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今、僕は一人で夜の海辺に立っていた。 と言っても、別に世を儚んで来た訳ではない。 親友から、この海に纏わるとても面白い噂を聞いたのだ。 それは今日の昼、大学の学食でのこと。 『なぁ?知ってるか?隣の県にあるあの海さ、夜になると幽霊が出るらしいぜ?』 目を輝かせながら、そう話しかける親友。 『幽霊?なんだ、海で溺れた人とか?けど、事故があったとか聞いたこともないけど?』 この時点でさして興味もなかった俺は、気のない返事をする。 けれど、友人は引き下がらない。 『違う違う!その幽霊ってのがすっごく変わっててさ!何かめでたい事があった奴が行くと、「おめでとう」って祝福してくれるんだよ!』 『幽霊が祝福?馬鹿らしい』 余りに突飛な友人の話に、きっと、その時の俺は相当飽きれた顔になっていただろう。 祝福する幽霊なんて聞いたことがない。 つくならもっとマシな嘘をついて欲しいものだ。 すると、俺のそんな空気を察したのか、友人が真面目な顔つきになる。 心なしか、先程より声も潜めている様だ。 『いや、それがマジだったんだよ。俺、昨日模試で一位だったじゃん?だから試しに言ってみたのよ。そしたらさ、マジでおめでとうって言われたんだわ。まぁ、怖くなって逃げ帰ってきたけどさ』 思い出しただけで怖かったのか、小さく身震いをする友人。 しかし、彼は、直ぐにいつもの調子に戻ると、こう続けた。 『でも、この話には続きがあってさ。なんと、幽霊に祝福されて、お祝いの言葉を最後まで聞いたやつは、その後、滅茶苦茶幸せになれるらしいぜ!な?面白そうじゃね?』 確かに。 害のないーーしかもこちらにとって有益な幽霊ならば話は別だ。 それに、今の俺はどうしても手に入れたい幸せがある。 それは…… 『ほら、お前さ?うちの学部のアイドル……菜々美ちゃんと付き合い始めたばっかじゃん?だからさぁ、ここで祝福されとけば、結婚とか出来ちゃうんじゃねぇの?』 そう、俺が手に入れたい幸せ、それは沢山の恋敵を蹴散らして手に入れた、今の彼女との幸せと未来なのだ。 だが、友人が言う様に学部のアイドルなだけあって、彼女を虎視眈々と狙っている男達は今も沢山存在している。 『確かにそうだな。よし、今夜行ってみよう』 だからこそ、俺は今夜、海に来ることを決意した。 故に、こうして今、一人海辺に佇んでいる、というわけだ。 ちなみに、ここに突っ立っている間、地元の方には何回か『おめぇ、こんな時間にここに何しに来た?』やら『おめ、早まるんじゃねぇぞ』と複数お声がけを頂いた。 思い詰めた表情で佇む俺は、今にも身を投げ出しそうに見えたのだろう。 だが、待てども待てども、目当ての祝福幽霊は姿を表さない。 (やはり、あいつの冗談だったか) 長い付き合いながら騙されるとは。 俺もまたまだだな。 そんなことを思いながら、俺が帰ろうと海に背を向けた時ーー誰もいない筈の海から、人の声がした。 「……ぉめ……と……」 「ん?」 慌てて振り返る俺。 すると、海面を滑る様にして複数の白い光の玉がこちらに近付いて来るのが見えた。 「……おめ……で……とう……」 成る程、確かに向こうは『おめでとう』と言っている様だ。 死んでからも見知らぬ他人を祝福するなんて、きっと本当に善良な幽霊達なのだろう。 俺は、彼らに向かって大きく手を振った。 「ありがとう!」 本当にありがとう、心優しき幽霊達よ。 さぁ、俺を最高の幸せに導いてくれ。 と、白い光の達が徐々に近付いて来るのと同時、先程までは遠すぎてよく聞こえなかった彼等の言葉が少しずつ、はっきりと聞こえる様になってくる。 「……おめぇ……で、とう……」 なんだろう。 『おめでとう』にしては、ニュアンスというかイントネーションがおかしい気がする。 それとも、これがこの辺りの方言なのだろうか。 (だとしたら、最後まで聞くのも骨が折れそうだ) が、どうも様子がおかしい。 祝福をしてくれているにしては、何か様子が変なのだ。 先程まで遠くにいた光の玉ーー全部で九つあるそれらは、今や、玉ではなく仄かに白く光る九体の幽霊だとわかる程までに近付いている。 が、どうも彼等の表情が、祝福している顔ではない様な気がするのである。 弾けんばかりの満面の笑みで不気味にゆらゆらと体を揺らしているのである。 まるで、歓喜の躍りを踊っているかの様に。 (おいおい、祝福するにしても、随分大袈裟過ぎやしないか) と、思った瞬間ーー今度こそはっきり、彼等の声が俺の耳に届いた。 「おめぇで、十!」 瞬間、冷たい海の中に引きずりこまれていく俺の体。 俺はなんとか浜に上がろうともがくが、複数の白い腕が俺の全身に絡み付き離れない。 (この幽霊達が言っていたのは祝福の言葉なんかじゃない!おめぇで十……彼等はただ、自分達の仲間を探していただけだったんだ!) 祝福と言われていた言葉の意味をやっと理解する俺。 その瞬間、一際大きな白い手が、俺の頭を押さえ付け、強引に海中に引き込んで来る。 遂に頭まで海に沈みいく刹那、俺の瞳に映ったのはーー 俺が立っていた浜辺を見下ろせる崖で、一人佇み此方に笑顔で手を振る親友の姿だった。 (……ああ……そういうことだったのか……) 全てを理解した俺の思考は、やがて真っ白に塗り潰されて、逝った。
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