死者からのメール その1

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死者からのメール その1

 太郎の上にユイが降ってきた。 「お兄ちゃん起きろー。えーいっ! ボディーーープレス!」  日曜日である。もっと眠っていたいのに、この仕打ち。たとえ、クラス全員からーーいや、学校全部の生徒・先生から、かわいすぎて羨ましがられているような妹だとしても、許せるようなことではない、たぶん。 「もっと寝る」  太郎は、丸い青ネコのキャラクターのカバーがついた掛け布団を、頭からかぶった。先週くらいまでは地味なカバーだったのに、いつのまにか変わっている。ユイの仕業であることは確かだ。ユイの部屋の布団カバーが、虎のマスクをかぶったキャラクターになっていたのが、その証拠だ。 「お兄ちゃんっ」  ユイはゆする。何度も「お兄ちゃん」と呼びながらゆする。 「しつこいっ! 寝かせろぉ」  叫んだが、ゆすることを止める気配はない。 「お兄ちゃん、おなか減ったよー」  ユイの空腹よりも、惰眠の方が大切なことは明白だ。そもそも…… 「母さんに言えよぉ」  太郎に空腹を訴えるのは筋違いなのである。  とはいえ、さすがにここまでされると目が完全に覚めてしまった。なんてもったいないことだろう。太郎の持論だが、人生の無駄かもしれない――というか明らかな無駄なのだが――惰眠こそがこの世の一番の幸せなのだ。人類みな惰眠すれば、戦争のない平和な世界になる。いいことだらけだ。 「お母さんいないよー」  そういえば、昨夜、両親が親戚の法事で朝から出かけると言っていたことを思い出す。朝食の作り置きをしてくれるような気がきいた親ではない。  そう、筋違いではなかった。ユイの行動は正しい。 「わかったから、とりあえず、どけ」  ユイは太郎の上から飛び降りて、じゃあ下で待ってると元気に部屋を出ていった。 「ジャーンプ」  部屋の外から声が聞こえる。母親からはいつも危ないからと止められているのに、ユイは階段を中ほどから飛び降りるのを止めない。着地に失敗して転んでいるのを何度も見たことがある。だから、そのせいとばかり言えないが、ユイの体はすり傷が絶えなかった。 (ドアくらい閉めてけよ)  太郎は少し肩を下ろして、ベットから這い出た。 (かわいいのは確かだけど、もっと、大人しい妹がよかったな)  机の上のスマートホンを手に持つ。部屋から出て、一階の居間へ行った。  ユイはテレビの前でビデオのリモコンの再生ボタンを押していた。画面にプロレスビデオの開始のメロディが流れる。目が輝いている。ユイが大人しくしているのは、寝てるときと食事してるときとプロレスを観ているときくらいだ。それ以外は常に走ったり跳ねたりして動きまわっている。  父が疲れているときは太郎が相手をするが、いつも疲れてしまう。ゆっくりしたいなら、新しいプロレスのビデオを観せるのが手っ取り早かった。  太郎は台所にいき、昨日の夕食の残りの有無を確かめた。なかった。炊飯器の中を見ると、作りたてのごはんが入っている。母は就寝前に炊くのが習慣になっていた。冷蔵庫から卵を数個とベーコンを数枚取り出して、フライパンをIHコンロに置いて、スイッチを入れる。サラダオイルをフライパンにひいた。  ユイが、「よっしゃー」と叫んでいるのが聞こえた。フライパンが温まってきたようなので、用意したベーコンを入れる。焼く音がきこえてきて、少ししてから、数回ひっくり返した。それから、卵を割り入れる。 「あ――」  太郎は思わず声を上げた。一つ、失敗して、黄身が壊れてしまったのだ。これはユイに出すことにしよう。  フライパンに蓋をして、しばらく待つことにする。スマホを開いて、コミツを見る。コミツは、コミュニケーションツールという長い名前のインスタントメッセンジャーアプリの略称だ。クラスの仲間内で作っているグループを開いて、発言を確認する。他愛のない内容が続く。返信をする必要のあるものはなかったが、「日曜なのに妹に起こされた(怒)」と入力して送信した。  それから、フライパンの蓋を開けて、良い頃合いだったので、コンロのスイッチを止めた。棚から皿と茶碗を取り出す。二枚の皿には、フライパンのベーコンエッグを半分に切って、それぞれに入れる。茶碗にご飯をよそって、食卓テーブルに置く。太郎は自分の分の水をコップに入れながら、「ユイ、できたぞ」とユイを呼びかけてから、一口飲んだ。 「ちょっと、待って。いいところだから」  ちょっと待ってがどのくらいになるのだろうか、と太郎は思いながら、テーブルの椅子に座った。プロレスのビデオが終わるまで、食事は放置かもしれない。 「冷めちゃうぞ。先に食べるからな」  太郎はベーコンエッグに醤油をかけて、食べはじめた。可もなく不可もない。ベーコンエッグの皿の隣に並んでいるスマホを見る。先ほど送ったメッセージに返信が来ていた。 「ウラヤマ」  高山雄太からだった。弟がいて、ユイみたいなかわいい妹が欲しかったとよく言っていた。高山の弟は一つ下で体が大きかった。町の柔道道場に通っており、黒帯だから、かわいいとは確かに言えるわけもない。とはいえ、兄弟仲はかなり良好なようだった。他には、杉本玲香から来ていた。 「わたしも朝起こしてくれる妹が欲しいな」  玲香には姉がいて、通っている学校の数学の教師をしていた。これぞ理系の女性というイメージがあったとしたら、たぶん、この人だろうと思わせる人だ。  授業中に問題を当てられ、解けないと、「数学ができないやつは人として生きる価値がない」などと平然と言い放つような先生で、他に暴言を吐きまくりの先生だ。なぜか、不思議とそれらの発言が問題にされたことはなかった。美人かつ、数多い暴言以上に天然ドジが多いせいで、生徒から人気があるためだ。  ドジとまではいかないが、玲香によると、彼女は朝起きるのが、苦手らしい。なかなか、起きてこないため、ギリギリになってから、いつも、玲香が起こすのだそうだ。「今日も姉貴起こしたんだけど、ほんと、クソめんどい」と玲香がよく言っていた。  だから、ユイのことがお気に入りなのだろう。 「メシも作れない妹だぞ(笑)」  太郎はご飯を食べる手を止めて、そう打ち込んでから送信した。そして、また、食事をはじめた。半分くらい食べたあたりで、ユイが台所に入ってきた。 「あー、先にズルい」  ユイがむくれたような声を上げるが、太郎が先に食べると言っただろう、と返すと、聞こえなかったもん、と椅子に座って箸を持ったが、すぐにソースがない、と箸を戻して、冷蔵庫からソースを持ってきた。 「ソースの方が美味しいのに」  ベーコンエッグに醤油をかけて食べている太郎を批判するユイだったが、黄身が崩れているのに気づいたようで、崩れてる、壊れてる、ずるい、と連呼しだした。 「味はかわらん、黙って食え」 「かわるもん」 「かわらないって」 「ぜったい、かわるもん」 「文句あるなら、自分で作れよ」  太郎がきつい口調で言うと、ユイは黙って、ベーコンエッグにソースをかけ、むくれながら食べはじめた。先に太郎は食べ終わったので、スマホを手に取ってメッセージの確認をした。新しいメッセージが来ていた。
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