ため息をつきたくなる美しさ。『スワン―アンナ・パブロワのゆめ』

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ため息をつきたくなる美しさ。『スワン―アンナ・パブロワのゆめ』

 今回は、伝記ものの絵本について語ります。  二十年くらい前までは子供向けの伝記と言えば、日本の大手出版社の伝記シリーズの文章版と漫画版が主だったと思います。  絵本と言う形態ではあまり見かけた覚えがなく、しかも男性ばかりを紹介し、女性ならヘレンケラーとナイチンゲールとキュリー夫人程度。  それでも子どもの頃はざっと制覇したけれど、どこか窮屈に感じほぼ流し読みで終了しました。  大人の意図が見え隠れしているように思えたというか。  しかし実際に大人になってからそのころの伝記をめくってみると、偉人の欠点を覆い隠してむやみやたらに褒めたたえているわけではなく、どのようなことも意外としっかり記述されていて、筆者と出版社の誠実さを感じます。  栄光にたどり着くまで色々経験することはあるし、また、栄光を勝ち取ったからと言って完璧な人間ではない。  子どもの頃の私は、文章の端々に散らされた教えをくみ取る能力はありませんでしたが。  数年前、図書館の仕事をしていたころに時々尋ねられたのは、「伝記の絵本はないか」でした。  こどもの本の伝記コーナーに並べられている本はどれも分厚く、低年齢の子どもには難易度が高いため、短時間で理解できるものを求められていたのです。  漫画を進めてみたものの、それは無理だと首を振られました。  ここで初めて知ったのは、漫画は誰にでも読めるわけではないのだと言うこと。  そして、右からコマを順に追って絵と文章を自分の中に取り込み理解することは、漫画初体験の人にはハードルが高く、意外と技術と慣れが必要なのだということを。  そういえば、私の両親も父は漫画が好きで本棚にいくつか所蔵していましたが、母は全く興味を示さず、少女漫画を手渡してみると全く読めなかったことがあったのを思い出し、世の中には漫画が読めない人がいるのだ!と思う出したのです。  幼いころから漫画がそばにあった私にとって、この件は、『ウォーター!!』と天を仰ぐくらい、衝撃でした。  そして、昭和のころに描かれた学習漫画はコマ割りが細かすぎて、挫折する小学生がいる事にも気づきました。  普段の生活の中に、漫画との関わりがないと答えた子もいたので、おそらくご両親の生活スタイルがそうなのでしょう。  インドアだろうがアウトドアだろうがジャンプ漫画くらいは子供の必修だろうと思い込んでいた私としては、本当に驚きで。  平成後半から出版されている学習漫画のコマ割りが大きくなったのは、おそらくそのあたりにあるのだなと思います。  とはいえコロナの流行により自宅で過ごすことが多くなり、スマホやタブレット端末をなんとなく手にすることが多くなったこの数年で、漫画と小説を読む人が少し増えたのではないかと予想しています。  そして、いち早くスマホで読むスタイルを始めた韓国のフルカラー縦読み漫画が日本にもじわじわと確実に浸透してきているような気がします。  このような潮目のようなものが、絵本にも出始めました。  海外で出版された絵本の中にだんだんと伝記絵本が目につくようになってきたのです。  文章は極めてシンプルに。  そして、その人の為したことをきちんと伝える。  さらには、誰もが手に取り、開いてみたくなる絵を組み合わせていて、なかなか好評なのか次々と出版されています。  しかも、取り上げられる人物も誰もが知っている人から、『え、これを作り出したのはこういう人だったのか』と新たな発見を抱かせる人へと。  読む人の見識の開拓をしてくれる、そんな絵本が増えたと思います。  まずは、表紙の絵の美しさから人の目を惹き、  次に、手に取って中表紙を開き伝記だと気づいた時にもしも知らない人物ならば、  この人はどういう人なのだろう、  何をした人なのだろうと好奇心を抱かせ、  優しい文章で主題へ導いてくれる。  読み終えた時に、今は亡きひとりの人が為したことが心に残ることでしょう。  まったく伝記の絵本がなかったわけではないのですが、やはりこれも男性を主題にした作品が多かった気がします。  しかし今、多く出版されてきているのは、女性の偉人です。  バレリーナ、デザイナー、プログラミング……。  一部の人には良く知られていて、興味がなければそうでもない女性の名前。  彼女たちが女性として生まれ、社会的な境遇に押しつぶされそうになりながらも自分の信念を貫き、自分だけの花を咲かせたことを、色々な人に知ってもらうための入り口がこの伝記絵本なのだと思います。  それらを踏まえてまず紹介するのは、とても綺麗な伝記絵本『スワン アンナ・パブロワのゆめ』です。  『スワン―アンナ・パブロワのゆめ』   文: ローレル・スナイダー   絵: ジュリー・モースタッド   訳: 石津 ちひろ   出版社: BL出版  軽やかに舞う少女と濃い灰色の背景の対比そして流れる題字と、デザインだけでも大変美しい表紙です。  手に取ってよくよく見ると、羽の部分が螺鈿のように光る仕掛けになっていました。  今は印刷でこういう加工も可能なのですね。  あらすじは以下の通りです。  アンナ・パブロワはロシアの貧しい家庭に生まれ、母親が連れて行ってくれたサンクトペテルブルグのマリインスキー劇場で初めてバレエを観ました。あまりの美しさに夢見心地になったアンナは、寝ても覚めても踊りのことばかり考えます。  アンナ・パブロワは、生まれや育ちそして体形とバレエを習うにはいろいろ不利な条件を抱えていました。しかしバレリーナになる夢のために努力し、勝ち得た人です。  そして、当時は富裕層の娯楽であったバレエ鑑賞を世界各国の様々な人々に見せるために尽力したのです。  踊って、踊り続けて、やがて迎える死。  『どんな一日にも、おわりを むかえます。   どんな鳥も、いつかは とべなくなります。   どんな羽も、さいごは ふわり ふわりと 舞いおちていくのです。』                (『スワン―アンナ・パブロワのゆめ』より)  この絵本は、単純に実在の人物の足跡をなぞって紹介する話ではありません。  生きるということについて、そっと静かに語りかけてくれる、そんな気がします。  シンプルで優しい文章を紡いだローレル・スナイダーと、羽ばたきを感じさせる綺麗な挿絵で仕上げたジェリー・モースタッドの作った、宝石のような絵本。  ぜひ手に取って、開いて、ゆるりと眺めてみてください。  あなたにも、新しい世界が訪れることでしょう。
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