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1・1 想定外のコンビ
「宮本、帰りましたー」
金曜の終業時間間際。外回りから戻ると、第二営業部のエリアの真ん中にみんなが集まっていた。中心にいるのは第一、第二、両方の部長。それから第一の藤野。
「あ、宮本。ちょうど良かった」
第二部長が手をくいくいして招く。
「何かトラブルでも?」
尋ねながら歩み寄る。
「実は――」と第一部長。
明日の午後、水族館での打合せがあるのだが、先方から男女両方の視点で休日の館内の様子を見てほしいと希望されている。ところが担当の女性社員がつい先ほど体調不良で早退、恐らく明日も無理だろうという。代わりの女性社員が必要だけど、急すぎて予定がない社員が第一営業部にはいない。それで第二に探しに来たという。
が、第二にもいない――というところに私が帰ってきたらしい。
「分かりました。私が行きます。予定はありませんから」
「そうかそうか! 助かるよ!」
第一部長は嬉しそうに私の肩をバンバン叩いた。
「しっかり頼むよ。新規の客なんだ」
「はい。任せて下さい」
「ケンカしないようにな」
「ケンカ……?」
部長ふたりは、「資料は藤野から」と言って足早に去った。
藤野を見ると、変な表情をしている。その他の面々も。
「ま、いい経験でしょ」と尊敬する佐原係長が言う。「私、明日は娘の保育園の行事なんだ。宮本に任せて悪いね」
「一生懸命、『引き受けたらダメ』って合図を送ったのに! 俺が代われるなら代わるのに!」とは後輩の高橋。
なんだ、この反応は?
「そんなに厄介な仕事なの?」藤野に尋ねる。
と、彼はいいやと答えた。
「ただ、これの担当は木崎なんだ」
「木崎!? 藤野じゃないの!?」
「いや、俺は代打探しを頼まれただけ」
「うそっ」
「分かっていると思うけど」と佐原係長。「先方でケンカをしないでよ」
「あっちに言って下さい! ていうか木崎は?」
「別の顧客のとこ」と藤野。
「木崎に知らせて。あいつだって私じゃイヤでしょ」
藤野は肩をすくめた。「他の人を見つける時間はないって」
彼の視線を追う。壁掛け時計は終業時間を指していた。
◇◇
木崎は私の天敵だ。同期入社で、就職試験の頃から知っている。というか存在を認識した時点で印象は最悪だった。とにかく性格が悪い。徹底的な利己主義で他人に厳しい。
新人研修が終わって決まった配属先は、木崎が第一営業部で私は第二営業部。同じフロアで隣接、仕切りもない。いやがおうでも毎日顔を合わせる。以来八年、あいつへの嫌悪は増すことはあっても減ることはない。
反りが合わない。
そんな一言では済まないほど、私たちは決定的に合わなかった。性格も考え方も仕事の取り組み方も。
いつの頃からか仕事で競い合うようにもなり、気づけばお互いに部内での成績はトップ。出世のタイミングも一緒。絶対に、なにがなんでも負けたくないライバルとなった。
しかも木崎の何がムカつくって。あんなイヤなヤツなのに、なぜかモテまくっている。確かに……顔は悪くないかもしれない。スタイルも。でも性格の悪さでおつりがくる。だというのに彼女が途切れないらしい。たくさんの若い女性社員が、木崎が彼女を途切らせる瞬間を待っているという話だ。
世の中、間違っている。
だけど……。
「資料通りだったな」と隣を歩く木崎が言う。
高層ビルに入る人気の水族館。そのうす暗い展示室内。本日二回目の観覧だ。すでに先方との打合せは終わり、挨拶も済ませた。だけど木崎は、時間帯が違う館内の客層を確認したいと言って、再入場したのだ。わざわざそんなことをしなくても、資料にあるのに。意外にも自分の目で確かめたいタイプらしい。
一緒に仕事をするのは初めてだけど、その『意外なこと』の連続だった。伊達に第一のエースと呼ばれている訳ではないらしい。
最後に土産物コーナーの様子を確認し、水族館を出る。ようやく、解散だ。せっかくだから階下のお店で買い物をしてから帰ろう。
「っと、」
木崎が胸ポケから社用スマホを出した。振動している。
「電話してくる」
「か……」
『解散でいいでしょ』と言おうとしたが、それより先に木崎は『もしもし』と言いながらひと気のないほうに歩いて行ってしまった。
仕方ない。待つしかないらしい。
自分も端に寄り、入退場する人たちを観察する。夕方だから出るほうは小さな子供を連れた家族が多く、入るほうはカップルが目立つ。
――私が最後にデートしたのは、八年近くも前だ――
そう思ったとき、
「莉音(りおん)?」
と声がした。声のほうを見ると見知った顔が私を見ている。
「やっぱ、莉音だ。なんだその格好。ひどく不細工だな」
不細工って。ただの黒いパンツスーツだ。それなのに言い掛かりをつけてきたのは、八年前に最後のデートした相手、修斗(しゅうと)だった。ベビーカーを推している。となりには子供と手を繋いだ女性。
「あ、宮本センパイじゃないですか。お久しぶりです!」
