6、俺の知らない、上司の夜-1

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6、俺の知らない、上司の夜-1

 新商品「鴨のロースト」のパンフと受注用紙が上がってきた。  マーケティング部の全体会議。普段は廊下をはさんで向かいの部屋にいる営業二課のメンバーも集まって、新商品の説明を聞いている。まずはラボから試食品を準備する手順が説明される。翔太たち営業は、これから卸や個店へ出向いて、説明とともに試食してもらうのだ。資材は何が必要で、行った先でどうするか。自炊の苦手な翔太は、ここでキッチリ手順を覚えておかないといけない。 「へえ……おいしいですね、これ!」  隣の席で試食品をつまんだ内海が驚いている。原田もベリーのソースと赤ワインソース、それぞれをひと口でガバッと口に放り込み、コクコクとうなずいている。翔太は横目で行人の表情を確かめた。微笑む行人と職場で珍しく目が合った。一瞬ののち、互いにすぐ目をそらしたが、翔太はつい嬉しくなって、試食の皿をのぞきこんで緩んだ表情を隠した。  続いて開発から、製造スケジュールが説明される。 「営業のみなさんの意見をいただいて、社長のOKもいただき、今年の新商品は二種の味付けです。定番品としては『赤ワインソース』、期間限定品として『ベリーのソース』を販売します。切り替わり時期と出荷量の目安はお手元の資料の通りですが、みなさんの受注数次第で増産可能ですので、バンバン売ってきていただきたい」  普段滅多に席にいない、隣の二係から質問が上がる。 「『増産可能』とのことでしたが、今回の新製品も他社製造ですよね。MAXどのくらいまでとか、キャパを教えてください」 「はい。おっしゃる通り、今回の『鴨のロースト』は今回初めて製造を委託する『橋本食品』さんが担当されますが、キャパ的には問題ないと判断しています。わたしもウチの工場長と橋本さんを見てきましたが、設備がかなり遊休しており、逆に今回の『鴨のロースト』で自信をつけていただいて、弊社ラインナップ強化の有力な戦力になっていただければと」  前に行人が言っていた、PT(プロジェクトチーム)がらみでモリノーさんが紹介してくれたというメーカーさんだろう。翔太はそう目星をつけた。遊休設備がそんなにあるということは、かつて何かヒット商品なり何なりがあったが、今は売上がパッタリ……ということだ。地方の零細企業ではよくあることだ。だから、連携して、生き残っていかなければならない。  マーケティング部の浅井部長からの激励が続く。 「とにかく、他社製造で利幅が薄い分、数を売って欲しいんだ。そうすれば、協力してくださってる諸方面にもご恩返しができるし。一課の諸君、よろしく頼むよ。それに二課のみんなも、このレベルのものはすぐ製造できる体制ができてきた。この実力を紹介して、安心してOEMの話を取ってきて……」  部長は唐突に言葉を切った。 「社長!」  みな一斉に部長の視線の先を振り返った。いつもの作業着で、社長が扉のスキマから部内をのぞいていた。 「あ。見つかっちゃったー」  社長はとことこと室内に入ってきた。社長は課長や部長の並び立つ上座へは行かず、部屋の後ろに立ったまま言った。 「もうみなさん、たくさん説明を聞いたと思うので、何も言わない積もりだったんだけど。見つかっちゃったのでひと言だけ」  そこで社長はひと呼吸入れた。 「新商品、どうぞよろしくお願いいたします! たくさん売ってきて。作る方はこっちでがんばるから」  社長はこれまで挨拶に立った誰よりも深く頭を下げた。翔太たち営業職員は、反射的に拍手していた。原田が「社長、お任せください! 俺たち、これまでにない売上を作ってきますよ」と大きな声で答えた。拍手の音が強まった。  予定になかった社長の登場で、会議は壮行会のようになった。  現場たたき上げの社長の性格の良さが、アサヅカを支える土台なのかもしれないと翔太は思った。 「会議、何だか盛り上がっちゃいましたね。わたし、『やるぞ』って気になりました」  内海が頬を紅潮させて拳を握りしめる。頼もしい後輩だ。 「そうだねー。っていうか、この辺でしっかり売上作らないと、橋本食品さんどころかウチも危ないからね」  三年目ともなると、さすがにシビアだ。翔太は手渡されたパンフと受注用紙を確認しながらそう答えた。自分の担当社分に足りるかどうか。パンフの種類は。既存品の提案資料と、どう組み合わせて持っていけばいいか。情報量が多くて混乱しそうになる。  翔太がブツブツ口の中で要件を確認しながら振り分けていると、行人の声が飛んできた。 「加藤くん、今日はモリノーの村上さんと、打ち合わせじゃなかったのかい?」 「あ!」  翔太は時計を見た。 「もう出ないと」  しまった。会議のためにスマホをマナーモードにしていて、リマインドコールを聞きそびれた。  翔太は慌てて机に貼ったふせんを数枚剥がし、メモしてあった通りに持参するものを集めはじめた。失敗した。あたふた準備していると、さっき受け取った「鴨のロースト」のパンフと受注用紙がバサバサと机から落ちた。 (焦るぅ……!)  時間に追われると、いつも以上に考えがまとまらない。行人が立ち上がった。 「営業車の借受申請、総務に出した?」 「いえ、まだです」  床に落ちた書類は、拾い集めるのを内海が手伝ってくれた。翔太は「どうも」と頭を下げて受け取った。カツカツと早いペースの靴音を響かせ、行人がその脇を通り過ぎていく。 「俺手続きするから、加藤くんは持ってくもの用意して。忘れもののないように」 「はい! すみません」  翔太は剥がしたふせんを机に並べ、かばんに詰めた持参資料と逐一照らし合わせて、抜けがないよう確認した。