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しばらくすき焼きを味わった後、気がつくと目の前のタカさんが箸をとめ、口に手を当てていた。眉をわずかに顰め、唇に力を入れている。
「タカさん、何か言いたげね」
母は私といる時は、からかい半分で私と同じようにタカさんと呼ぶ。
するとタカさんは突然持っていたグラスをどん、と机に叩きつけるかのように置き立ち上がった。
「最近の若いのは誕生日を舐めすぎだ!奴らは誕生日を舐めている!」
タカさんは目をパッと見開き、大声で言った。
顔が真っ赤になっていて、ああこれはもう飲みすぎてるなと思う。タカさんは大の酒好きだが父と母よりも遥かに酒に弱い。父と母と同じペースで飲むとあっという間に酔っ払う。
「どうしたんですかタカさん、急に。舐めてるってどういうことですか」
父が、これはタカさんが何か面白いことを言い出すぞ、という期待を含んだ声で言った。これは相当酔ってるわね、と母が呆れる。
「誕生日おめでとう!」
タカさんが唐突に言った。いや、叫んだと表現した方が近い。そして、
「おたおめ!たんおめ!はぴば!」
と駅前で選挙活動をする政治家たちの何倍もの迫力で呪文のように唱えた。
「こんなふざけた言葉で誕生日を祝えるか!誕生日はここまで人生という魔物と戦ってきた全ての戦士達を祝う日なんだぞ!」
魔物、ねえと私は内心呆れる。こうゆう大袈裟な言葉を使うのもタカさんらしさだ。母はタカさんの衝動的な行動に慣れているので、
「まーた最近の若いの。どこでそんな若者言葉覚えてきたわけ?」
と宥めながら茶化す。
「この前補導した女子高生達が教えてくれたんだ。最近は誕生日おめでとうなんて長ったらしくて言わないんだとよ」
「タカさん、補導した女子高生とそんなに仲良くなれるなんてすごいなあ」
父が感心したように言った。私も内心すごいなあと思う。もし私が警察に連れていかれたらそんな余計な話は絶対にしないだろう。
タカさんは息を整え腰を下ろすと、水を一杯飲み、語り出した。
「あのな、トモちゃん」
若干しわがれた声でタカさんが言う。私がタカさんをタカさんと呼ぶように、タカさんは私を『トモちゃん』と呼ぶ。
「俺も、トモちゃんも、お母さんも、お父さんも、ここまで無事生きてこれて今こうして存在していることはな、キセキなんだ」
タカさんはそう前置きを言うと、用意していたんじゃないかと疑うぐらい長い演説を始めた。こうなると基本的に私たち家族は黙って耳を傾ける。父以外は半分ほど聞き流しているのだが。父はタカさんの話に多大な価値を見出しているらしく、いつも入社一日目の新人社員のような面持ちで聞いている。
「世の中はな、残酷な悲劇と恐ろしい悪意で満ちてるんだ。毎日何人も病気だの事故だの殺人だので死んでるし、自分から命を絶つ人間も悲しいことにいる。俺は知ってる、誰よりも知ってる。なんってったって警察官だからな」
日本酒の入ったお猪口を手に取り、飲む。隣の父が瓶を取り注ぐ。
「そうよねー」と母が他人事のように言う。
「別に命に直結しなくてもだ、人生ってのは辛いことが山のようにある。それはともちゃんの17年の中にもあったように、誰にでもある。小さい頃だったら予防接種の注射とか自転車の練習、高校生だったら受験とか学校の人間関係か。そして、大人になったらもっと増える」
またお猪口を手に取りぐいっと飲み干す。また父が同じように注ぐ。
「そうそう、大人になったら一気に増えたなー」
と、今度は父がしみじみと呟く。
「そんな困難や苦痛を乗り越え、諦めずに17年も生きてきたってのは、本当に偉いことなんだぞ。ありがたいことにこの国では人は結構長生きする。だけどな、誰かに強いられたわけでもないのに、一人一人がこの大変なことばかりの人生を力強く生き抜いてきたことは例外なくしっかり称えるべきだ!誕生日にそれを祝わなかったら、俺らはいつこの成果を祝うことができよう!」
タカさんはまたお猪口を持とうとしたが、その前に母が横から奪ってしまった。「これ以上のむと明日潰れちゃうからだめ。」と言って代わりにお母さんがぐいっと飲み干した。お母さんの方が危ないんじゃないかと思ってしまう。お母さんは事実お酒には強いが、それを過信し二日酔いになることもたまにある。特に、何かめでたいことがありお酒を飲む場合はそうだ。
「それぐらい大事な日のはずなのに、最近の若者は訳のわからない言葉で適当に祝って終了だ。誕生日はそんな簡単に済ませていいものじゃない。例えそこまで仲の良くない友人であっても、例え他人であっても、相手の『生きた』と言う偉業は称えないといけねえ!人間がその年齢まで生きるってのは『キセキ』であり、同時に他の何とも比べ物にならない『偉業』なんだ!」
「お前らもそう思うだろ!!」
タカさんの熱意に反して、私たちの食卓は和やかな空気が漂っていた。
私は父と顔を見合わせた。タカさんはスイッチが入ると一気に語り出すが、ここまでの熱量は久しぶりだった。タカさんの問いかけをよそに、母が鍋の蓋を外す。煙が暖かい空気と一緒に出てきて、牛肉の良い香りが食欲をそそる。
「さあさあ食べなさーい。ケーキだってあるんだから。」
「俺の話を聞けえ!」
その後もすき焼きを食べながら、タカさんの誕生日論について話したり話さなかったりして時は過ぎた。何故かわからないが、今日のタカさんの話は私の心の中の奥深くに残った。自分がそこまで価値を置いていなかった17歳の誕生日を、あの熱意で祝ってくれたのが少し嬉しかったというのもある。
父がすき焼きの鍋を片付け、母がケーキを持ってくる。
「おー、俺の大好きなチーズケーキじゃねえか!」
タカさんは先程の激しさから一転、夢見る少年のような笑顔を見せた。
「友花の大好きなチーズケーキです。」
友花の部分を強調して母親が言う。タカさんは意外と甘いものが好物だったりする。
蝋燭も消え、全員がケーキを食べ終わり、場はすっかりおやすみムードだった。
「そろそろお開きにしましょうか、あんた達二人は明日も働かなきゃなんだし」
母が二人を見てそう言うと、私たちは徐に席をたった。3人でタカさんを玄関まで見送る。
「トモちゃん、最後に言っておくけどな」
コートを着て靴を履いたタカさんは最後に振り返り、私にこう言った。
「誕生日をしっかり祝わねえやつとは絶対に結婚するなよ!」
そんなメッセージを残したタカさんを私たちは笑顔で見送った。そんなこと言われても、と内心思う反面、ユウタは今日しっかり祝ってくれただろうかと不安にもなった。
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