1039人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ
5、お願い、そんなにいじめないで-3
自分の給料では、大きなベッドを置ける部屋に引っ越すなんて、ムリ。
翔太はぼんやりとそう考えながらシャワーの水栓を閉じ、風呂場を出た。
「ショウちゃん」
奥の部屋から行人が翔太を呼んだ。翔太の好きな、優しい声だ。
「おいで」
「ユキさん……」
翔太は洗い立ての髪をバスタオルで拭きながら、呼ばれるままに行人の前へ歩いた。
「貸して」
「いいですよ、自分でやりますから」
ベッドに腰かけた行人は、翔太を自分の前の床に座らせた。
「いいから」
行人は翔太の手からバスタオルを取り上げて、リズミカルにその髪の水分を拭き取った。翔太は仕方なく、ペットの犬のように行人のしたいようにされていた。
「何だよ。嫌なの?」
憮然としてされるままになっている翔太に、笑いを含んだ声で行人は尋ねた。
「嫌じゃないです」
翔太はムスッとして答えた。行人は腕を伸ばしてドライヤーを取り、翔太の髪を乾かし始めた。
「『嫌じゃない』って声じゃないね」
行人の細くて長い指が、しなやかに翔太の短い髪を揺らす。
「……俺のこと、嫌いになったら、そう言ってね」
翔太は勢いよく振り返った。ドライヤーの熱風が顔に当たった。
「ユキさん!?」
翔太は今度は自分が行人の手からドライヤーを取り上げた。
「……ショウちゃん」
「ユキさん、どうしてそんなこと……」
翔太は行人の肩を押さえ、そのままその手に重心をかけた。行人は逆らわなかった。
「俺はただ……」
押し倒されたまま、行人は翔太の顔を見上げていた。行人はゆっくりと手を伸ばし、翔太の頬を両手ではさんだ。
「ただ……何?」
呟くように行人は言って、翔太の答えを促した。
「……恥ずかしくって」
消え入りそうな声で翔太はやっと言った。
「そっか……、ショウちゃん、俺にお世話されるの、照れくさかったんだね」
よかったーと行人は翔太の頭を胸に抱きしめた。
「どうしてそんなに可愛いの!?」
翔太は行人の胸で、くぐもった声でやっと言った。
「ユキさん、ちょっと大げさですよ。俺がユキさんを嫌いになる訳、ないじゃないですか」
「どうかな」
「ユキさん……?」
翔太の耳の奥で、また不安定な低音が鳴り始めた。行人の声は、昼間の行人とは全く違って自信なさげに、いや、淋しげに響いたからだ。
行人は翔太の背中をポンポンと叩いた。
「さあ、ショウちゃん。まだドライヤー終わってないよ。ちゃんと髪乾かしておかないと。寝グセがぴょんと跳ねてるショウちゃんは、俺にとって凶器だからね。朝からそんなの見せつけられたら、可愛すぎて俺死んじゃうよ」
翔太はおとなしく言うことを聞いた。ドライヤーの熱風が根元まで当たるように、行人の指が翔太の髪を梳くように持ち上げては、宙で離すを繰り返す。行人の指の感触。それは翔太の胸に甘い戦慄をもたらす。
「はい、これでよし」
行人はドライヤーにコードをくるくると巻き付け、元あったところに戻した。
「あ……ありがとうございます」
翔太がぼそぼそと言うと、行人は「ふふっ」と笑った。
「ショウちゃんは甘え下手だね。そっちから来てくれないから、俺から行っていじめちゃうんだ」
甘え下手。引っ込み思案と同じジャンルの表現だ。子供の頃からの性格は、そうそう変わるものじゃない。でも。
「それを言ったらユキさんの方がよっぽどですよ。滅茶苦茶ツンデレなんだから」
アサヅカに入社した頃、翔太は上司である行人に冷たくあしらわれて、自分でも気付かないほどに傷ついていた。
そう。初めて、リアルに触れ合える距離のひとを、好きになった。自分にはそんな誰かが現れることはないと思っていた翔太の前に、このひとが。
結局、似たもの同士なんだろう。恥ずかしくて、照れくさくて、素直に感情を表現できない。
まあ、行人の場合は、職場で素直に表現していい感情レベルではないのだったが。
行人の顔が近付いてくる。顎をとらえられ、唇が触れ合う。翔太はくらくらして行人の胸に倒れ込んだ。行人が翔太をギュッと抱きしめて、耳許で言った。
「ショウちゃん、好きだよ」
