5、お願い、そんなにいじめないで-2

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5、お願い、そんなにいじめないで-2

 翔太はホコリまみれになりながら、何とか使えそうな資材を腕いっぱいに抱えて営業部へ戻った。係長席に行人はいなかった。原田と内海も営業先へ出たらしく、一係は空っぽだった。  いないメンバーの机にこれ幸いとはみ出して、翔太が持ち帰った資材をより分けていると、部屋の扉がバタンと空いた。行人が足音も荒く部室を横切ってくる。怒っているのか、気合いなのか。物品庫でのやり取りを思い出して、翔太の背中が心持ち強ばる。  行人は、翔太の席の後ろを通り過ぎるとき、少しだけ速度を緩めて、翔太の机にホチキスで留められた書類を置いていった。 「係長……?」  翔太が見ると「稟議書」となっていた。そして、隅の方にみどりのふせん。  小さく、『さっきはごめん』と書かれていた。  書類には来春の「Pro'sキッチン」新商品の選定ツアーとあった。翔太がザッと目を走らせた限りでは、取引先の飲食店の中で、今年の年末納入額が大きかった順に、工場見学と試作品の試食を組み合わせた企画と読めた。別枠で通販での個人取引の部もある。試食と同時に、参加者が試作品の中から、自店で取り扱いたいメニューを選ぶ。  要はご招待という報償で年末に大きく仕入れていただこうという目論見だった。 「係長、これ……」 「新商品の開発と絡めれば、三係の量販、企画課の直販事業と、商品開発室と、全部巻き込めるだろ。それだけ巻き込んで各係の予算を集めれば、このくらいの企画は打てる」  確かにその通り。それに。翔太は口を開いた。 「それに、取引先も、新商品に自分の意見が反映されるとなれば!」  翔太も、行人の部下として鍛えられて二年半。少しは行人の仕掛けを読み取れるようになってきた。行人はにこりともせずうなずいた。 「そうだ。当然その新商品が発売されるのを楽しみにして、仕入れることになるだろうな」  翔太は感動した。 「係長……、この短時間に、これだけのことを?」  稟議書には、営業課長、部長のほかに、PT(プロジェクトチーム)リーダー、商品開発部長、それから、社長の判までもが押してある。  翔太の視界がうるっとにじみそうになった。行人はゴホンと咳払いをひとつして、あさっての方を向いて早口で言った。 「ああ、まあ、課長はいつもそこにいるし、PTリーダーにはこういうときのために、日頃いやというほど恩を売ってあるしな。部長連中はひとつの部屋で週末ゴルフの相談してたから一網打尽でハンコ押させて」  心なしか、行人の頬が赤い。  この発想力と行動力。とにかく思いついてから行動が速い。翔太はいつものように行人の有能さに感服した。だが今日は、このとびきりの有能さが、翔太ひとりのために発揮されたのだ。思うような予算を使わせてやれなかった詫びとして、翔太のために。焦って社内で無体なことをしそうになった詫びとして。  思い切り、公私混同だ。  公私混同でも、会社の数字が伸びれば、いいじゃないか。  ふたりが、ふたりにしか分からない公私混同を、ほかのひとに一切知られることがなければ、もうそれは公私混同ではなくなるのでは?  そっぽを向いて赤面している行人の姿は、翔太の身体の奥にじんわりと炎を灯した。ほかのひとにヘンに思われないよう、いつもすぐ視線を外すようにしているのに、翔太は行人から目を離せなかった。キレイな横顔。長い睫毛。このひとは、ほかの誰でもない、自分のものなのだと思うと、翔太の胸はさらに熱くなった。  社内放送がかかった。 『社内のみなさん、商品開発部よりお願いです。ただいまより新商品の試食を行います。手の空いているひとは、開発部ラボまでお越しください。繰り返します……』  翔太は稟議書を大切に机の抽斗にしまい、そっぽを向いたままの行人に声をかけた。 「係長、行かないんですか?」  行人は頬の赤みを片手で隠すようにして立ち上がった。 「ああ、行こうか」 「鴨のロースト」は、ベリーのソースと赤ワインソースのどちらで行くか。  年末スペシャルとはいえ、かなり挑戦的なチョイスだ。  商品開発部のラボの中央に置かれた広いテーブル。その上には、同じサイズに小さく切った鴨肉に、似たような色の赤いソースがかけられ、右と左に分かれて並べられていた。右に「ベリーのソース」、左に「赤ワインソース」と書かれた紙片が置かれている。  ラボ長はPT(プロジェクトチーム)リーダーを兼ねている。長い髪をひとつにまとめた、テキパキとした女性だ。行人の顔を見ると、「あら、来たわね」とにやりとした。行人は「さっきは悪かったな、忙しいとこ」と片手を上げた。翔太は行人に続いて、テーブルの周りに並べられた椅子にかけた。  社員がぞくぞくとラボに集まってきた。狭いラボはすぐいっぱいになった。椅子が埋まり、その後到着した社員は、その周りに立ったままテーブルに手を伸ばした。  どちらのソースでも、かなりおいしい。  こういうとき、とにかく自分の意見を言ってみろ。行人はいつもそう翔太を指導する。シロウト寄りの営業の立場から翔太は言った。 「俺は『ベリーのソース』の方がうまいと思う。でも、一般のひとは『ベリーのソース』とメニューにあっても、どんな味かイメージが湧かないと思うんですよ。想像できないものはオーダーしない。まだ『赤ワインソース』の方が雰囲気をつかみやすい。だから、『赤ワインソース』の方が売れるでしょうね」  テーブルを囲んで味を見ている面々がうなずいた。  翔太の言葉を受けて、行人が続けた。 