リモート授業 セカンド・ステージ

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
子供部屋 「ニコル、電源を入れなさい。」  パソコンの前に座っている息子は腕組みをし、顔を膨らませながら首を横にふった。今日から在宅勤務になった私は彼の隣に座っていた。 「遅刻扱いになっちゃうぞ。」 「だって、宿題できてないんだもん。」  私は、彼を睨みながらノートブックを開くと、スリープ状態から画面が立ち上がった。 そこには先生の後ろ姿が映っていた。カツカツカツと黒板にチョークを滑らせる音が響いている。息子のブスくれた表情がその画面に映り込んでいる。 「ほら、そんな顔してると素敵なお前が台無しだぞ。笑顔だ。」 「え? 何か言った?」  微笑みながら振り返った先生はドキッとするくらい素敵だった。通信状態が良好とはいえず、彼女が振り返る際にデジタルフリーズしたのもそう見えた一因だったかもしれない。 「ニコル、今日も宿題できてないのね。」 近づいてきた彼女は更に素敵だった。 「まさか、お前、宿題完璧にこなしたことないのか?」 「あ、お父様こんにちは。気にしないでください。クラスの半分以上の子たちはできてないの。量が多すぎるのね。大切なのはやろうと努力すること。ね。」 彼女のウインクの音が、パピーン! と聞こえるようだった。 「みんな、今日も出席してくれてありがとう。さて、今日のテーマは面白いわよ!」 思わず、息子の後ろから覗き込んでいる自分がいた。 「あ、ご両親、ご親族の方は、できれば別なお部屋にどうぞ。ご子息の集中力のためにも。ご協力ありがとうございます。」  爽やかな風が画面から吹き抜けた。私は真っ赤になっている自分に気がついて、息子に軽く手を振りながらあたふたと部屋を出た。ドアは閉めずに。  ふう、自分の仕事も片付けなければ。頭を振ってキッチンで会社のノートブックを開いた。よし! と気合を入れて始めるが、隣の部屋が気になって仕方がない。気になる。 うんうんとうなづく息子の横顔が見える。いやだと言っていたのとは裏腹に楽しそうだ。 ん? 体操? 腕をぐるぐる回している。笑いが漏れている。ますます気になる。ふと息子と目が合った。私は自分の資料に集中するそぶりをしてごまかし・た。 「ブラウン君。」 「は?」 「こちらに集中できていないようだが。何か?」 私は、上司の硬い声に呼び戻された。 「ちょっとお待ちください。」  そっと息子の部屋の扉を閉めた。そして、大きく深呼吸をして会社のリモート会議に没頭した。  教室  私は場所として教室を選択した。リモート授業をするにあたっては、自宅からでも可能とのことだった。でも、自身のモチベーションとして教壇に立つことが、いや、壇上から見下ろすという意味ではなく、教室の空気を感じることが必要不可欠に感じた。たとえそこに生徒達がいなくても。  目の前には小さな一つ目小僧のカメラがいる。無機質。黙ってそれに喋り続ける。少しわがままを言って、子供たちが映るモニターは会議室から拝借した大画面にしてもらった。彼らの表情が分かりやすい。画面の端に映っている自分。笑顔を絶やさないように気をつけないと。子供たちはYOUTUBE世代だから、画面を通じてのやりとりには違和感がないかもしれない。でも、私はそんな世代ではない。どうしたらいいのだろう。  楽しい授業。飽きない授業。実は、そんなことはこれまであまり考えたことがなかった。 元気いっぱいな子供たちの対応で精一杯だった。しかし、ここは見渡したところで空っぽの教室。そこに静かにあるだけの机と椅子。生の子供たちがいないなんて、こんなに寂しとは思ってもいなかった。2次元の画面を見ているとまるで、私は宇宙空間にいるロケットからみんなに通信しているよう。そんな孤独な気分になる。  リモート。近くても遠くても、離れていることに変わりはない。  キッチン 「お、息子さんかな? こんにちは。」 いつの間にかニコルが私の傍に来ていた。 「お互い大変だな。うちの息子もリモート授業で、うまくいっているのかどうか。まぁ、 そこら辺はカミさんに任してある。とはいえ、その実大変そうだ。息子はもう一丁前だし、カミさんからは愚痴ばっかり聞かされる。・・しかし、君のところは更に大変だな。」 そう、うちは父子家庭だ。 「お父さんを頼むよ。」  それまで私に頭をつけて甘えていたニコルはシャキッとなってグッドマークを画面に突き出し、自分の部屋に戻って行った。 「頼もしいな。もし、困ったことや助けが必要だったら言ってくれ。遠慮はいらん。できることは限られるかもしれないが、力になれることがあるかもしれん。」  会社ではこんな会話は一切なかった。いつもの上司が人間的に見える。離れることによって見えてくること、逆に近くになることもあるのかもしれない。  会議が終わり、息子の部屋をノックした。  