2、はい、俺、営業向いてません!-1

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2、はい、俺、営業向いてません!-1

 二十二歳。翔太、入社式。  翔太はおどおどしながら事務所棟三階の会議室に入っていった。廊下の受付台で名前を聞かれ、 「加藤翔太さん、マーケティング部営業一課一係。上長は西川行人係長です」 と優しげに、だが一方的に言い渡された。翔太は口の中で「はい」と答えるしかなかった。  狭い会議室には、三名の新入社員と、それを迎える側のおじさんたち。翔太は辺りを観察した。 「おじさんたち」とひとくくりにした中に、細身の青年がひとりだけ混じっていた。すらっと上背があってイケメンだ。こんな地方の食品会社に、こんなパリッとしたひとがいるなんて驚きだ。  若いけれども、妙にこなれた雰囲気から、新入社員ではないと感じられた。背の低い、人懐っこい丸顔のおじさんとしゃべっている。丸顔のおじさんは五十がらみで、作業着だ。ふたりの会話を聞くともなしに聞いていると、話の内容は分からないが、丸顔のおじさんがボケをかまし、若いイケメンの方が遠慮なくツッコんでいるようだった。 (楽しそうな雰囲気の会社……と判断して、いいのかな)  翔太は胸を撫で下ろした。  式が始まり、中央には翔太たち新入社員が、壁際には役員を含めた既存社員が並んだ。司会進行に名を呼ばれた役員が、翔太たち新入社員に辞令を手渡す。「社長挨拶」と司会が告げて、中央に歩み出たのは、イケメンにツッコまれていた丸顔のおじさんだった。 (社長……!)  面接で会ったときにはスーツだったので、分からなかった。そうだ。ここはメーカーだったんだと翔太は実感した。  そして、気になるのは、さっきの若いひと。  しゃべっていたあの雰囲気から、社長からかなり信頼されていると判断できる。かといって、あの若さでは役員ではなかろう。社長の身内で、若いけれども役付で、次期社長的なポジション。そんな感じだろうか。  翔太はイケメンを横目で見た。見れば見るほどカッコいい。細身の身体にピッタリ合った茶系のスーツ。ただ細いだけでなく、均整の取れた筋肉を感じさせる質感だ。  翔太は女の子に興味がなかった。だが、容姿にも自信なく、引っ込み思案の翔太には、自分の性向を自覚したところで、行動に出る機会はなかった。高校まで住んでいた地元は人口十万そこそこの田舎だったし、大学に上がってこの街へ出てきたが、周囲に打ち明け話のできる友人はいなかった。ほんのりと淡い気持ちを感じたひとはいたが、目の前をゆっくり過ぎ去っていく景色のようなものだった。  とくにそれで不都合はなかった。翔太は、多分一生、ひとりで生きていくだろう。ほかのたくさんの独身者と同じように。  式の最後は、三名の新入社員それぞれに、それぞれの上長から名札を手渡される儀式だ。既存社員の列から新入社員の人数分おじさんたちが歩き出す。 「西川です。よろしく」  翔太は思わず息を呑んだ。  翔太の目の前に歩いてきたのは、ついつい目で追ってしまっていたあの彼だったからだ。  式の間中、誰にも気付かれないよう注意しながらずっと見ていたあのイケメンが、翔太にそっけなく名札を手渡した。社長と話していたときとは打って変わって、歯が痛いのをこらえているような仏頂面で。翔太と目があったのもほんの一瞬。  慌てて翔太が自己紹介しようとするのを遮り、彼は言った。 「付いてきて」  素早く踵を返して会議室を出ていく彼に置いていかれないよう、翔太は必死で後を追った。  それが始まりだった。  行人は入社三年目の二十五歳。初めて持つ新入社員が翔太だった。    行人はモーレツに自分の仕事を翔太に教え込んでいった。  入社後数週間を経るうちに、翔太にも少しずつ社内の状況が呑み込めてきた。翔太の属するマーケティング部は、この四月に大きく再編されてできた部署だった。  それまでは「営業部」の名前で、中途採用を採っても採っても辞められる弱小部署だったらしい。入れ替わりが激しすぎて、誰が何を担当するという区割りも不明確だったのを、業務用食品の係が卸を担当、少数ながら一定の売上を確保している家庭用調味料は別の係が担当し、取引先のブランド名で製造・納入するOEM生産商品の受注のために営業二課が新設された。