命の連鎖

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奈々子が失踪して三ヶ月が経とうとしていた。 僕は大学の中庭のベンチに腰をかけ、ホットコーヒーを口に運ぶ。 冷えきった心の奥に、あたたかな苦みが沁みて痛みを安らげてくれた。 大好きだった笑みが冬空に溶けていく・・・・・・。 奈々子は僕の恋人だった。 最近うちの大学では、生徒が失踪する謎の事件が起きている。不思議なことに、男女関係なく失踪するのだが、男は見つかるが女は見つからない。そして、見つかった男たちはすべて、失踪に関しての記憶を失っているのだ。友達の貴弘も失踪した一人だが、何度聞いてもその記憶だけが欠如している。奈々子の失踪に関しての情報は、未だ分からない。 それでも無情に時だけは過ぎていく。スマホの待ち受け画面を見つめた。そこには相変わらず、可愛らしい笑顔が咲いている。 「どうか無事に戻って来てほしい」 それだけを心の奥で祈りながら、僕は部室がある建物へと向かって歩き出した。 *** 「あら、木下君。今日部活おやすみなのに」 フラスコや試験管を運びながら、真野先生が不思議そうに尋ねる。 「家で一人でいるより、部活に来ている方がいいんです」 「例の彼女、えっと・・・・・・柏木奈々子さん? まだ見つからないの?」 「はい・・・・・・」 「あ、そういえば、この前木下君が植えてくれたトマト。とても元気に育っているのよ。見てみる?」 「はい!」 真野先生がガラス張りの部屋のドアノブをひねると、少し薄暗い部屋には個室に分かれた小さな部屋がある。そこには野菜が育ててある。日光を浴びているのではない。青や赤のLEDを浴びているのだ。ここの研究室では、LEDの光で野菜を育てている。そして、僕はLED研究部に所属をしている。LEDの研究はとても面白い。LEDの色によって野菜の育ち方も違うし、味にも違いが出てくるのだ。 真野先生が壁にあるボタンを押すと、ガーッと高いところから一つの部屋が下りてくる。そこには僕が育てたトマトがある。先生は細い指でその赤い実をもぎ取る。それを僕に渡すと、自分の分の実を口に放り込んだ。 ブチュッと弾けとんだ赤い汁が、先生の真っ赤なルージュと混じり合う。 僕も口に入れ混む。口内に広がるびっくりするほどの甘み。 「甘い!」 「でしょう? 青と赤の両方の光を浴びると、驚くほど甘く育つのよ」 「不思議ですよね・・・・・・日光を浴びているわけではないのに」 「そうね」 先生は、唇からあふれ出した赤い果汁を手の甲で拭うと、真っ赤な口元を薄く開く。 「さあ、お茶の時間にしましょう」 先生が準備してる間に、僕はさっきの野菜の部屋をガラス越しから眺める。青や赤のLEDで仕切られた一つ一つの部屋。2050年には本当に田や畑がなくなり、こういう部屋で野菜を育てるようになるのかもしれない。そんなことを思っていると、背後にマグカップを置く音が聞こえ振り返る。 「2050年の大学入試にもLED野菜の問題が出てくるかもね!さあ、コーヒーをいただきましょう」 真野先生が妖艶に微笑んだ。 ・・・・・・ん? 何か頭がくらくらする・・・・・・ あれっ? 僕、何してたんだっけ? えっと、真野先生と研究室にいて・・・・・・ それで、コーヒーを飲んだらマグカップを落として・・・・・・ 床に倒れ込んで、それで? 「木下君、おはよう」 耳の近くで真野先生の声が響く。 バッと目を開くと、飛び込んできた真っ白な光。眩しくて思わず目を細める。 背中に感じるひんやりした固い感触。寒くて身震いが起きる。動けない。 腕はバンザイをさせられた状態で固定されている。恐る恐る首を動かし、自分の体を見た。パンツ一枚の裸姿。足は少し開いた状態で固定されている。 何が起きているのか、全く分からない。 「先生!なんですか、これっ?!」 「ごめんなさいね、木下君。私の研究につきあわせちゃって」 先生は右手に透明な注射器を握りしめて、ふふふ、と笑う。 「け、研究?」 「これを見て」 先生が指を差したところには、小さな冷蔵庫みたいなものがある。それを開けると、そこにはたくさんの試験管が入っていた。先生はその一つを大事そうに摘まむと、僕の方に見せた。中には濁った液体が入っている。そのラベルを見て驚愕する。 そこには、失踪していた友達の貴弘の名前が書いてある。 「こ、これは、なんですか?」 「精子よ」 「せ、精子?」 「私はここで命の研究をしているの」 「命の研究?」 「こっちは卵子よ」 「私の」 「えっ? 先生の?」 左手に持っている別の試験管にも液体が入っている。 精子と卵子? 命の研究? 意味が分からない。 僕は体を左右に動かし、じたばたした。 「あなたはとっても頭がいいし、運動神経もいい。そして顔もいい。きっと素晴らしい胎児が完成すると思うのよ。今までで一番の」 「胎児?」 冷蔵庫を閉めた先生は、座り込んで僕の顔を覗き込む。