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9、ふつつかものですが、愛してます-2
行人に「行きます」と返事して、身の回りのものだけを荷造りした。それと、預かっていた行人の着替えと。段ボール箱三箱を、熱の下がった行人が借りてきたレンタカーに積み込んで、広い3LDKに運び入れた。
レンタカーを返しにいく行人に、部屋で荷解きしているかと聞かれたが、翔太は行人にくっついて一緒に行った。地下鉄駅のすぐ側のレンタカーはマンションからは徒歩六、七分。マンションからはJRの駅も近く、こちらは逆方向に徒歩五分、ダブルアクセスだ。何て便利な立地だろう。
帰りに近所のスーパーへ寄った。地下のサービスカウンターで、翔太が専門店の焼き菓子を選んだ。一係のメンバーへ、行人の休んだお詫びの品だ。
マンションに戻り、靴を脱いだところで、行人は改まってこう言った。
「ショウちゃん。いらっしゃい。よく来たね」
翔太も、いつ言おうかとタイミングを探していた言葉を口にした。
「ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」
三つ指突きたいくらいのセリフだが、さすがにそれは時代錯誤というか、ポリコレ的にいろんな意味でアレだというか。とりあえず頭だけは深々と下げた翔太を、行人がギュッと抱きしめた。
「ショウちゃん。俺、大事にするから。ショウちゃんのこと、ずっとずっと、大事にするから」
翔太は何も言えなくなった。黙ったまま、そっと行人の肩に頭を載せた。行人の身体は温かかった。今日のこの体温を、自分はきっと忘れないだろうと翔太は思った。ゆっくりと翔太も行人の背中に腕を回した。この体温は、今日から本当に、翔太のものだ。
抱き合ったまましばらくして、行人は腕を緩めると、嬉しそうにふふと笑った。(ああ、このひと、今すごく幸せなんだな)と翔太は思った。多分、翔太も同じ顔をしている。
空き部屋のひとつに段ボールを運び入れ、作り付けのクローゼットにテキトーにしまって作業終了だ。翔太は一緒に連れてきたぬいぐるみのうーちゃんを、台所のカウンターの端に置いた。夕食の支度をしていた行人が言った。
「ショウちゃん、うーちゃんそこに置いたら、台所の油ハネで汚れちゃうよ」
「うん、そうなんだけど……」
翔太は恥ずかしさに目を伏せたが、意を決して顔を上げた。自分の思いは口にしないと。行人に伝わる言葉で。これからは一緒に暮らすのだから。
「ユキのとこに来るって、うーちゃんと相談して決めたから。今日だけうーちゃんに立会人になってもらう」
「立会人?」
「うん……」
行人が夕食の皿を、腕を伸ばしてカウンターに置くのを待って、翔太は言った。
「今夜は……結婚式、みたいなものでしょ? 俺たちの……」
行人はガクリと流しに頭を突っ込んだ。
「……ユキ? どうしたの? また俺、ヘンなこと言った?」
翔太は慌ててアイランドキッチンを回りこみ、震える行人の肩をさすった。
「お前ぇ……」
行人は流しの縁を握りしめて小さく言った。聞き漏らすまいと翔太は耳を近付けた。
「何?」
行人は翔太の胴体にタックルした。
「わっ!」
翔太は床に倒れ込んだ。
「どうしてそんなにカワイイんだよ! 今のはマジで俺死にそうになったわ。困る! 可愛すぎ! 息ができない」
フローリングに押し倒されたようになって、翔太はドキドキした。行人の顔がすぐ近くにある。
「初日からこんなんじゃ、じきに本当に死んじゃうかも……」
唇が触れ合った。行人のキスは、いつも翔太から正気を奪い去る。胸が、全身が熱くなる。
「ん……」
翔太の指は行人のセーターを握りしめた。長い短いキスのあと、行人が翔太の唇の上で言った。
