2、はい、俺、営業向いてません!-2

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2、はい、俺、営業向いてません!-2

 毎日の情報量が膨大で、体力には自信がある方だった翔太も、数週間でさすがに疲れてきた。毎日部屋へ帰れば、自炊する元気もなく、コンビニに寄って弁当を買ってくるしかない。味気ないが、新入社員の給料では、たびたび外食もできない。  昼も近くのコンビニで、なるべく野菜の入った弁当を買うようにしていた翔太だったが、脳みそが疲れるのか、甘いモノが食べたくなった。学生時代は金がなく、菓子類はあまり買わなかったが、昼休みのコンビニスイーツが楽しみになった。  ある日の昼、翔太は買いものから戻って机に昼飯を拡げた。焼き魚弁当に、ペットボトルのお茶、それからプリン。プリンは大手食品メーカーのものでなく、コンビニチェーンのレシピのものだ。 「お。加藤、今日はどこのコンビニだ?」  向かいの原田がチェックを入れる。 「最寄りっすよ。昼休みの時間だけじゃ、そんなに遠征できないっす」 「まあな。でも二年も勤めてるとさ、さすがに変わったものが食いたくなるんだよ」  原田は声を張って、行人に声をかけた。 「係長、係長は昼は外へ出ること多いですよね。どこで何食べてきます?」  その日は行人も昼飯に何かを買ってきていた。 「そうですねえ。通りまで出てラーメンか。営業ついでだといろいろですね」  そこから、原田と行人の「どこの何がおいしい」談義が始まった。行人も原田も、会社から地下鉄で帰る方向が同じらしく、ここから一駅先の繁華街の飲食店について、「どこの店の何がおいしい」だの、「あそこの店の板前が辞めて、既製品の惣菜を使うようになった」だの、半ば業務連絡のような情報交換になっていった。翔太の部屋は反対方向で、その街のことは知らない。 (ふーん。係長も、話しかけられればこんなにしゃべるんだ)  プリンおいしい。翔太は聞くともなしにふたりの会話を聞きながら、心の栄養を味わっていた。  行人の素っ気ないが分量の多い指導にも慣れた頃。 「日報お願いします」  翔太はいつものように行人の顔も見ず、係長机のトレイに日報を置いた。見なくても分かっている。無表情で反応なしだ。  疲れていた。今日は何を食べようか。もともと自炊は得意ではないが、就職してから台所に立つ気持ちの余裕が残らない。昼も夜もコンビニで、飽き飽きしていた。  翔太はガランとしたマーケティング部の自分の席で、帰り支度を始めた。隣の島の二係はいつもいないが、その向こうの三係も誰もいない。原田も何か用があるのか、「お先に!」といち早く出ていった。  行く当てのあるひとはいいな。恋人でもいるのかな。翔太がぼんやりとそう思いながらかばんを肩にかけると、係長席を立って行人がやってきた。  行人は無言でチェック後の日報を翔太に突き出した。 「ありがとう……ございます」  直接手渡されるのは初めてだった。翔太は驚いた。行人はそっぽを向いたまま、 「加藤くん、これから何か用事ある?」 と早口で言った。 「別に……ないですけど」 「なら、メシ食ってかない?」  行人は翔太を夕食に誘っているのだ。 「……いい、ですね。行きましょう」  行人は翔太をイタリアンレストランに連れていった。そこは行人の営業先リストには載っていない、翔太の知らない店だった。カジュアルな感じで若い客が多いが、アサヅカフーズの製品は必要なさそうだ。 「加藤くんは、嫌いなものとかある?」  行人はメニューをめくりながら翔太に尋ねた。 「ありません。人間として雑な作りをしてますんで。好き嫌いもありませんし、アレルギーも」  翔太は背筋を伸ばしてそう答えた。何だか緊張していた。仏頂面ばかり見せられている上司と、どんな話をすればよいのだろうか。  行人は翔太の答えに黙り込んだ。下を向いたまま数秒。翔太からその表情は見えない。 (えー。今の何か気に障ったのかな。いちいちキンチョーする!)  行人は軽く咳払いして、再びメニューをめくりだした。何を考えているか分からない上司だ。感情が読めないのが一番厄介だった。 (もう、どうせ好かれてはいないんだし。マジで居づらくなったら辞めるし! 俺は取り繕わないで、素の俺でいくんだ。それでいいんだ)  翔太は開き直った。ここ数週間、繰り返し胸の中で唱えている呪文をまた唱えて。 「じゃ、俺、適当に頼んじゃっていい?」 「はい、お願いします」 「飲みものは? 加藤くん、お酒飲めるの?」 「あー、あんまり得意じゃないですけど、少しなら」 「じゃあ、一杯くらいは頼んじゃおうか」  疲れた脳みそで、何を考えているか分からない上司との食事だ。