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現下
長屋を出て少しすると小さな墓が見えてくる。
私は松太郎さんの墓に花を供える。
せめて菊江姐さんの墓が隣にあれば、と思わずにはいられない。
けれどそれは叶わぬ事だ。風の噂では音矢様は大層ご立腹で、姐さんの亡骸は何処かの川に捨てたとか、捨てていないとか。
なにせ廓に来た客が面白おかしく話していた事だから定かではない。
廓を生きて出られて一年。ようやく生活が軌道に乗った。
「松太郎様。覚えていますか。朱香です。ああ、禿の頃の名は朱乃でした」
私は、語りかけながら荒れ放題の墓の草を抜いていく。
「今日は松太郎様に渡したいものがありんす」
思わず私は笑ってしまった。
「嫌だ。まだ廓言葉が抜けてない」
私は懐から簪を取り出した。
「何とか売らずに、生きて吉原を出る事ができました」
松太郎様の墓石の手前を少しだけ掘る。
「これは、お返しします」
私は簪を埋めた。
優しかった姐さん、そんな姐さんと添い遂げた松太郎様。
どうか、安らかに眠っていて下さい。
手を合わせたあと立ち上がると、空にはあの日と同じ、綺麗な虹がかかっていた。
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