2、はい、俺、営業向いてません!-4

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2、はい、俺、営業向いてません!-4

 行人が頼むというので、お茶と一緒に、紹興酒を頼んでみた。澄んだ茶色い液体の入った小さなグラスで、ふたりは乾杯した。 「お疲れー」 「お疲れさまです」  紹興酒は意外においしかった。翔太はずっと酒は飲まずにきたが、飲まず嫌いだったのかもしれない。 「本式の乾杯は、小さなグラスで、注がれた酒を一気に飲みきって、文字通り『杯を干す』ところまでなんだよ」 「わあ、そりゃ大変そうですね」 「だね。だから中国で営業成績を上げるには、お酒が飲めないとダメだって。俺たちは日本に生まれてラッキーだったな」  行人はそう言って笑った。 (あれ? 俺が営業に向いてないって結論に、なる? この文脈で)  翔太は首をかしげた。が、今日こそは係長の重責からこのひとを解放してあげないといけない。翔太は覚悟を決めていた。  料理が運ばれてきた。スパイシーな香りが鼻腔と胃袋を刺激する。  頼んだ皿にひと通り箸をつけた頃、翔太は勇気を出して口を開いた。 「係長。俺に何か話があるんですよね」  膝の上で握った拳が震える。行人も食べるのを止め、翔太の方を真っ直ぐに見た。 「加藤くん……」 「係長がこの間から、俺をメシに誘ってくれたのも、何か大事なことを話そうとしてなんでしょ」  行人は唇を引き締めた。やはり翔太の推測は当たっていたようだ。 「お願いします。言ってください。俺、何を言われても平気なんで」  嘘だ。平気じゃない。でも、このひとはそうでも言ってやらないと、いつまでも言いたいことを翔太に言えない。  会社を辞めたら、もうこのひとに会うことはない。このキレイな顔や、細い指を見ることはない。翔太の好きな声を聞くことも。涙が出そうになった。翔太の鼻の奥がつんと痛んだ、そのとき。  行人は、深い息をゆっくりと吐いた。呼吸を整えたあと、ゆっくり言った。 「加藤くん。俺、マイノリティなんだ」  え? 「気付かれてたかな。俺、そんなに隠してなかったし。そしてね、もしかして、加藤くんもそうじゃないかと思って」  退職勧告じゃないの? (係長……? 何を……)  黙ったままの翔太をチラと見て、行人は再び口を開いた。 「何のことか分からなかったり、これ以上続きは聞きたくないと思ったら、ここで席を立って欲しい。もう俺は二度とこの話題を持ち出さない」  え……。それって。それって……。  翔太の拳が小刻みに震えた。もしかして、自分はとんでもなく見当違いの覚悟をしていたのだろうか。  しばらく待って、行人は再び大きく息を吐いた。彼は彼で大いに緊張しているようだ。 「立ち上がらないね。じゃあ、続けるよ。加藤くんが毎日可愛くて可愛くて、俺、どうしていいか分からない。でも、職場でそんな気持ち出せないから、ムリに押し隠そうとしてきみに冷たく当たってしまう。余計に厳しくしたり、視線を合わせられなかったり。そんなことしても、きみに嫌われるだけなのに。でも俺、他にどうしようもなくて」 (「可愛い」? 俺が?)  翔太は信じられない。自分の容姿は、そんな表現とは無縁なレベルで、だから。 「もう、気持ちを自分の中だけにとどめておけない。迷惑だったら断って」  行人は、ゆっくり、こう言ったのだ。「きみが好きだ」と。 「係長……?」  翔太の視界で、行人の姿がぼやけて震えた。行人の細い指が近づいて、翔太の頬に触れた。行人の指も震えていた。翔太の頬を伝う涙を拭って、行人は言った。 「俺と付き合って」  翔太の大好きな、行人の声。その声が、信じられない言葉になって、翔太の耳に、胸に届いた。死ぬまでこんな幸運は、自分にはやってこないと諦めていたのに。 「返事は?」  行人は翔太をそっと促した。 「加藤くん?」  翔太の声は湿っていた。 