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男は自らも断言したように、弓月のことを心底敬愛している。
それは裏返すと、もし、弓月が竜ヶ崎と離れたいと言えば、それに迷わず手を貸す、ということでもある。完全に信用するに足る男かは甚だ疑問が残るが、友愛や敬愛以上の——竜ヶ崎と同じ感情を持たれる心配が先行している今、目の前の男、もとい桜木肇に頼む方が得策だった。
「で、襲ってきた岡田? のとこにカチコミ行きます?」
「僕、そこそこ使えますよ」と細っこい腕を見せびらかす。
「その必要はない。既に俺が殺っといた」
「あ、なるほど。それで僕に接触してきたわけですね」
「顔に傷一つないところを見ると、勝ち戦どころか、三浦先輩の傷見て半殺しにしたんでしょう」けろっとした顔でいう桜木。文句の付けようがないほど言い得ている。
「ほんっと、狂人的強さっスねぇ」
「それでも数が多けりゃ、殺る人数が増えるから駆けつけられる時間にロスが出ちまう」
「勝つこと大前提で話すのは竜ヶ崎さんくらいっス」
清々しいまでの強さを顕在させる竜ヶ崎に、「だから、僕の出る幕はないと思ってたんで、直接三浦先輩をお守りすることができて光栄っス!」とにか、と笑う。
その笑みは不愉快極まりない。しかし、短期間竜ヶ崎の手中から離れる弓月は完全にフリーだ。だからこそ、保護できる奴を探していただけに、桜木の厭わしさを呑み込むしかない。
「停学になったから、二週間程度、ゆづを頼む」
「言われなくてもです」
「くれぐれも——」
言い終える前に桜木は被せて否定する。「俺は尊敬からはみ出すことはないっスから、安心して下さいよ」。
「じゃなきゃ、三浦先輩の前に竜ヶ崎さんに接触したりしないでしょ。三浦先輩が欲しいならまずアンタを出し抜かなきゃならないんだし」
「あくまで、三浦先輩なりの強さを貫けるよう、サポートしたいって思ってるだけなんで」と続ける桜木に、嘘偽りはないらしい。
「そこまで執着するほどの強さをゆづが持ってるとは思わないが——」
竜ヶ崎は足を止め、昨日弓月が自慢げに傷のことを言っていたことを思い出す。そう言えば、弓月は後ろからの不意打ちで怪我を負った。だが、ナイフを振り回す岡田からの負傷はない。
本当は出会い頭に岡田から挨拶をされているが、弓月本人が忘れていたほどだったのだ。
弓月と一緒に帰宅していれば、竜ヶ崎が弓月を逃すことは不可能だ、と完全否定されたことばかりが尾を引いていてすっかり頭から抜け落ちていた。
竜ヶ崎の背から伝わる嬉々とした声を確かに聞いていたはずなのに。
(それを俺は何て言って返した?)
褒めた記憶も茶化した記憶もない。弓月が血を流すほどの怪我を負ったことが脳裏に焼き付いてしまって、病院までの弓月と交わした会話のほとんどが朧げだ。
立ち止まっている竜ヶ崎を尻目に、「そりゃあ、守る強さでしょうよ。——竜ヶ崎さんがいつもやってることですよ」と桜木はいった。
「俺が?」
「俺、知ってますから。三浦先輩の裏番説を学校内外で流したの、竜ヶ崎さんでしょう」
竜ヶ崎の心臓が脈打った。
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