7、もうちょっとだけ、夢を見させて-1

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7、もうちょっとだけ、夢を見させて-1

「空いてました! 『使用中』にしときましたよ」  翔太はそう行人に報告した。行人はうなずいてファイルを手に取った。 「じゃ、まず原田さんからお願いします。行きましょうか」 「はい!」  行人に続いて原田が営業一課を横切り、一角を仕切って設けられた面談ブースへ向かった。ブース入り口の札が「使用中」になっていることを確認して中へ入った。今から営業部一課一係の彼らがそこを使う。ボーナスの評価者面談だ。  意気揚々と向かった原田の背中を見送って、内海が「はあー」っとため息をついた。 「どうしたの? 内海さん」  翔太が尋ねると、内海は肩をすくめて苦笑した。 「なんか、キンチョーしちゃいますね」 「そうだねえ、内海さん、これが初めてのボーナスだもんね」  翔太が相槌を打つと、内海は「いやいやいや」と手を振った。 「それもそうなんですけど……。何か、あのふたり、おかしいと思いません?」 「はあ? 何が?」  翔太はつい声が大きくなる。 「いや、だって……」  内海が言うには、原田は何かというと、歳下の係長の上を行こうと躍起になるのに、今年の年末商戦に当たっては、協力体制というか、原田の側から係長にすり寄る感じが見受けられたと。 「原田さんが何か腹に一物あって係長を利用している……とか、何か、そんなニオイがするんですよぉ」  翔太は目を細めた。 「うんうん、そうだねえ。原田さんは係長を利用する気マンマンだよねぇ」 「それでですね……」  内海が声を潜めたので、翔太もつられて小声になる。 「うん」 「原田さん、最近、何かつかんだらしいんですよ、係長のことで」 「『何か』って?」 「それは分かりませんけども……。詳しい話をしないところを見ると、多分社歴の浅いわたしに言っても面白さが通じないことじゃないかと」 「ふーん」  翔太は脳内でぐるぐると検索を回した。 「わたしが係長と面談しているとき、この島には加藤さんと原田さんふたりになりますよね。何か話が出るとしたら、そこだと思うんで」 「うんうん」  内海は満面の笑みで締めくくった。 「何か聞いたら、わたしにも教えてくださいね。社歴の浅いわたしにも分かるような解説つきで」  何だ……ただの詮索好きか。 「はいはい」  翔太は苦笑した。  だが、原田がつかんだというのは何だろう。気になる。聞いておかねば、行人のためにも。  面談ブースから原田が出てきた。ドスドスと大股で一係の島へ戻ってくると、「次、加藤、お前だぞ」と横柄に顎をしゃくった。 「あ、はい。行ってきます」  翔太はメモ帳を握り、急いで席を立った。 「加藤です。入ります」  翔太はブースの戸を開けた。行人は手許の書類に目を落としたまま、「どうぞ」と向かいの席を示した。 「失礼しま……す」  翔太はそろそろと席に座った。 「ではこれから、冬期賞与の支給に当たり評価者面談を行います。よろしくお願いいたします」  パリッとした仕事モードの行人が、折り目正しく一礼した。翔太も慌てて頭を下げた。 「よ、よろしくお願いいたします……」 「まず、加藤くんの今期の営業成績ですが」  行人は私情を一切はさまずに、翔太の出した結果と取り組み内容、普段の業務態度からチームワーク作りへの関与度まで、くまなく現状と改善点を客観的に伝えていった。「仕事の話はプライベートではしない」と、休みの日に翔太が訊いても教えてくれなかったことだ。 (ふえーー。いつもに増してカッコいい……)  この切り替え。感情と仕事を完全に切り離して、冷静に業務を進めていく姿勢。これはカッコいいし、こうあるべきだ。翔太は見習おうと心に決めた。  評価はほとんどの点で改善の余地があるが、現在の習熟レベルではよくやっている、全体的に「中の上」といったところだった。引っ込み思案でそそっかしい翔太が営業職という立場で働いてるにしては、上出来だ。行人はひと通りの評価を伝え終わり、最後に付け加えた。 「加藤くんが、今困っていることはありますか?」  困っていること。……ある。 (上司が筋違いな嫉妬をして、僕が隣の席の女のコとしゃべっていると不機嫌になるんですぅ)  あはは。そんなことはとても言えない。 「……加藤くん?」  行人の片眉が上がった。翔太は慌てて口を開いた。 「あ、えと。えとですね。