「じゃあ、入社式のとき、係長がいきなり俺に冷たかったのって」 「大卒だって聞いてたのに、高校生みたいなのが、素直な丸い目をパシパシさせて俺を見てて……一瞬で落ちた」 「俺が日報出すとき、全然俺の顔見なくて、下向いたまま『そこ置いてけ』ってやるのも」 「一日俺の異常な指導にも負けずにがんばったんだなと思ったら、ギュッと抱きしめてしまいたくなる」 「係長……ひどいです。もっと早く言ってくださいよ。俺、係長に嫌われてると思って、ホント悲しかったんですよ」   平気だと思うようにしていた。だが、これが翔太の本心だった。自分にも偽っていたことを今知った。翔太は笑った。翔太の泣き笑いの顔を見て、行人の腰が浮いた。「ギュッと抱きしめたくなる」というのは本当らしい。テーブル越しに行人の指が翔太の方に開いて、次の瞬間固く閉じた。  翔太はポケットからハンカチを取り出して、顔を拭き、息を整えた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を、行人が見ている。 「加藤くん、返事は? 俺と付き合ってくれない? 迷ってるんだったらイエスって言って」  軽口を叩くような口調だったが、真剣な瞳が翔太を見ていた。翔太は首を振った。 「迷ってないです」 「加藤くん……」  翔太は目を伏せて、こくんとうなずいた。  行人が座ったまま小さくガッツポーズをした。  料理が冷め始めていた。「食べようか」と行人が優しく笑った。翔太も素直にうなずいて、再び箸を手に取った。  なんだか恥ずかしい。 「『翔太くん』って、呼んでも、いい?」  照れくさそうに行人が言った。翔太がまたうなずくと、行人はテーブルに肘をついて翔太の顔をのぞきこみ、甘えるようにこう言った。 「俺のことも、名前で呼んで」  翔太はドキドキしながら答えた。 「それはちょっと……時間ください。俺にとってはすごい上司なんで」  行人は何度かうなずいた。 「いいよ。でもなるべく早くね」  会計を済ませて外へ出ると、夜風が街路樹の枝を揺らしていた。行人は今日も翔太の財布をしまわせた。 「いつも済みません。ごちそうさまです」  翔太は頭を下げた。行人はそんな翔太の行儀のよさに、嬉しそうに笑って言った。 「いいんだよ。俺、親の家に住んで、家賃かかってないから。翔太くんより暮らしはラクだよ」  翔太がひとり暮らしなことを、行人は知っていた。当然か。上司なら履歴書くらいは確認済だろう。連絡先として記入してあるのが、離れたところの地名だったりすれば。 (親の家)  初めて行人の現在の情報が出てきた。誰かと同棲している線はこれで消えた。翔太はホッとした。  どちらからともなく、夜の道を歩き出した。  夜の街は一帯に広がって、ネオンの灯りと酔客の声。そして。 「昔の俺なら、きっとここで強引に翔太くんをそこらのホテルへ連れ込んでたな」  雑居ビルに混じってラブホテルが点在する歓楽街だ。  翔太は身を固くして立ち止まった。  行人はおかしそうにクスクス笑い、翔太の腕をそっと引いた。 「大丈夫。安心して。今はやらないよ」  翔太が歩き出すと、行人は手を離した。 (バカみたい。俺、昔の生娘みたいな反応して)  翔太はハッとした。自分もまさにそんなものなんじゃないか。誰とも付き合ったことがなくて、もちろん身体の経験もない。初めてリアルに近くにいるひとを好きになって。そして――。 「あ、あの。係長?」 「ん? 何?」  行人が振り向いた。行人の前髪が風に吹かれて目にかかった。触れたい。あの真っ直ぐな髪に。鋭利な頬のラインに。翔太は勇気を振り絞り、言った。 「……明日、俺のウチへ来ませんか?」  行人は「ん?」と翔太の次の言葉を待っている。 「外だと金かかるし、あんまり長居できないし。大したものできないですけど、夕食俺が作りますから。いつもごちそうになっちゃってるお礼もかねて」  明日は土曜、会社は休みだ。 「ダメですか」  翔太は足下を見てそう訊いた。何だか怖くて行人の顔を見られない。ふっと笑ったような気配がして、行人が答えた。 「いいよ。ってか、嬉しい。行くよ」
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