「ごめんショウちゃん。お腹、空いてたよね」
翔太は指を解いて深呼吸した。身体の内側で揺らめきだした炎を鎮める。
「せっかくの食事が冷めちゃうね。ユキ、何かおいしいものを作ってくれたんでしょ?」
行人は、今日はずっと笑っている。嬉しそうに、幸せそうに。翔太は自分の存在が、行人をこんなに喜ばせられることに驚いていた。翔太は、先に起き上がった行人が差し伸べた手を取り、立ち上がった。照れくさくて、ちょっと下を向いて席に着く。
カウンターにはビーフシチューにサラダ、バゲットが並んでいた。それから乾杯用の赤ワイン。お祝いだ。カウンターの上には暖色のライトが点いて、食事がとてもおいしく見える。ブツ撮りに使ってもよさそうな環境だと翔太は思った。この三年で、すっかり業界の発想になったものだ。
「ユキ、これ、『ブフ・ブルギニョン』だね」
「ああ。分かった?」
「そりゃもちろん。『Pro'sキッチン』立ち上げたとき、ユキよく言ってたもん。そのくらいの本格料理がないとブランドとしてダメなんだって」
牛肉のブルゴーニュ風。高価格ラインナップの稼ぎ頭のひとつになった。だが食卓に並んだこれは、できあいの惣菜ではなく、本物だ。
「おいしい……」
思わず翔太はそう漏らした。行人は嬉しそうに「ホント?」と翔太の顔をのぞき込んだ。この料理は、最低でも六時間はかかる。
「手間と時間がかかったね」
「……うん」
「俺たち、やっとここまで来たね」
「うん」
「ありがとう。ユキのおかげだよ」
翔太はナイフを置いて、傍らの行人の頬にそっと触れた。
「ユキ……」
行人は自分の頬に触れた翔太の手に、自分の手を重ねた。
「ん……?」
翔太の大好きな行人の瞳。大好きな行人の声。行人が、翔太の言葉を待っている。翔太はゆっくり口を開いた。
「ユキ、愛してる」
リビングの照明は落ちていた。軽く開いた寝室の扉から灯りが漏れ、ポロポロと弦を爪弾く音が聞こえた。
翔太は湯上がりの身体に雑にパジャマを引っかけ、漏れくる灯りを頼りに寝室の扉を開けた。行人は上体を伸ばして、いじっていたギターをベッドの向こうの壁に立てかけた。翔太はポンとベッドの上に身体を載せた。
「ユキのギター、聞いたことない」
翔太は行人にそう言った。行人はふっと笑って翔太の手からバスタオルを取り上げ、翔太の髪をパサパサと拭いた。
「ねえ、ユキ」
「今度ね」
行人はドライヤーのスイッチを入れた。翔太は軽く顎を上げて温風に吹かれた。リズミカルに動く行人の長い指が心地よい。
「ちぇー」
翔太は唇を尖らせた。
「焦らなくても、そのうち耳にすることもあるさ。これから俺たち、ずっと一緒だろ」
行人はふふと笑って、翔太の髪を軽く仕上げた。
「はい、できあがり」
「ユキ、……ひとつ聞いてもいい?」
行人は笑って翔太の顔をのぞき込んだ。
「なに?」
「どうして『俺』なの?」
行人の瞳は翔太の魂を残らず吸い込みそうに深かった。
「ショウちゃん……、俺、ショウちゃんが何を言いたいか分かる気する」
翔太の睫毛を、行人の指が軽く、軽く撫であげた。翔太の背骨に微かな電流が走った。翔太ののどから甘く息が漏れた。
行人が唇を開いた。
「俺が昔バンドやってた頃、業界つながりも多少できてさ。俺に近付いてくるヤツなんて、『こいつとつるんでると何かイイ目みられるんじゃないか』って、薄汚れた連中ばっかりで。まあ、俺もひとのこと言えたもんじゃなかったけど」
行人は翔太の肩に両腕を回した。翔太は行人の言葉を聞き逃したくなくて、その胸に倒れ込まないよう顎を引いた。行人はポツポツと話し続けた。
「結局音楽は諦めて就職して。面白くもないけど、死ぬほど嫌って訳でもない。自分にできることを淡々とやるだけ。空っぽだった。あの日まで」
(「あの日」……?)