それとともに、それまで手の空いたものがやっていた販促物の制作を、専門の部署として企画課を作り、片手間ではなく本業として取り組めるようにした。  これで、全国規模の大企業にはじき飛ばされることなく、戦っていく体制ができた。変化を嫌う古株社員はイマイチ付いてこられていないようだが、やる気のある若手は、この変化を歓迎し、大いにモチベーションをアップさせている。「若手」といっても地方のメーカーのこと、四十代くらいまでの社員を指す。   この再編は、工場長を始め、製造の方面からは評判がよくない。マーケットのリアルな状況に触れる機会のない職人集団だけに、技術力だけでは食べていけない今の時代を、まだ肌で感じるには到らないのかもしれない。  行人の営業一課一係には、翔太のほかにもうひとり先輩社員、原田がいた。原田は独り立ちして、全国展開の食品卸「秋津物産」を中心に、手堅いセールスをしていた。黙っていても売上が取れる大手ではあるが、大手なだけに取引先も広い。その中で、振り落とされないようにしなければならないのだが、原田は現状の数字に満足して、さらなる売上拡大にあまり熱心ではない。冒険をしない分、失敗もない。原田の野心は、歳下の上司である行人を追い落とす方向へ向かっている。  一方、行人の持っていた担当社は、地元の卸「モリノー」がメインだった。モリノーは従来のルートセールススタイルで、注文が入った品を届けるのが主な業務。販売力や提案力は高くない。その分、個別の取引先である飲食店に小まめに顔を出し、提案営業を積み重ねていくやり方で、行人は大きな数字を作っていた。最近では、逆にモリノーの方から、行人の提案営業のスタイルを学ぼうとしているようだった。  行人は相変わらずの仏頂面のまま、営業先に翔太を同行させた。ついこの間まで真面目なだけが取り柄の学生だった翔太にとって、居酒屋やラウンジの裏側は驚くことばかりだった。一番驚いたのは、そこで供されるフードメニューが、そこで作られているとは限らないということ。今や既製の惣菜類で、ちょっとした小料理屋なら開けてしまう。そして、その惣菜を製造・販売していくのが、翔太たちアサヅカフーズのような食品メーカーなのだった。  行人は見た目が垢抜けているし、肩に力の入らない軽妙なトークで、個店営業では行く先々で歓迎されていた。ランチ営業主体のカフェや気軽な居酒屋もうまくこなしていたが、なかでも行人が得意なのは、夜の街の、ちょっと気の張る社交の店だった。翔太の給料では、席に着くことすら気の引けるハイソなお店だ。 「あら、西くん、また来たの?」  柔らかな間接照明に浮かぶ扉を開けると、サーモンピンクのカクテルドレスに身を包んだ女性がふっと笑ってこちらを見た。結い上げた髪には生花を飾っている。歳の頃は三十歳くらいか。翔太は挨拶もできず入り口で凍りついた。  行人はさらりとカウンターの前へ進み、 「『また』だなんて。前回寄らせていただいてから、もう二ヶ月経ちますよ」 と軽口を叩いて数枚の書類を拡げた。 「あら、そうだったかしら」ととぼける女性は、多分ママさんなんだろう。行人は前回の訪店から数割上がった仕入額に礼を言い、季節柄これから出るようになるメニューを提案した。 「あ、ごちそうさまです」  バーテンが脇からすっとウーロン茶を出したのに、行人は礼を言った。バーテンがグラスを二つ並べたので、ママは戸口を振り返った。 「あら。新人さん?」 「失礼しました。今日は見学ですよ。まだちょっと、海のものとも山のものともつきませんで」  行人はそう説明するばかりで、翔太のことを呼びもしない。だが、見つかってしまったのなら挨拶しなければならない。翔太は習った通りにギクシャクと名刺を出した。  こうした店は厨房設備は手薄だが、ちょっと気の利いたものが出せると売上が上がる。込み入った話をするために、会食の席ではあまり腹にものを入れられなかった常連客に、軽い夜食も提供したい。  どこの店でも行人は、キレイに着飾った女性たちを前に、臆することなくテキパキと商品の紹介をした。開店前の慌ただしい時間でも、不思議と行人は嫌われず、概ね話を聞いてもらえ、注文書にバッチリ数字を書き入れて店を出る。これを翌日モリノーにFAXして完了だ。  行人の簡潔な説明に、ママはバーテンと少し相談して注文を決めた。 「いつも助かるわ。またお願いね、西くん」 「ありがとうございます」  帰り際も行人は、丁寧ではあるが軽めの挨拶で店を出た。  