同じ言葉を何度聞いても泣きそうに嬉しい翔太と、猛々しい欲望に撞き動かされる翔太が、同時に行人の身体を押し倒した。
「ユキさん……、ユキさん……」
翔太は行人の首に、鎖骨に、噛みつくように唇を這わせた。行人の長い指が、翔太の髪を梳くように弄ぶ。行人の身体を味わう翔太をしばらくそのままにさせていたが、やがて行人は身体を起こした。
「ショウちゃん……、俺のこと、どう思ってるの」
行人の瞳がじっと翔太の目をのぞきこんでいた。翔太は心の中まで見透すされているような気がして恥ずかしくなった。
「どうって……」
行人の長い指が翔太の顎を上向かせた。
「ショウちゃんにとって、俺って何」
「ユキさん?」
行人の睫毛が頬に影を落とす。
「どうして俺にいつまでも敬語なの。俺のこと、好きなんじゃないの?」
行人の長い指に顎をつかまれて、その瞳にこんなに近くのぞきこまれて、翔太は気が遠くなった。行人がぞんざいに羽織った柔らかい生地のシャツに、そっと指を伸ばし握りしめた。行人が部屋着として持ち込んだシャツだ。
こんなときの行人は、翔太が答えるまで許してくれない。翔太が恥ずかしくて、思い浮かべるだけで気絶しそうな言葉を、はぐらかそうとしても絶対に逃がさず口にさせる。
「す……好き、です」
「好き? ホントに? じゃあショウちゃん、俺のどこが好き?」
「ユ、ユキさん……?」
行人は片手で翔太の顎をつかんだまま、もう一方の手を翔太の頬から下へすべらせた。翔太の肩を撫で、その腕を背中に回した。
「俺のどこがいいの」
ほとんど翔太の唇の上で行人はそう言った。微かに触れる唇の感触。
「ユキさん……」
「言って」
行人は今度は翔太のまぶたに唇を触れて翔太を追い詰めた。
「言わないと……ダメですか?」
翔太はあえぐように小さく言った。
「ダメ」
行人は容赦ない。翔太は行人のシャツの襟元をつかみ、そこへ顔を伏せて言った。
「……カッコ……いいとこ」
消え入りそうな声でやっとそう言った翔太の背中を、行人の長い指が伝っていく。
「ん? そこだけ?」
行人は翔太の身体をゆっくりなぞる。その指が特別なところを通るたびに、翔太の身体はびくんと跳ねる。
「仕事……できるところ。何をやっても手早くて、判断も的確で、みんなからの人望も厚くて……」
翔太は行人のシャツをつかんだまま、ずるずるとベッドの上に崩れ落ちた。
「ものすごく、尊敬……できる、ところ……」
行人にすがりつくような格好でうずくまる翔太に触れもせず、行人は呟くようにこう言った。
「尊敬……か……」
乾いた声だった。行人の手がベッドの上に落ちた。
――何か、間違えた。
翔太は慌てた。リカバーしないと。
「それから……」
翔太は少しの間唇をかんでうつむいていたが、震えながらやっとこう言った。
「ベッドで……めちゃくちゃエロいとこ」
行人はゆっくりと腕を伸ばし、翔太の一番感じやすいところを探った。
「ホント? ショウちゃん、俺のセックス、好き?」
翔太は思わず息を止めた。翔太の身体は行人の指に素直に反応する。口で答えなくても、行人には分かっているはずなのに、行人は翔太に言わせたいのだ。翔太は降参した。今日はがんばって少しでも行人を悦ばせよう。さっき何かミスをした分を取り返さないと。翔太はそう覚悟した。
「……好き、です。ユキさんになら、俺、何をされても」
行人の指に力が入った。翔太は「あ……っ」と声を漏らした。
「すごい……気持ち、イイ……」
行人は翔太の部屋着を剥ぎ取って、ベッドの上に屈ませた。翔太の柔らかいところがひんやりとした空気に晒される。
「エロいのはショウちゃんと、ショウちゃんのカラダでしょ。めちゃくちゃエロくて、可愛すぎ」
行人は翔太の尻の肉に歯を立てた。その指が翔太の身体の底を責める。翔太は思わず叫んでしまいそうになり、シーツをかんだ。
「ショウちゃん、今声出しそうになったでしょ。それを止めようとしたの? そんなに気持ちいいの?」
「んん……」
「可愛い……ショウちゃん……」
翔太の腰がガクガクと大きく震えた。のどから漏れそうになる声を必死にこらえながら、翔太は行人の手の動きに意識を明け渡した。ふっと気が遠くなるその瞬間。
「……!?」
