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1 まずはパスタだ
突き刺さるような視線が、暗闇の中に幾重にも放たれ、交差している。
前後不覚の世界の中で、重なり合い混ざり合い不協和音を作り出す声達が、ざわざわとこの場所に溢れ、私の鼓膜から脳みそを揺らし、意志を、感情を、ねじ込んでくる。
なんだこの臭いは、むせかえるほどの体臭か、化学物質によって作り出された香水の類なのか、それとも洗濯洗剤のそれなのか。
寒い、いや暑い、じめじめと肌に張り付きながら、喉をカラカラに乾かしてゆくこの空気は何だ。
わかっている、これこそが、私の世界だ。
どこまでもうるさい、私がかつて暮らした森の外の世界だ。
ヒトという生き物が闊歩し、首をしめあい足を引っ張り合う世界。
糞のような感情を、泥沼の理性で押し潰し、そいつをまた糞で塗りたくる、終わらないヒトの世界……茶と焦茶とが混じり合い、やがて平たくなる。
やがて私は、それが目覚めた自分が見上げている天井なのだと気づいた。
今日も今日とて嫌な目覚めだ。
首に巻き付いたブランケットを剥ぎ取り、汗ばんだ額を手のひらで拭う。
指先が濡れ、朝日の光が眩しく反射した。
現実に聞こえるのは、名もわからぬ鳥の声、揺れる木々が葉を打ち鳴らす音色、風が吹き渡るときの口笛だけだ。
しかしなおも、私の頭の中には悪夢の余韻が残り、うるさく脳内で反響し続ける。
あぁ、うるさい。
それはかつて私を取り囲んでいたヒトの声、息遣いだ。
基準もない「普通」を叫ぶ人。
生きる意味を謳う人。
他人に勝手な価値をつけて回る人。
なんとうるさいことだ、全くもって無意味無用の頓珍漢。
両耳を塞いで、青いシーツの上、肌寒い春の朝に凍える。
ブランケットに足を埋め、羽毛布団を頭からかぶる。
ようやっと訪れた静寂に、ほう、と息を吐く。
段々と、頭の中も静かになってゆく。
両耳が温まり、脳への血流が戻ってきたのだろう。
思考は極寒のマイナス思考から、ニュートラルな暖かさを取り戻す。
ぴちゃんと水音が跳ねるのが聞こえた。
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