通りへ出ると、行人は翔太が同行していたことなど忘れたかのように、振り返りもせず街を歩いた。翔太は置いていかれないように黙って後をついて歩く。次の店でも同じ儀式が繰り返される。  たまに、唐突に、行人の解説が入ることもある。大抵はぶっきらぼうな質問から始まる。「今の店で、俺ああ言ったけど、意味分かった?」とか、「さっきはあえて商品の話をしなかったけど、どうしてだと思う?」などだ。  予期せぬ質問に翔太がオロオロして口ごもると、行人は相手の気持ちの動きをどう読んだか、相手との良好な関係を保つためにどう判断したか、詳しく説明してくれる。ただし、真っ直ぐ前を向いたまま。 (営業は心理戦なんだな)  翔太は気が遠くなる。 (いつか、俺にもできるようになるんだろうか……)  行人の営業スタイルは、多くの営業マンの参考になるだろう。だが、自分はそのノウハウの一部でも、習得できる気がしない。  いつも行人は翔太の方を見ない。そっぽを向いたままの上司の背中は、翔太に(仕事だから説明してるけど、キミができるようになるとは思ってないよ)とでも言っているようだった。実際のところは分からない。だが翔太にはそう思えて、がっかりした。  ラウンジで、仕事着のお姐さま方相手に見劣りしない、行人のキレイな立ち居振る舞いを見られる楽しみがなければ、なかなかに耐えがたい苦行だった。    行人が翔太に教え込もうとしたのは、営業だけではない。  それを支える、数字の付け方・読み方。季節と売れるものの関係。社内での情報の流れと、効率のよい仕事の進め方。  例えば行人は、工場に何か言うとき、直接問い合わせるようなことはしない。課長経由でマーケティング部の浅井部長か、急ぎなら頭越しで社長から問い合わせてもらう。自分が前面に立てば、自分に心証の悪い工場が協力しないし、職人たちは自分の仕事のペースを他から強要されることを嫌うからだ。 「まあ、ひとにはそのひとなりのプライドがあるってことだ。そのプライドさえ傷付けなければ、案外共生できるもんさ」  取引先が地元企業の周年パーティを受注して、普段とケタ違いの納品量が必要になったとき、行人はそうやってイレギュラーな生産計画を工場に受け入れさせた。取引先は地元の大きな和食店だったが、二次会のラウンジも含め、行人がメニューから提案して成った数字だった。が、工場は行人が取ってきた仕事だと聞けばいい顔はしないだろう。  行人は、その和食店とラウンジを経営する市内の実業家とアサヅカの社長との親交を盾にする作戦を立てた。行人は翔太を連れて社長室へ乗り込んだ。 「社長、ちょっといいですか? 今から工場に電話してもらえます?」 「え? なになに西川くん、何が始まるの?」 「いいから、俺が言った通りに言ってくださいよ。そしたら来月粗利だけで四十万プラスしてあげます。それ以降もコンスタントに毎月十万」  行人が翔太に教えたのは、あるイベントで提供する惣菜を納入したら、それ以降も使ってもらえるように、その後の提案がキモだということ。 「イベントなんかで売上のピークを作ったら、その後それを財産にして活かすのが大事。終わって終了だったら、そのとき忙しいだけ損だから。それだと本当に工場に負担をかけるだけになる」  社長が直接工場長に電話をかけると、簡単に話が進むのも見た。なるほど、組織とはこのようにして動いていくのだと翔太は身をもって知った。  行人は自分の仕事をこなしながら、翔太に営業の仕事を教え込んでいったが、翔太には気になることがひとつあった。  仕事中、行人と目が合うことがないのだ。  仕事の話はするが雑談は一切ないし、笑顔を向けられることもない。他のメンバーとは、そこそこ笑ってくだらない話もするというのに。 (俺、嫌われてるのかな)  嫌われているならしようがないかと翔太は思った。行人はバリバリ仕事をこなす有能なタイプだが、それに引き替え自分は物覚えも悪いし、要領がよい方でもない。毎日行人に教えられる仕事をこなすのだけで精一杯だ。 (打っても響くタイプじゃないし、仕事だから教えはするけど、内心うんざりしてるんだろうな)  嬉しいことではないが、自分の能力が理由ならしようがない。時間内、教えられた業務に必死に取り組むだけだ。
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