白い指先が、鼻の輪郭を上から下になぞっていく。ぞぞぞっと背中に怖気が立つ。 その指は顎と首筋を通ると、胸板を通り過ぎおへそ辺りでピタッと止まる。 「あなたの精子をいただくわ」 全身に鳥肌が立ち、額から脂汗が噴き出す。 僕は全身を動かし抵抗をする。 「先生!ど、どうしてしてこんなこと!た、胎児を作ってどうするんですか?!」 「あなたには特別に教えてあげるわ」 先生は立ち上がると、注射器を机に置き、椅子に腰をかけてため息を一回。悲しげな瞳を浮かべたまま、真っ赤な唇を静かに開いた。 「私は若くして結婚したわ。素敵な夫だったし、普通に子供を産んで幸せな家庭を築けるんだって思ってた。でも・・・・・・妊娠をしても流産を繰り返したの。もしかしたら、どちらかに問題があるんじゃないかって私と夫の体を調べたわ。そうしたら、私の子宮に問題があることが分かったの。赤ちゃんが育たない子宮だった。夫はそのことが分かった途端、私を避けて他に女を作った。夫も姑も『役立たずな嫁』だと私をひどく罵倒したわ。結局、離婚した私は精神的に弱ってしまい、生きる気力も無くし自殺も考えた。だって、この先赤ちゃんの産めない私と誰が結婚してくれる? だから私は考えたの。自分の卵子を冷凍保存して、若い精子と受精させて胎児を作ろうって」 先生の目は血走っているが、希望に満ち溢れてキラキラしている。 「でもそれじゃあ、赤ちゃんを産むことは不可能なのでは?」 「そうね、私の子宮で育てるのは無理ね。だから、若い子宮で育ててもらうことにしたの」 先生はそう言うと、壁面にある赤色のボタン を押す。さっきのガラス面の向かいのカーテンが、ガーッと左から右へと開いていく。闇のように黒いカーテンが開く。全部開くと、またガラス張りの部屋が現れた。そこには四角い水槽がたくさん並んでいる。 水中にぶらさがっているのは、薄ピンク色の大きな風船? いや違う。肌色の大きな袋。それは一つ一つ大きさが違う。 ドクン、ドクン、と鼓動を打っている? 「かわいいでしょう? あれは私のかわいい赤ちゃんたちよ。若い女からえぐり取った子宮たちよ。私の卵子と採取した精子で受精卵を作り、それを子宮内に着床させる。そして妊娠させる。それで、あのカプセルの中で大きくなるまで成長させるの。普通の妊娠の約三分の一、三ヶ月で出産を迎えるのよ!」 先生はガラス越しから愛しそうに、その子宮たちを見つめる。 全身からあふれ出す冷や汗は止まらない。 自分の赤ちゃんを作るために若い男から精子を採取し、若い女の子宮をえぐり取って自分の卵子と妊娠させる? しかも三ヶ月で出産できる? その執念がおぞましすぎる・・・・・・まさか先生が、こんな研究をしていたなんて。 「子宮に当てているライト分かる? LEDよ!しかも青と赤。その二色を当てると通常より早く胎児が成長することが分かったのよ」 僕は冷たい手術台の上から、透明なカプセルの中にゆらゆらと浮かぶ子宮たちを眺める。五体はあるだろう。確か行方不明の女子生徒は五人だ。僕の瞳から涙がぶわっと滲んだ。 あの中に奈々子がいるの? 奈々子の子宮があるの? 間違いならいい。 「あ、一つの子宮が出産するようね。ちょっと待っていて」 先生は嬉しそうな笑みを浮かべると、急いでその部屋の中へ入る。一つの子宮の前に行くと、下にある装置を操作している。すると子宮の真下にある穴が大きく開いていく。その穴から赤黒い塊が、にょろにょろと飛び出した。それは大きなレバーみたいだ。水の色が赤黒く染まっていく。カプセルの上からその塊を取り出した先生は、急いで近くにあった洗面台に連れて行く。 ジャージャージャー 水の流れる音がする。先生は愛しそうに、洗い終えた胎児を胸に抱えている。ガラス越しにその生まれたての胎児を見せた。本物の赤ちゃんに見えるが、なんか色味が茶褐色で気味が悪い。 ほ、本当に産まれた・・・・・・ 僕の顔は鼻水と涙でぐちゃぐちゃだ・・・・・・ 先生は赤ちゃんを抱っこしてこっちの部屋へやってきた。 「とってもかわいいでしょう? 私の赤ちゃん。おめでとう!今日があなたの誕生日よ!」 先生は違うドアの前に行き、ドアノブをひねる。そこには『育児ルーム』のネームプレートが。その部屋へ入ると、突如先生の叫び声が聞こえてきた。 「あ、あなた、何してるの?」 「私の赤ちゃんに何てことを!!」 「やっぱりあなたは失敗作だったのね!さあ、そんなもの今すぐに離すのよ!」 「きゃあああああああーーーー!!!!!」 ドサッと何かが倒れた音がする。 先生の断末魔が響きわたると、ギィッとその部屋のドアが開く。 ひたひたと迫ってくる小さな足音。 僕は速く高鳴る鼓動の中、首を左にもたげる。 そこには、小さな少女が立っている。 血の滴るナイフを握りしめて。 ニタッと不気味な笑みを浮かべる少女。 その笑顔は 大好きな奈々子に似ていた・・・・・・。 【完】
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