ここまでやれば、大丈夫。  隣の席では内海が、驚いたように行人が出て行った扉を見やった。 「係長……なんか、今日は優しいですね」  翔太はかばんを閉じて弱々しく笑った。 「いやあ、取引先にご迷惑かけちゃいけないから」  内海は「それはそうですね」とうなずいた。 「じゃ、行ってきます!」 「いってらっしゃい」  翔太は急いで廊下へ飛び出した。  翔太が階段を降りていくと、裏口で社用車のカギを手に行人が立っていた。 「忘れものない?」 「はい、確認してきました」  翔太の差し出した両手に、行人はカギをとんと落とした。 「運転、気を付けてね」 「はい」  行人は笑って右手を差し出した。 「がんばって」 「はい」  翔太はその手を握り返した。温かなてのひらが甘かった。  翔太は行人に見送られて社を後にした。  翔太が担当する取引先の中で、もっとも規模の大きい卸が「モリノー」だ。一階の受付カウンターに着くと、ベルを鳴らす前に事務員さんがやってきてくれた。パーティションに区切られた面談ブースに通された。タブレットに社内カレンダーを表示させ、今日話すべき内容を軽くおさらいしながら、担当がやってくるのを待つ。モリノーのアサヅカ担当は、村上さんだ。 「加藤さん、お待たせしました」  村上さんが頭を下げながら入ってきた。翔太のような若手にも穏やかに接してくれる村上さんは、多分三十代前半。翔太とは十歳くらいしか違わないが、家庭では「優しいお父さん」なんだろうなあと思わせる風貌だ。翔太はぴょこんと立ち上がってお辞儀をした。 「こちらこそ、お忙しいところをありがとうございます」  真っ先に翔太は、「鴨のロースト」のパンフを村上の前に拡げた。 「以前お話ししていた、年末に向けての新商品、ようやく発売日が決まりました!」 「ああ、わたしも楽しみにしていたんです。どれどれ……。はあ、同じ商品で、ソースが二味ですか。それは面白いですね」 「そうなんです。『ベリーのソース』は期間限定で、X'mas時期にしか作りませんので。飲食店さんのクリスマスディナーにご採用いただけると、お店も盛り上がるんじゃないかと」  実はこれ、試食に自分も参加したんですが……と、翔太は自分の経験を交えて話した。モリノーの村上さんは、翔太が話しやすい取引先のひとりだが、こんなに打ち解けて話せるようになったのは、ひとえに村上さんの人柄のおかげだった。 「近々、ご迷惑にならないタイミングで、御社で試食会をさせていただければと」 「そうですね。バイヤー会議に入れ込めばウチもスムーズですから……ちょっとお待ちください」  村上は手帳をパラパラとめくった。  新商品の試食会、個店へのラインナップの紹介パターンと販促ツール、同行営業のスケジューリング。翔太は村上と、今日やるべきことをサクサクとこなしていった。  事務員さんが出してくれたお茶は、すでに冷たくなっていた。最後に村上は「ちょっとコーヒー、飲みたくない?」と笑って立ち上がり、コーヒーを二杯淹れて戻ってきた。村上はこういうところが気が利くというか、お父さんぽい。 「ありがとうございます。いただきます」  翔太は素直にごちそうになった。ひと口飲んで、翔太はカップの中をのぞき込んだ。 「うまいですね、これ」 「そうなんですよ。ウチが扱った商品にしては珍しく、結構いけるんです。普通の、カップに載せてお湯を注ぐドリップバッグなんですがね……」  村上は少し説明した。翔太は村上に、「これ、いただいて帰れますか?」と尋ねた。村上は「もちろんですよ」と笑顔で答えてくれた。 「いやあ、なんか、加藤さん相手に営業したみたくなっちゃって……」  村上はひとの良さそうな顔で頭を掻いた。 「いや、俺も、買いものとか苦手なんで、おいしいものを教えていただけて助かります」  翔太もいささか恐縮気味に頭を下げた。部屋では貧乏性のせいか茶ばかりだったが、行人は外ではコーヒーを頼むことが多い。たまに変わったものを飲ませてやろうと翔太はワクワクした。 「……そういえば」 「はい?」  村上はコーヒーカップを少し持ち上げた。 「この間、すすきのの『ローズ・ガーデン』さんで、お宅の西川係長、見ましたよ」 「え……」  翔太は目をしばたたいた。「ローズ・ガーデン」といえば、老舗の洋食屋兼カフェだ。アサヅカとの取引は確か、まだない。業態的には、ウチの製品を扱って売上UPしていただきたい店だ。行人は個店営業が得意だ。すでにモリノーと取引がある店なら、すぐにも仕入れを開始してもらえる。飛び込み営業でもしていたのか。  黙っているのもヘンなので、翔太は急いで口を開く。 「はあ……そうですか。西川は……」 「秋津物産の竹部さんと一緒だったけど」  のどが詰まった。 「…………はあ」 「加藤さんの前は、彼がウチを担当してくれましたからね。見間違えることはないんですけどね。今度、秋津さん担当は彼になるの? 全国区の秋津さんと組まれたら、イヤだなー。ウチもキツいなー」  秋津は、原田-内海チームが担当で、係長がテコ入れするような話はない。 (そんなはずない)  村上は穏やかに世間話を続ける。 「どうなんです? 加藤さん」  翔太は営業スマイルを崩さぬよう、答えた。 「さあ……。そのヘンは、よく知らないっす。下っ端なんで」  さっき自分を送り出してくれた、行人の笑顔。握手なんて初めてしたけど、その手の温もり。  翔太の知らない行人が、どこかで何かをしている。  当たり前だ。行人には、翔太の知らない部分がたくさんある。
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