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夕食は、室内でダイニングテーブルを囲んだ。メニューは、サラダ、鱸のムニエル、コンソメスープ、ライス。もちろん彩矢の手料理なのだが、いただきますをして、すぐにスープを口にした優希と蓮の手が止まる。
「どうしたんだ」
「……まずい」
蓮が無遠慮に言った。信次は気遣わしげに彩矢を一瞥する。彩矢は手を止めて、無感情に見開いた眼で蓮を見ている。
「蓮、お母さんが、せっかく作ってくれたんだ。そういうことを言うな」
「だって、まずいもんはまずい」
彩矢の料理に文句をつけたことがない優希も、スプーンを置いてしまっている。まだスープを飲んでいなかった信次は、スプーンでスープを抄い、一口飲んだ。途端、生臭さが口内に広がり、思わず咳き込んだ。
「ね?」と蓮が、それ見ろと言わんばかりの顔をする。確かに、これは飲めたものではない。一体この生臭さは、なんなのか。水で臭いを喉に流し込んだ信次は、彩矢を見た。
「彩矢、これ味見したか?」
「したわよ」と淡々と返す。
「申し訳ないけど、ちょっと、これはひどいよ」
かなり控えめに苦言する。彩矢の高いプライドを傷つけると、反撃がひどいのだ。彩矢は不思議そうにしながら、スープを一口飲む。固唾を呑んで見守っていると、彩矢がけろっとして言った。
「そうかしら?」
え、と三人は目を見合わせる。
「そんなに美味しくないとは思えないけど」
違うものを食べているのかと疑いたくなるほどの反応だ。
「優希もそう思うの?」
「え……」と、優希は言いにくそうに、もごもごする。咄嗟に、信次は庇った。
「彩矢、俺達にこれは無理だ。悪いけど、下げてくれ」
「……そう。分かった」
彩矢は無感情に言うと、信次と蓮の皿を両手に持って、キッチンへ行った。信次は、肩の力を抜く。気を遣った優希が、自分の皿と彩矢の皿を、シンクへ持って行った。少しして戻って来た優希が、信次の隣で立ち止まり、両手を添えて耳元で言った。
「お鍋の蓋の間から、何か足みたなものが飛び出てる」
「え?」と信次は眉を顰めて優希を見た。優希は、静かに頷く。
信次はシンクで皿を洗う彩矢を振り返った。しかし今見に行くのは、なんとなく危険な気がして、優希に「分かった」とだけ返した。
「お父さん、この魚もまずいんだけど」
蓮がフォークで鱸のムニエルをつつきながら言う。ムニエルをうまく焼けることが自慢な彩矢によって、それはないだろうと思い、一口食べた。たしかに塩が足りないのか、生臭く、しかも全体的にべちゃっとしている。
一体、どうしたのかと首を捻った。彩矢は家事に従事することで、プライドを保っているところがある。その彩矢にとって、このような料理を出すことは、プライドが許さないはずだ。
「誰にだって失敗はある。お母さんにだって、あるってことだ」
「これ、食べなくていい」
さすがに食べろとは言えなかった。
「サラダなら食べられるだろ」
優希と蓮に、サラダだけ食べるよう言った。ただこれではお腹が減るので、後で何か食べさせてやらないとならないだろう。
彩矢を除いた三名は、料理をほとんど口にできずに夕食を終えた。信次は優希と蓮を誘い、ちょっと出てくると彩矢に断り、外出した。
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