二年半この職場で働いてきて、自分の得意不得意が分かってきたので、たくさんある業務の中から、スピードでこなすもの、注力するものの区別がついてきたんですね。で、西川係長は尊敬する先輩でもありますし、仕事の進め方を見習って、学ばせていただきたいんですけど」  翔太はそこでひと息ついた。行人も表情を変えず黙って聞いている。不機嫌寄りの無表情だ。 「あの、係長はあまりに優秀すぎて、係長の仕事の進め方をそのまま採り入れるのは自分には無理で。どうお手本にすればいいのか分からず、困っています」  翔太が話し終わると、行人はゴンと音を立てて卓に突っ伏した。翔太の頭はパニックになった。 (こわいよこわいよ。今「ゴンッ」て言ったよー)  行人は「俺、もう限界かもしれん」と呟いた。 「か……係長?」  翔太は身体を屈めて恐る恐る声をかけた。行人は卓の上で声を低めて言った。 「だからさ、お前は俺を何度殺せば気が済むワケ?」 「ええっ!? 今のも? 今のどこがですか? 全部マジなんですけど」 「だ・か・ら! そーいうところだよ」  行人は身を起こした。顔が真っ赤だ。 (かーわーいいー! ユキさんこそ、そんなに可愛いひとなんだぁ)  翔太は真っ赤な顔を片手で隠すようにして目をそらしている行人が可愛くて可愛くて、この場で抱きしめたくなるのを必死にこらえた。 (そうか。職場でユキさんがムリヤリこらえているのって、こういう気持ちなのか)  行人はコホンと咳払いして、ほんのり頬を染めたまま、無表情に戻って言った。 「分かりました。わたしの指導内容が加藤くんには分かりにくいと。では今後は、加藤くんが応用しやすいように、手順や意義目的だけでなく、タスクを細かく要素分解してお伝えするようにします」  行人はそこで手許のファイルを閉じた。 「では、これで加藤くんの面談を終了します。次は内海さんを呼んでください」  翔太は立ち上がって一礼した。 「ありがとうございました」    翔太が係へ戻ると、原田がビミョーな表情をしていた。原田は翔太に気付くと、 「おー、加藤。どうだった?」 と訊いてきた。 「どうって、普通ですよ」  翔太がそう答えると、原田は大げさに首を振った。 「いやいや、お前の評価じゃなくて。あいつだよ、西川係長」 「は? 係長が何です?」  原田は翔太と入れ替わりに内海がブースへ向かうのを横目で見て、一瞬黙った。 (これか……)  翔太はピンと来た。「何か飲みます?」と原田を誘って、ふたり分の飲みものを用意した。  カップを手にした原田に、翔太は水を向けた。 「で? 係長が何です?」  原田はカップを掲げて翔太に礼の意を伝えてから、コーヒーをひと口すすり、おもむろに言った。 「ウワサだけどさ……、西川のヤツ、辞めるらしいぞ」 「え?」  部屋の照明が一段暗くなった。  翔太は周囲を見回した。誰もとくに何も反応していない。暗くなったのは自分の視界だけのようだ。原田は得意げに自分の知り得た情報を語った。 「秋津物産から、あいつに引き抜きの話が来ているらしい。アサヅカの得意分野や経営上の弱点を知り抜いていて、社長ともツーカーのあいつを引き抜けば、秋津も仕事がやりやすいだろうし」  そうだろうか。翔太は原田の話の内容を吟味した。  全国区の秋津の立場から考えてみる。いくら仕事ができるとはいえ、地方の食品メーカーの営業を引き抜くメリットはあるか。秋津物産において、アサヅカフーズとの取引額は、全取引の何%にもならない。翔太の懐疑に気付かず、原田は得々として続けた。 「西川にしてからが、一弱小メーカーで営業してるより、直接飲食店と接触する機会の多い卸の方が、実力を発揮しやすいだろ。あいつの営業パターンなら」  その部分は同感だ。翔太は曖昧にうなずいた。行人の営業力を活かすなら、メーカーより卸の方が適任かもしれない。 「なあ加藤、お前もさ、あの西川にはキラわれてるっつーか、ずいぶん圧かけられてキツイよな。あいつが早くどっか行くように、お互い情報交換していこうぜ」  翔太と原田が知り得たことを共有すると、行人がより早く社を辞めることにつながるだろうか。単純に翔太は疑問に思ったが、原田にそれを指摘することは避けた。  手の中のコーヒーが冷めていた。翔太はそれをくぴりと一気に飲み干した。  内海がブースから戻ってきた。原田は内海にも同じように尋ねた。 「どうだった?」 「普通ですよ」 「いやいや……」  翔太はカップを片付けに席を立った。
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