酒くらい飲まないと緊張で死ぬ。翔太は勧められるままにグラスワインの白を頼んだ。 (へえ。こういう店だと、ビールじゃないんだ)  翔太は改めて店内を見回した。数週間前に大学を卒業したばかりの翔太は、こんな店には縁がなかった。仕事のおかげで、飲食店の雰囲気には少し慣れたが、客として席に着いたことはない。ナイフとフォークでメシを食うのも苦手だ。  ワインが来た。行人が「お疲れさま」と言ってグラスを持ち上げ、翔太の方へ軽く向けた。行人は笑っていた。翔太はドキッとした。行人の端正な顔立ちを、こんな近くで正面から見たのは初めてだった。 (カッコ……いいなぁ……係長)  翔太は内心のため息を隠してグラスを持ち上げ、「お疲れさまです」と返した。ふたつのグラスが触れ合って鈴のような音を立てた。  コンビニ食ばかり食べている翔太の舌に、料理はどれも夢のようにおいしかった。行人のチョイスもセンスよかった。味や食感に変化があって、いいバランスだった。食品メーカーに勤めるだけあって、食に関心が深いのかもしれない。何でもできる優秀なひとだ。 「加藤くんは、学生時代、何かやってたの?」 「中・高とバドミントンをやってました。大学では、とくになにも」 「バドミントン! じゃあ、身体能力高いんだ」 「いえ。自分は動体視力がいいというか、視覚刺激に反応する性質(タチ)なので、それで何とか。ホントの意味での反射神経や身体能力は全然だったので、選手として活躍する側にはなりませんでしたね」 「ふーん。加藤くん、体力はありそうだもんね」 「ああ、体力はそこそこ」  ワインのせいか、口が動くようになってきた。翔太は話の流れを止めないように、勇気を出して訊いてみた。 「係長は? 部活とかサークルとか、何をやってらしたんですか?」 「え、俺?」  行人はホタテを口に運んだフォークをそこで止めた。白い歯がわずかにのぞき、一瞬赤い舌が見えた。翔太の背骨のどこかがきしんだ。 「言っても加藤くん、引かないでね。俺はねえ、高校からずっとバンドやってた」 「バンド!?」 「うん。友だちから誘われて。っつっても、ポップスよりのチャラいヤツね」  しゃべり方も立ち居振る舞いも、とにかくカッコいいひとだと思っていたが、ひと前に立ち慣れているからだったか。ひとから見られること、見せることに慣れている。 「そおかあ。だから係長、いつも何してもカッコいいんですね」  行人の動きがまた止まった。しばらく下を向いたままじっとしていたが、少ししてようやく上げたその顔は赤かった。行人は翔太の視線を避けるように窓の外に目を向けた。翔太はワインのせいか、自分の言動が気に障ったかと案ずることなく、外を眺める行人の顎のラインを眺めていた。美しい、鋭角なラインを。    行人はまた軽く咳払いをして、食事に戻った。  それから行人は、自分の幼い頃のエピソードを、思いつくままにいくつか話した。バンドをやるようになる前は、遊んでばかりいたこと。友人たちとゲームもしたが、一番熱中したのは時計やラジオの分解だったこと。 「家の中で壊れた機械があれば、絶対もらって分解してた。そのうち、逆に何かが壊れたときには俺が疑われるようになっちゃって。『お前が分解して、組み立てに失敗したんじゃないか』って」 「すごいですね。エンジニアになろうとは思わなかったんですか?」 「高校に入ってバンドやって、そこからは音作りにハマっちゃったからね。エフェクターとか選ぶのには役立ったかな。ずっと音楽やってて勉強なんて全くしなかったから、大学入るとき難儀したよ」  行人がこんなにしゃべるのは初めてだった。しかも笑顔で。ソフトな声で高すぎず低すぎず、いつまででも聞いていたい声だった。そんな行人のトークに耳を傾けているのが嬉しかった。翔太は気付いた。 (どうしよう。俺、このひとのこと、好きだ)  リアルで近くにいるひとに恋してしまうのは、生まれて初めてだった。  明日から、職場で、どんな顔をしたらよいのだろう。  翔太は思わず目を閉じた。  同じ。今までと同じだ。  誰とも深く関わらず、ひとりでずっと生きていく。そのことに変わりはないのだから。  いつまででも聞いていたかったが、頼んだ皿はすべて空になった。  地下鉄駅まで一緒に歩き、改札で反対方向のホームへ別れた。  家に帰ってベッドに入っても、翔太の耳の中ではずっと行人の声が聞こえていた。ワインのほろ酔いも手伝って、翔太は幸せな気分で眠りに落ちた。
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