるかもなあ。勝手にみじめになっていた。でも今振り返って見るとあの時の大地はいつものように楽し気で、ヨロヨロしている私のことも当たり前のように気遣ってくれていた。大地は、幼稚園の先生でさえそのジェントルマンぶりに目を細めたという逸話のまま、成長していた。 「あんず飴ありますよ?食べます?」 指さされた方を見ると、ぼってりとした水あめがフルーツを包んで光っている。 「美味しそう。」 思わず吐息をついた。 「俺、買ってきましょうか?みかんかな。」 驚いて顔を見上げると、 「そんなにびっくりしなくても…俺もみかんが一番好きなんで。」 とちょっと照れていた。 ああ何だかな。胸にすとんと落ちる気持ちを抱えて、その後ろ姿を見つめた。大地は大地でいるだけで人を惹きつける。その後何百回も胸の内で繰り返すことになるフレーズを、そっと口にしたのは、確かこの時が初めてだった。 「はい、どうぞ。」 透明な光に閉じ込められたようなあんず飴を渡され、 「有難う。」 とようやく言うことが出来た。あんず飴に早速歯を立てると、冷たくて硬くてでもとろりともしていて甘酸っぱい全てが口に広がった。 「ああ、縁日に来たって感じがする。」 思わず言うと、 「ですね。俺もよく食いますよ、これ。」 濡れたような唇が微笑んだ。 見惚れてたことに気付いたのは、 「もしかして俺何かついてます?やべえ、水あめとか?」 と大地がゴシゴシ口元をこすり始めたからだ。 「あ、ううん、違うよ?何もついてない、大丈夫。」 そう言うとようやくこするのを止めた大地が、 「向こうの方も見てみます?何か楽しそうですよ。」 と水あめの棒を明るくキラキラした屋台群の方へと振っている。 「落ちるよっ。」 慌てて手を差し出したのと、大地が棒をくわえたのとが同時だった。軽く当たった顎の感触に掌がしびれた気がした。 「ふみまへん。」 なのに水あめでもごもごした声を聞いた途端に笑えてしまった。掌はまだじんじんするのに。今日二回目の照れくさそうな顔を向けられる。どきりとしたまま速足になった。手あたり次第に屋台を覗く。でもその中の一つの屋台で足が止まった。 「あ、可愛い。」 ぷっくりとした銀色の猫の鈴を見つけて思わず声を上げる。 「どれ?」 隣に顔が覗いてまた心臓が苦しくなった。辛い、大地の横にいるのは。身が持たない。だから私は頑なに下を向いて鈴のキーホルダーを指さした。 「ああ、確かに。」 そう言って長い指がすいっと持ち上げたキーホルダーは、屋台のオレンジ色の光に照らされて世界で一番素敵なものに見えた。 「これ、下さい。」 気付けばそのまま大地が店番のおじさんに告げていた。 「えっ。」 止める間もなくさっさとお金を払っていた。 「はい、どうぞ。」 さっきじんじんした掌にそっと載せられる。つややかで丸々とした銀色の。 「あ、有難う。」 そう言うのが精一杯だった。大地にしてみれば、女子にプレゼントなんて当たり前のことに違いないけれど、私にとっては男子からの最初のプレゼントだった。 あの夜、ようやく合流した友人たちに何度もどうしたのと訊かれるくらい、私はぼうっとしていた。あまりに心の中で気持ちが急激に大きくなっていくのに怯えていた。よりによって大地なんて。学校全体をフィーバーに(今考えてみればfeverのことなんだと妙に納得する)巻き込む、あの大地だなんて。身の程を知らないにもほどがある。私なんて部活以外では目立ちようがない。その部活だって単に背が高くてアタッカーというくらいで。見た目なんて誰の印象にも残らない。性格だって特に明るくも社交的でもない。成績にしたって中ぐらい。平平凡凡だ。なのに何であんな人を好きになってしまったのだろう。勇気もないくせに勝手に想いなんて募らせて、バカじゃないの。
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