まだお昼前だというのに彼はベッドに横たわり寝息を立てていた。机の上のノートパソコンは畳まれている。私はそっと画面を持ち上げた。パソコンが立ち上がると、そこには学校の外観が映っているサイトの表紙があるだけだ。あの先生の姿は…、なかった。  当たり前だ。期待した自分にため息をついた。  二週間前の教室  その朝は、リモート映像を担当している業者の人が機器をチェックしに来ていた。私はいくつか不満をぶつけた。まず、声が聞こえにくいとある家庭からクレームが上がっていた。そして、私自身は画角が狭過ぎるのではないかと質問した。黒板の文字がはみ出すことが多々あった。 「そんなことはありませんよ。結構ワイドなレンズを使っているんですから。」 しかし、画面の端は歪んでいるし、近づくとお化けみたいな顔になる。 「あのう、もっとカメラを離していただけませんか?」 「みんなこの距離でやっていますよ。」  優しくお願いして一度教室の真ん中ぐらいまでカメラを下げてもらった。 確かに広すぎる。誰もいない机まで映っている。画面をもう一度見つめた。 ・・待てよ。 画面上にあるいくつかの机を画角から外し出した時に、業者の人がパチンと指を鳴らして四角いケースからレンズを取り出した。歪みがなくなって、ちょうどいいくらいの黒板の映り方。 「先生がクローズアップになるにはカメラに歩み寄らなければなりませんが。」 「でも、ほら、なんだかステージができたみたい。」  私は、教壇に張り付いている必要がなくなって、自由になった。狭い宇宙船から解放されて、そこは私の舞台になった。自分の映るサイズとカメラとの距離を見てもらい、はみ出さないように床にマークした。 「これを利用するのは先生だけですか?」 「ええ。」  他の先生方は自宅からリモート授業をしている。 「そうですか。じゃ、先生のお顔を認識させておきますね。」 「?」 「これで、画面上どこに行っても先生にフォーカスが合います。」 「黒板も重要だけど…。」 「明るさは十分あるので、その時は黒板に近づけばどちらにもフォーカスはきますよ。」  彼はモニターを見ながら私をあちこちに立たせていくつかの項目をチェックしているようだった。そして、楽しそうにしている私を見て顔をあげた。 「ベータ版ですが、こういうものがあるんです。試してみますか?」  と、頭をかきながらある物を見せてくれた。 「これ、・・・すごいかも。」  年甲斐もなく心が躍った。試してみる価値はありそうだ。  それ以来、宿題を完璧にやってくる子の数は変わらずとも、リモート授業の欠席率はガクンと減った。私自身にもいろいろな工夫が必要になった。が、楽しい時間になった。  子供部屋 「ニコラ、今日の授業は?」 リモート授業は月・水・金曜日で、一日2科目1時間ずつである。最初の授業はゴッツイゴリラのような先生だった。そして待ちに待った…、 「おはようございます。今日も息子をよろしくお願いします。」 自分の声が弾んでいる。彼女は恥ずかしそうに笑いながら会釈した。 「先生、何かこちらが改善することはありますでしょうか?」 用もないことに口を出している自分がいた。ずっと息子の隣り、いや、代りになって座っていたい。 ほんの少しだけの雑談が永遠の時間に感じられた。 「それでは、ご親族の方は…、」 後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。 「先生。うちのお父さん、先生のことが好きになっちゃったって言っていました。」 何を言ってるんだ、うちの息子は。 「ウフフ。困ったわね。」  私はキッチンから大袈裟なジェスチャーで息子にシーッと伝えた。彼は私に振り返って笑顔でウインクした。  授業は相変わらず楽しそうだった。  学校  そのうち自粛規制が緩和され、部分登校が始まった。 初日。はやる気持ちを抑えてニコルと学校へ行った。 「あの先生は独身だよな。」 「今は、そうだと思う。」 彼の答えは曖昧だった。 「あの、ナタリー先生にご挨拶させていただきたく。」 対応してくれた先生はベテランの先生だった。 「ナタリーは、私ですが?」 「あ、いえ、あの…、もう少しお若いナタリーさんです。」 その先生はカエルのように目をキョロっとさせてから納得したように軽くうなづいた。 「あ、あぁ、あの素敵な先生は転校されました。」 「て、転校?」 「がっかりなさらないでください。またきっとどこかでお会いできると思います。」 そう言って彼女はニコルの頭を撫でた。  さようならと手を振った彼女のその仕草はどこかで見た記憶があった。 「ニコル、ちゃんと話した方がいいと思うよ。」 「うん。」  テクノロジーは想像以上に進んでいる。 それが幸運をもたらすかどうかは置いておいて。                             終わり
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!