彼女は……名前は覚えていないけど、大学のサークルでふたつ下だった子だ。修斗は私をフッたあと間を置かず彼女と付き合いだし、彼女の卒業後すぐに結婚したと聞いている。
「久しぶり。――私、仕事中だから」
努めて冷静に。かつ冷たく言ったのに、彼らは余計に近寄ってきた。
「仕事中?」と修斗。「土曜に? 相変わらず仕事バカなんだ」
「大変~」と彼女。
「ほんと、女を捨ててるよな。だから可愛くないんだよ。元カレとしては痛ましくて見てられない。ちょっと考えを改めたほうがいいぞ。見てみろよ、ナホを。もうふたりも子供を生んで、俺に尽くしてくれてさ。素晴らしいだろ? 可愛いくて夫に愛されて、サイコーの人生だぜ?」
「もう、修斗ったら」
「莉音も早く軌道修正しろ。手遅れにならないうちにな」
修斗はドヤ顔だ。心底そう思い、良いアドバイスをしているつもりなのだろう。
「修斗の会社ではどうだか知らないけど、私の会社では休日出勤は普通。ちゃんと振休がとれるから」
「そういうことを言っているんじゃ……」
「それに私は仕事が好きなの。仕事より優先したくなるほど魅力的な男の人に出会えたら結婚しようと思っているんだけど、なかなかいなくて。修斗もそうじゃなかったもんね」
元カレの顔が歪んだ。
「心配してやったのに。ほんと、可愛くない」
修斗はそう言い捨てて、家族を連れて去って行った。
その可愛いくない女と四年も付き合ったのは誰だ。
修斗とは大学のサークルで知り合った。告白は私からだったけど、修斗は私を大事にしてくれてたし、友達が羨ましがるほど仲は良かった。だけど就職してから彼はおかしくなった。私が仕事に夢中になりすぎたのがいけなかったのだろうけど、態度は冷たくなり嫌みを言うことが増えた。あげくに、「莉音は俺がいなくても大丈夫だよな」と言って、一方的に私をフッたのだ……。
目の奥がツンとする。
かつての優しい修斗とあまりに違い過ぎて、ツラい。
俯いた顔の前に誰かが立った。
「宮本、男の趣味が悪いな。あんなのと付き合っていたのか?」
木崎だった。会話を聞かれていたらしい。よりによって、こんなヤツに。弱さは見せたくないから、ふんばらないと。
表情を引き締め、顔を上げる。
「……昔はああじゃなかったの。いいでしょ、どうでも。電話は終わったの? トラブル?」
話す内容をすり替えながらエレベーターに向かう。帰る人が多い時間帯のせいで、長い行列ができている。
「いや、ただの確認」
「そ。じゃあ解……」
「中途半端な時間だな」木崎は腕時計を見ながら言った。「バッティングセンターに行かねえか?」
「バッティングセンター? なんで?」
「夕飯には早いだろ。宮本ならできそうだし」
当然、という顔をしている木崎。
「もちろんできるけど。なんで木崎と一緒にご飯を食べなくちゃいけないのよ。私は帰る」
「急な休日出勤をしてくれた礼だよ。借りを作りたくないから奢られろ」
む。礼か。私もこの程度で貸しを作ったとは思いたくない。それに実はバッティングセンターは好きだ。このモヤッた気持ちを晴らすのにもちょうど良い。
「まあ、そういうことなら。近いの?」
「ここから十分」
「近っ」
「だろ?」
「じゃ、行こう。――だけど女の子を誘うとこかなあ」
「女の子は誘わねえよ?」
「っ!」
木崎め!
足を踏んでやろうとしたけれど、やめにした。このアホが一足八万もする靴を履いていることを思い出したのだ。木崎狙いの若い女の子たちが騒いでいたから、間違いない。意識高い系にしてもほどがあるお値段だ。そんな靴を踏んだら、何を言われることか。
「踏まねえの?」
木崎は嫌みたらしくニヤニヤしている。人の行動を読むな!
「私の靴に、そんな可哀想なことはさせられないから」
ニヤニヤをやめない木崎。
「地味な宮本でも、この靴が高いって分かるんだ」
「ちょっと。本当に今日のこと、感謝してる?」
木崎は笑みを引っ込めた。
「だから飯を奢るって言ってるだろ。俺だって宮本なんかに金を使うのはイヤなんだからな」
「分かった。一番高いメニューを頼む」
「構わないぞ。 その代わり、絶対頼めよ」
「やだ。なんか変な店に連れていかれる気しかしない」
「勘がいいじゃん」
再びニヤニヤした木崎が、ふと遠くを見た。視線を追うと、行列の先にいる修斗が私を見ていた。
「仕事できなさそうなマヌケ顔」と木崎。
「……」
そう言えばサークル仲間によると、修斗は何度も転職をしているらしい。仕事の能力は分からないけど、落ち着きはないのかもしれない。
「睨み付けられたんだけど。元カノの隣にいい男がいるから気になってんのか?」
「いい男なんてどこにいるのかな? それより木崎に気があるんじゃないの?」
「俺の好みじゃねえな」
さりげなく立ち位置を変え、修斗に背中を向ける。
突然の仕事は予想外に楽しかった。だけど今日は最悪の日だ……。
◇◇
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