坂から下りてきたら

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⑹  午後二時二十分、信次は優希と別荘に戻った。キッチンに彩矢の姿はなく、畳部屋には信次たちが出て行った時と同じ姿勢の蓮が、ゲームに熱中している。 「蓮、お母さんは?」 「知らない」 「知らないって、出かけたかどうかくらい分かるだろ」 「出かけるとか言われなかったけど」  と言うことは、近くにいるのだろう。まあいいと、信次は脱衣所に行き、汗で濡れたスポーツ用シャツを洗濯かごに放った。それからリビングに戻った信次は、気づいて訊ねた。 「蓮、昼飯喰ったか」 「ううん」 「え?お母さんが何か作っただろ」 「何も言われてないけど」  完璧な自分を目指す彩矢は、批難の的になるようなことはしない。なので食事を作らないなんてことは、まずなかった。  訝しんだ信次は、冷蔵庫を開ける。昼食らしきものは見当たらなかった。冷蔵庫を閉めて彩矢を探す。探すところはそう多くないが、トイレ、風呂場、クローゼットを覗いても、彩矢の姿は見当たらなかった。テラスにもいない。信次は玄関で靴を履いて、外に出た。  信次は車道まで出て、右手方向へ暫く歩いてみる。しかし、歩く人の姿はなかった。通りの先を見ていたが、誰かが立ち去る気配も、やってくる気配もない。信次は踵を返して、別荘に戻った。
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