坂から下りてきたら

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⑶  二日目の朝、朝食を終えた信次は、スマホでニュースをチェックする。毎朝の日課だった。その中に、防衛省が新設した宇宙作戦隊に関する記事を見つける。宇宙という単語を目にして、今年の前半期に、米政府が未確認飛行物体の存在を認めたという記事を目にしたことを連想した。とうとう米政府が認めたかと、にやりとしたことを覚えている。エイリアンとかUMAの存在を信じているわけではないが、米政府が認めたという点については興味をひかれるものがあった。  するとダイニングテーブルで、優希と蓮が言い争いを始めた。優希が珍しく手を上げそうになったのを目にして「やめろ」と声を上げた。 「どうしたんだ」 「蓮が、食器を片づけないんだもん」 「そんなの、あなたが下げればいいじゃない」  キッチンで食器を洗う彩矢が口を挟んだ。優希が彩矢を振り返る。 「お母さん、いつも自分の食器は自分で片づけなさいって言ってるじゃん」 「あなたは女の子でしょ?そういうことは、女性がやるものなのよ」  悔しそうに口を引き結ぶ優希を、蓮はざまあみろとばかりに見やって席を立った。信次は、今にも泣き出しそうな優希を別荘から連れ出した。  別荘を出ると、蝉の鳴き立てる声が辺りに響き渡っていた。信次は坂の上にある自動販売機で飲み物を買おうと、優希と坂を上り始める。午前中の早い時間帯なので、暑さもまだ本格的ではなく、気候的には散歩に丁度いい。 「お父さんは、優希の言ってることが正しいと思うよ」  下を向く優希は、手の甲で目許を拭う。信次は優希の頭を撫でた。  人生は理不尽なことで溢れている。看護婦などに邪険にされながら、医局の前で何時間も棒立ちで院長を待っても、見目麗しい美女MRに()(さら)われるというように。優希が、そんな理不尽に慣れるにはまだ早すぎるが、少しずつ折り合いはつけていかねばならない。そして、その方法を教えていくことが、親の役目だろう。  黙ったまま暫く歩いて、坂の中腹あたりに来たところで、信次は話題を変えた。 「学校はどうだ」 「楽しいよ」 「部活は、どうだ?」  優希はテニス部だった。 「サーブができるようになった。先生に、うまいって褒められたよ」  少しだけ得意げだった。そういう優希を見ると、心底ほっとする。 「そうか。テニスコート予約して、お父さんとテニスやるか。見せてくれよ」 「いいよ」と優希が少しだけ明るい声で言った。  視線を坂の上に向けると、赤く塗られた鉄製の四角い物体の上部が目に入る。優希と坂を上りきり、自動販売機前に辿り着いた。優希にオレンジジュースを買ってやり、自分はペットボトルのお茶を買う。  坂を降りようと、視線を坂下に転じた時、黒塗りのワンボックスカーが坂を上がってくるのに気づいた。かなりのスピードで走り抜ける。運転席には、ダークスーツ姿の男が乗っていた。はっきりとは見えなかったが、助手席にも誰か乗っているようだった。後部座席の窓は、中が全く見えないほどの濃い黒ガラスが入れられていて、まるで何かを警戒しているようだった。  避暑地である、この場にそぐわない車に違和感を覚えた信次は、猛スピードで走り去るワンボックスカーの後ろを、何となく見据える。練馬ナンバーだ。 「東京から来たんだね」 「そうみたいだな」  信次は車が見えなくなるまで、見送った。
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