「あの日って……?」
そう訊いた翔太の声は少しかすれていた。
「ふふっ」
行人は翔太の身体をギュッと抱きしめた。
「またそうやって、分からない振りする。性悪だね」
「んっ……!」
行人は勢いよく翔太の肩に体重を載せた。広いベッドのスプリングが弾んで、翔太の背中を抱きとめた。
(あの日)
翔太は三年前の入社式の日を思い出した。お腹の出た社長の隣で、意地悪そうな笑みで何かと突っ込んでいた、カッコいい男のひと。あんなひとが上司だったらと思って眺めていたら、式が終わって翔太に名札を渡しに近付いてきたのはそのひとだった。そっぽを向いて、先にスタスタ歩いていった行人の気持ちが何だったのか。翔太も今ならそれを知っている。
あのときから、ずっと。
(このひとは、俺のこと、好きなんだな)
そしてそれは翔太も同じ。
(このひとに出会えて、よかった)
翔太は行人の首に腕を回してその唇を引き寄せた。行人はキスにゆっくり時間をかけて、翔太を朦朧とさせた。身体中の血が沸騰して、翔太はもう引き返せなくなる。ほかのひとの唇を翔太は知らない。行人に慣らされた快楽の扉が、開く。
「ショウちゃん、分かってると思うけど」
「……え……?」
苦しい息の下、翔太は耳許に吹きこまれる行人のささやきに焦らされた。
「ここは角部屋。そっちはリビング。そっちはショウちゃんが荷物を入れた部屋。この物件、上下の防音もバッチリだから」
行人の声は笑いを含んで甘い。待ちきれなくて、翔太ののどが鳴る。
「んん……」
「もう、こらえなくて、いいから。声、聴かせて」
狭い翔太の木造アパートではできなかったあれこれ。これからは何の遠慮もせずに、そうしよう。
広いベッドにぐったりと脱力する翔太の傍らで、行人が枕に肘を突いた。
「ショウちゃん……のど乾かない?」
「え……?」
翔太は自分ののどを押さえた。風邪を引いたのとは違う違和感に咳が出た。
「ケホ、ケホ……あー、なんか、声出ない」
行人は立ち上がった。冷蔵庫からペットボトルの水を持ってきて、翔太の頬に当てた。冷たくて思わず片目をつぶる翔太を、嬉しそうにのぞきこむ。
「叫びすぎて、嗄れちゃったんじゃない? ……すっごいカワイイ声だった」
「ユキ!」
翔太は行人の手からペットボトルを引ったくり、荒っぽく中身をグビリと飲んだ。恥ずかしくて行人の顔を見られなかった。翔太はそっぽを向いたまま、膝を抱えてベッドの上に座り込んだ。
「ショウちゃん、アノとき、俺にしがみついて『ユキさん』って呼んだね」
「ユ……ユキっ!?」
焦って振り返ったため、ペットボトルの水がこぼれそうになった。行人はぼやいた。
「『ユキさん』の方が感じるのかなあ。だったら、『さん』付けのままにしておけばよかったかな」
翔太は唇をかんだまま絶句した。
「――――っ」
「あははっ、ショウちゃん、顔真っ赤!」
行人は翔太の裸の身体を抱きしめた。
「二年も付き合ってるのに、そんなに初々しい反応……。どこまでカワイければ気が済むんだ」
「ユ、ユキ……」
「ホント、ショウちゃん、性質悪い。俺をどこまで翻弄すれば気が済むの?」
そんな、翻弄だなんて。
「……そんな、翻弄だなんて。むしろユキの方が、俺を……」
翔太は熱い自分の頬を手の甲でこすりながら言った。
どっちがどっちでも、もうどうだっていい。
この虚脱も痺れも、嗄れたのども。
翔太の身体に腕を回して寝息を立てる行人も。
ようやくたどり着いた翔太の幸せ。
手に入れた、最高の幸せだった。
※※ご愛読ありがとうございました※※
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