7、もうちょっとだけ、夢を見させて-3

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7、もうちょっとだけ、夢を見させて-3

 海辺のリゾートホテルだった。周囲には海とサトウキビ畑が広がるのみ。さわさわと風が頬を撫でていく。風が冷たくないなんて、さすが南国だ。  ホテルの屋外プールを抜けると、その向こうはビーチだった。数組の客が同じように散策している。はしゃぐ子供もいるし、男性グループもいる。サンダルを履いてくればよかったと翔太は思った。スニーカーに砂が入る。行人がその様子に目ざとく気付いた。 「砂、入っちゃった?」 「ええ」 「靴脱いじゃいなよ。はい」  行人は翔太の前に膝をついた。翔太は迷った。「ほら早く」と行人に促され、恐る恐る行人の肩に手をかけた。片足を靴から抜き出そうとしたとき、行人が手早く翔太のスニーカーとソックスを脱がせた。もう片方も同じようにした。 「ほら、これで大丈夫。安心してその辺走っておいで」  行人は笑った。翔太は照れくさくて下を向いた。 「その辺って……。犬じゃないんですから」  行人は嬉しそうに「あはは……」と笑った。  ガジュマルの大木の下で、海からの風に吹かれた。見上げると、北国から出たことのない翔太にそれは奇景だった。どこからどこまでが木としての個体か、区切りがよく分からない。翔太の育った地域に、こんな植物はないものだ。 「すごいですね……」 「うん。神サマの木だってよ」 「神サマ?」 「うん。人間を見守ってるんだって」  ホントかどうか分からない行人の言葉も、翔太の耳には美しい物語に聴こえる。翔太は隣の行人の顔を見た。 (ユキさん……)  行人は翔太の脱いだ靴を大事に抱えて言った。 「そろそろ戻ろっか。もうすぐ夕食だ」  翔太は「はい」と答え、こくりとうなずいた。  沖縄料理は初めてだったが、翔太の好みを完璧に把握している行人が、いつものように絶妙のバランスで注文してくれていた。 「カンパーイ」  オリオンビールで乾杯すると、最初のひと皿がやってきた。 「ユキさん、これ何ですか?」  肉は肉だろうが、いわゆる筋肉ではない。色はこんがりきつね色で、ツヤツヤとゼラチン質が細く刻まれている。 「食ってみ」 「はい、いただきます」  翔太はプルプルを口に入れた。見た目よりコリコリと歯応えがある。添えられたキュウリとの対比もいい。 「うまーい。軟骨ですね。豚……ですよね、沖縄ですもんね。えー、どこだろ」  翔太も随分食品に詳しくなったものだ。行人は「当ててみ」と笑っている。 「えー、降参です。どこですか」 「耳。中華料理の前菜にもあるよな」 「へええ。うまいもんですね。ビールが進みそう」  翔太はそう言ってビールをひと口飲んだ。  ホテル内にはレストランがいくつかあり、一夜目はその中で地元料理の店を選んだ。ホテルの外に食べに出る選択肢もあるが、レンタカーで出れば酒はダメだし、タクシーに乗って数キロ行くのも面倒だしで、まずはホテル内でのんびり食事することにしたのだ。翔太は店内を見回した。家族連れが数組、後は若めのカップル、定年後らしい夫婦連れ。 「明日はどこ行こっか」  行人が言った。 「俺、水族館行ってみたいです」 「ああ、いいね。じゃあ、明日はまず水族館まで行って、景色のよさそうなとこに寄りながら、ゆっくり戻ってこよう」  翔太は豆腐料理に手を伸ばしながら言った。 「……ユキさんは? どこに行きたいですか?」 「俺?」  行人は意外そうに目を丸くした。翔太はうなずいて、行人の答えを待った。 「そうだなあ。どっかの昼でソーキそば食いたいな」 「それだけですか?」 「うーん。俺らふたりだと、職場に土産買ってくってのもナンだし。だから買いものとかも別にいいしなあ」  翔太は不思議に思って訊いた。 「じゃあ、ユキさん、どうして『沖縄行こう』なんて思ったんですか?」  行人はビールのコップを傾けて、そして言った。 「ショウちゃんの水着姿、可愛いかなと思って」 「え」 「それと、暖かいところでショウちゃんを独り占めしたかったのと、ショウちゃんがあちこち見て喜んでるのを見たかったのと」  行人は楽しそうに指折り数える。翔太はその指を軽く握って遮った。 「分かりました。分かりましたから。もう止めて」  翔太の頬が熱くなる。行人が不服そうに唇をとがらせた。 「何だよう。訊くから答えたんじゃん」  恥ずかしい……。翔太はチャンプルーをぐわっと口に放り込んだ。  札幌からこれだけ離れれば、知り合いに見られる心配なく、外を歩ける。行人と付き合っていることは、できれば仕事関係のひとには知られたくない。さっきホテルの周りを歩いてみて、かなりリラックスできる場所だと分かった。誘ってくれた行人には、感謝だ。  食事が終わり、ホテルの売店を冷やかして、リゾートホテルの長い廊下をふたりで歩いた。売店には翔太たちと同じような男性ふたり連れもいて、売店のひとの振る舞いも自然だった。変にひと目を気にして身体を離したり、ここではしなくていいようだった。  売店で、翔太はウミガメを象ったぬいぐるみを発見した。