行人が翔太の欲望をギュッと強く押し留めた。翔太の意識が現実に戻る。
「ダメだよショウちゃん。まだダメ」
「ユキさん……?」
翔太は濡れた声のまま行人に問うた。こんな仕打ちは初めてだ。
身体の底がじりじりと焦がされる。行人の動きを乞うて、自分の腰がぬるぬると動くのを翔太は感じた。
「ユキさん……」
翔太の唇も恋人に快楽の続きを懇願する。行人はしばらく動きを止め、翔太の欲望が後退するのを待って再開した。
「あ……っ」
絶え間なく手を動かしながら、行人は翔太のもうひとつの快楽に舌を進めた。翔太は尻を高く掲げながら枕に顔を押しつけた。荒い呼吸と甘い叫びを止めるために。
「まだだよ」
意識がなくなる寸前で、行人はまた翔太を押し留めた。翔太の腰は溶けてしまいそうになる。
「ユキさん、お願い。もう……」
「ん? 何?」
行人も荒い息づかいの中翔太に訊いた。
「ムリ……イかせて」
翔太の声も甘く上ずっている。
「ショウちゃん、今すっごいエロい。可愛いよ……」
翔太はイヤイヤと首を振るが、行人は仕打ちを止めてくれない。
行人は何度かこれを繰り返し、翔太の全身がとろけてしまった頃にようやく許した。枕をかんでも翔太ののどからこぼれる声を止めることはできなかった。
「どうして俺のこと、そんなにいじめるんですか」
疲労のにじむ声で翔太は訊いた。
「ショウちゃんは嫌なの? ああいうの」
狭いシングルベッドでくっつき合ったまま、行人は逆に訊いた。
「嫌なら止めるよ。俺、ショウちゃんが嫌がることは絶対にしない」
ティーンエイジャーのような真剣な瞳が、翔太の心をのぞいていた。
「ああいうの、嫌?」
翔太は唇をかんだ。
「……また、そうやっていじめる」
翔太の声に含まれる甘い響きを、行人は聞き逃さない。
「俺に何をされてもイイんでしょ? ちゃんと答えて」
からかうような言葉なのに、行人は泣きそうに切実な目をしていた。翔太は観念してうつむいた。
「恥ずかしすぎて……おかしくなりそう。頭の中が先にイきそうになって……すっごい気持ちよかった」
翔太は自分の呟きが、行人を「エロい」と悦ばせそうなことに気付いて真っ赤になった。
「ショウちゃん……!」
「あ、でも」
翔太は慌てて付け足した。
「毎回ああは止めてくださいね。そりゃ嫌じゃないですけど、あくまで『たまに』ならですよ。恥ずかしすぎて、俺死にます」
行人は嬉しそうに笑って「分かった」と言い、翔太の頬を優しく撫でた。シングルベッドに男子二名は窮屈だ。翔太は行人の指の感触に、その快さに思わず目を閉じた。
「この間泊まったホテル、よかったですね」
行人は優しい指を止めずに言った。
「そうか? どうってことない、田舎のラブホじゃん。どこがよかった?」
翔太はにこっと笑った。
「ベッド広いとこ」
行人の指が止まった。次の瞬間。
「カワイイーー!! 何そのカワイイ言動! もう、ショウちゃんは油断するとぶっ込んでくるよね」
いや。別に「ぶっ込んでくる」とか意味分からないし。翔太はそう思いながら、きゃあきゃあ喜ぶ行人にもみくちゃにされていた。
(朝までひとつのふとんにくるまって眠れるって、サイコーだと思うんだけど)
広いベッド。この部屋にはどうしたって入らない。
あんなに熱い行為のあとで、行人は帰っていく。
翔太はひとり残されたシングルベッドで、ぼんやりと考えた。
(ホントに誰もいないのかな)
実は家には誰かが待っているのではないか。行人が生活をともにするほど、気を許した誰かが。
翔太は首を振った。
行人は大人だが、嘘つきではない。どうやら本当に翔太のことを愛している。溺愛と言ってもいい。
だが、行人が自分に芯から気を許しているかどうかはまだ分からない。例えば、翔太は行人のできないことを知らない。行人が家族の誰と暮らしているのか知らない。
(ユキさん……)
ずっとひとりで住んできた部屋なのに、馴れ親しんだ孤独が今は寒々しく心に刺さる。行人と付き合うようになって、翔太の心は初めて「孤独」を知った。
翔太は寝返りを打って、眠ろうとした。
眠ってしまえば夢の中で行人に会える。夢に出てきてくれなくても、朝になって出社すれば、また行人に会えるのだから。
最初のコメントを投稿しよう!