「ああ、だが本格的な『洋食』への入り口に、『ベリーのソース』があってもいいな。それに例えばヨーロッパ滞在経験があるとか、洋食を食べ慣れているけど、今は生活水準を落としているようなひとに、この味なら売れる。飲食店のファンづくりには、『ベリーのソース』もいいかもしれない」  翔太は今の行人のコメントの中に、ラボメンバーの味作りを褒める言葉が含まれていることに気付いた。こういう気配りが、いざ行人がすごいスピードで仕事を進めようというときに利いてくるのかもしれない。 「ちなみに下代はどうなんだ。このふたつを同じ値段では出せないだろ」  行人はラボ長の方を振り返ってそう訊いた。下代というのは、卸から小売店(この場合は飲食店)に販売するときの価格のこと。これに対して、小売店が客に売るときの価格は上代と言う。新商品を出すときは、まずこの辺りの価格をざっくり決め、そこからの逆算でかけられる製造コストを割り出してかかる。ラボ長は数回うなずいて答えた。 「そうなの。ベリーは一食当たり、納入価で最低でも80円UPになるわね」  行人は「80円か……」と言葉を舌の上で転がした。脳内で膨大な計算が回っているに違いない。  翔太は、ふと思いついたことを言ってみた。 「限定商品として『ベリーのソース』を出すというのはどうでしょう」  行人が無言で隣の席の翔太を見た。ラボ長が愉快そうな笑顔で「どういうこと? 言ってみて」と促した。 「まず定番商品として『赤ワインソース』を出すんですけど、X'mas限定で一時期だけ、『ベリーのソース』に切り替えるというのは? パッケージもX'mas限定で、限定数量を終了したら元に戻すんです」 「いいんじゃない? 面白そう!」  後ろの方で声がした。  翔太が振り返ると、小太りのオッサン(社長)が作業着でニコニコ笑っていた。 「あっちゃーー」  ドアを閉めるなり翔太は頭を抱え、しゃがみこんだ。  責任をもって、「鴨のロースト」のX'masベリーバージョンを売り切らねばならない。果たして、どのくらいの数量が生産されるのか。恐ろしい。 「ステップアップにはいい経験じゃない? 俺もあれはいいアイディアだと思ったよ。期間限定商品なら売上のピークを作りやすい」  行人はエプロン姿で鍋を振りながら言った。今日も先に社を出た行人が、翔太の部屋の台所で夕食の準備をしていた。 「ユキさん、今日の献立は何ですか?」  翔太は肩を落として部屋を横切りながらそう訊いた。 「んー? 何だろうね。冷蔵庫の残りもので、テキトーにまかない。ショウちゃんに野菜食わせなきゃ」  行人は手際よく炒め鍋に塩こしょうを振り混ぜた。  翔太が部屋着に着替えるのと、ほぼ同時にテーブルに夕食が並んだ。 「いただきまーす!」とふたりは手を合わせた。 「んまい!」  行人の作った野菜炒めをひと口ほおばり、翔太は言った。行人は「そう? よかった」と笑った。翔太は単純だから、うまい飯を食えば元気になる。そう、普段なら。  翔太はごくりと呑み込んで、「はあーーっ」とまたため息をついた。 「ショウちゃん?」  行人は箸を止め、心配そうな顔で翔太を見た。翔太はプルプルと首を横に振った。 「いえ、何でもないです」  さすがにこのプレッシャーは大きい。しかも、不用意に自分が口走ってしまったアイディアがその場にいた社長に即採用されてしまった。つまり自分が蒔いた種。仕事としてはよいことでも、翔太個人としては自らギロチンの下に首を置いてしまったような気がしている。入社三年目。そろそろこういう課題も必要なのか。  行人は、翔太のもともと引っ込み思案な性格をよく知っている。 「さっきも言ったけど、いい経験になると思うよ。自分の発案した商品を、存分に自分で売ってごらん。開発室や工場のひとの気持ちも、少しは分かるようになるよ」  営業は、所詮他人が額に汗して作ったものを、右から左するだけの商売だ。「作り手」の気持ちを知ってるかどうかで、口調に重みが増すこともある。 「それに、今回は俺、ちょっとショウちゃんにお礼を言いたい」 「ユキさん?」  行人はちょっと真面目な顔になって、箸を止めた。 「ウチの会社で『ベリーのソース』なんて攻めた商品が出てくるなんて」  アサヅカフーズは、地元でこそ中堅食品メーカーだが、即席ラーメンスープと調味料に特化した商品構成で、営業規模の縮小は目に見えていた。そこを従来の自社製造をはみ出して、同業他社のキャパシティを活用して製造する業務用惣菜にチャレンジしてみた。これがダメだったら、全社上から下まで意気消沈して、目の前の死を座して待つしかなかったろう。まさに社運をかけた新商品だったのだ。 「『Pro'sキッチン』のヒットが商品開発室のヤル気に火をつけた。けど、俺は連中のヤル気をもっと伸ばしたかった。戦う相手は地元企業じゃなく、全国区だろう? もっともっと戦闘力の高い商品ラインナップにしていかないと」  つられて箸を止め、行人の話をじっと聞いている翔太の頬を、行人はペシペシと軽く叩いて付け加えた。 「俺がいくら優秀でも、『売れる商品』じゃないと売りようがないからな」 (ふわあ。カッコいい)  すごい自信だ。だが、行人が言うならその通りという気が翔太にはする。これを例えば原田が言ったのだとしたら、同じようには受け取らないだろう。  行人は再び長い指で箸を動かし始めた。 「ユキさん……やっぱ、カッコいいなぁ」  翔太は思わずそう漏らした。行人は驚喜した。 「ショウちゃん、カワイイーー!!」  翔太は照れ隠しに、黙って行人の作った野菜炒めを大きく口に放り込んだ。
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