何色かのウミガメを見ているうちに、その中の一体と目が合ってしまった。翔太はしばらく固まったあと、そっと陳列棚からその一体を取り上げた。ぬいぐるみを大事に両手で捧げ持ち、じっと見つめているその姿を見て、行人が背後で震えていた。 「ショウちゃん……!!」  店頭のこと、行人は叫び出したいのを必死にこらえている。 「え? 何。何ですかユキさん。俺、またヘンなことしてました?」  行人は勢いよく首を振った。 「ヘンじゃないよショウちゃん……!」  行人は一歩近づいて、翔太の肩越しにぬいぐるみを見た。 「ショウちゃん、そのコのこと、気に入ったの?」 「へ?」  翔太は自分が何をしていたか気付き、慌ててぬいぐるみを棚に戻した。 「いや、別にこれは」  行人はくすりと笑って、翔太が棚に戻したウミガメを手に取った。 「いいんだよ。ショウちゃんはショウちゃんのしたいようにして」 「……はあ」  行人はぬいぐるみを持ってレジへ向かった。 「このコは連れて帰ろう。沖縄のお土産だよ」  先に廊下へ出て待っていた翔太に、行人は「はい」と笑ってぬいぐるみを手渡した。 「ありがとう……ございます……」  翔太は子供のようにぬいぐるみを胸に抱き、行人に礼を言った。  行人は笑って翔太の頭をポンと撫で、ゆっくりと廊下を歩き出した。 (ええーーっ。どうしよう。ユキさん、いつにも増して優しい)  翔太は胸に抱いたぬいぐるみの手触りを確かめた。 (これ、たとえば菜摘ちゃんに話したら、グーで殴られそうに幸せだよね)  ずっと独りで生きていくんだと思っていた。誰にも顧みられることなく、社会の隅で、普通のひとを装って生きていくのだと覚悟していた。なのに。  行人の背中が、目の前にある。 (幸せ……)  翔太は胸のぬいぐるみを抱きしめた。 (俺、今、ホントに幸せだ) 「ユキさん、俺……」 「ん? 何?」  エントランスのロビーでは、宿に戻ってきたグループがフロントで賑やかにやり取りしている。ロビー脇のラウンジには、キレイな色のカクテルが載った案内ボード。 「俺は、ユキさんに何ができますか?」 「どういうこと?」 「……俺、できること、何にもなくて」  翔太は下を向いた。 「ユキさんは俺にこんなにしてくれるのに、俺、何にも返せないじゃないですか。だから……」 「返すって、何を」 「ユキさんに、こんなに優しくしてもらって、いいのかなって……」 「ショウちゃん……」 「前にユキさん、社長に言ってたでしょ? 『係長職から外してくれ』って。俺、つまんない人間だし、要領悪いし、物忘れも多いし、育てようのないダメ部下じゃないですか。だから、ユキさんには申し訳なくて。俺なんかの面倒を看させられるんじゃあ、係長職なんてやってられないんだろうなって」 「ショウちゃん、俺のこと、どう思ってるの?」 「尊敬してますよ」  翔太は歩きながらそう言った。気付くと隣に行人はいなかった。翔太は振り返った。数歩後ろで、行人は立ち止まっていた。 「ユキさん? どうかしましたか?」  翔太は声をかけた。行人は首を振った。 「何でもない」  廊下の間接照明のせいか、行人の表情はよく見えなかった。 「んん……」  部屋に戻ってカギをかけるなり、行人は翔太の唇にキスをした。翔太は一瞬驚いたが、抵抗せずに口を開いた。翔太は買ってもらったばかりのぬいぐるみを床に落とさないよう、注意深く抱え直した。  行人が唇を離した。翔太の大好きな行人の瞳が、翔太をのぞき込んでいた。 「ショウちゃん、一緒にお風呂入ろうか」 「え……」  翔太が答えに詰まっていると、行人は気をつかったのか翔太に尋ねた。 「お風呂は嫌? じゃあ、どうしたい? ショウちゃんのしたいようにしてあげる」 「ユキさん……」  翔太は立ちふさがる行人の身体を避けて、机の上にぬいぐるみをそっと置いた。行人は冷蔵庫から水を取り出し、ぐびりと飲んだ。 「ごめんな。俺、重いよな」  行人はペットボトルを持ったまま、バーカウンターに向かって言った。 「ユキさん」 「嫌になったら言ってくれ。そうでもないと、俺、止まらないから」  翔太は振り返った。 「ユキさん!?」  恥ずかしくて、照れくさくて、行人の腕から逃げていた。だが、嫌になったことなど一度もない。翔太は――。 「嫌になんかなりません。だって、俺……」  行人は手にしたペットボトルから目を上げない。翔太は行人のシャツの背中をキュッと握った。握った指が少し震えた。 「今日は俺、ユキさんにいっぱい抱かれたいです。支度、しますから、待っててください。済んだら呼びますから」  恥ずかしくて恥ずかしくて、でも翔太はがんばってこれだけ言った。行人は翔太のそう言った声も震えているのに気付いたか、ようやく振り返って翔太の腰に腕を回した。翔太は行人の頬に軽く唇を触れ、風呂場に入った。 (恥ずかしい……。でも俺、ちゃんとできた?)  行人の望むことをしてやれただろうか。行人を悦ばせることを。  バスタブに湯を張りながら、翔太は身を清めた。
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