【もや恋3】彼氏の家に行ったら、経理のお局さまがいた

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【もや恋3】彼氏の家に行ったら、経理のお局さまがいた

 玄関のドアを開けたら、経理の山根さんがいた。床拭きワイパーを手に持って、エプロンをつけて。びっくりした拍子に、声が出た。 「それ、私のエプロンなんですけど」  向こうもびっくりして固まっている。そりゃそうだ、同じ会社の人間と、まさかこんなところで会うとは思わなかっただろう。取りあえず、この状況が呑み込めずに混乱を極めている。だってここ、私の彼氏の部屋だもの。  私の彼は、取引先の営業マン。目立つ容姿ではないけれど、清潔感があって礼儀正しい。私が娘の親なら「こういう人と結婚しなさい」と言いたくなるだろう。惚れた欲目もあるだろうが、隠れモテしそうなタイプだ。  一方私は、平凡を絵に描いたような女である。中肉中背、なで肩、髪は肩までのボブでメガネ。陰で阿佐ヶ谷姉妹と呼ばれているのは知っている。最近は彼氏ができて少しは服にも気を使うようになったが、地味な容姿をどうしていいか、いまいちお洒落のコツがつかめずにいる。  そんなわけで、彼は私にとってはちょっと分不相応の感がある。しかも恥ずかしながら、大学のとき就活を機に自然消滅して以来、約8年ぶりの恋愛である。それだけに、なんとしても嫌われないよう、前のめりになる心を抑えながら頑張っている最中であった。  ところで私と山根さんは、なぜか駅前のカフェにいる。一杯230円のブレンドコーヒーはすっかり冷めてしまった。ひとつの結論に到達するまでに、あまり優秀ではない脳のリソースを全て費やしてしまったからだ。 「要するに、私たちは二股かけられていた、ってことですか」  声が震える。泣きたい衝動がこみあげてくるが、信じたくない気持ちがそれを押しとどめている。だって、彼みたいに真面目な好青年が、そんな不実なことをするなんて、ありえない。しかも、私のようなモブ(自分で言った)と、社内の独身女性最年長、お局様と言われている山根さん。地味の二大巨頭を狙う意味がわからない。 「二股と考えるのが現実的でしょうね。だって、貴女が今日来たのはイレギュラーで、いつもは日を指定されていたんですよね?」  山根さんは抑揚のこもらない声でそう言った。冷静に考えてみれば、確かに彼女のいう事は筋道が通っている。私はさっきの玄関での出来事を頭の中で反芻してみた。 「山根さん、ここで何してるんですか」 「いや、それは私が聞きたいんですけど」  お互いの言い分を突き合わせてみれば、どちらも彼とは交際している認識で、それぞれ合鍵をもらっている。さらには「取引先なので付き合っていることは秘密」と言われているのも一緒だ。二人とも忙しい彼が「たまたま時間ができた夜」に、部屋に呼ばれる。今までカチ合わなかったのは、そのせいか。  しかし私はこの日、彼の部屋に忘れものを取りに来てしまった。合鍵までもらっている仲だし、ちょっと留守に入るくらいいいよね、と思ったのだ。そしたら、山根さんがいた。  気の強い女性同士なら修羅場になるところだろうが、私たちの場合はゆるかった。お互い職場の知り合いでもあったし、まず情報の整理をしましょうということで、淡々と話ができたことは、不幸中の幸いだったと思う。  その結果、私は彼の帰りを待って問い詰めようと提案したが、山根さんが「その前に確認したいことがある」と言うので、外のカフェに行くことにした。彼には「急用ができたので帰る」とメールしたようだ。 「あなた、いつも彼の家で何してました?」  ようやく冷めたコーヒーに口をつけ、山根さんが尋ねる。よく見ると、会社ではすっぴんに近いメイクなのに、今日はくっきりとアイラインが引かれている。彼女なりに気合を入れて来たのだろう。なんだかそれが物哀しい。ちなみに山根さんは旧家のおひな様に似ている。 「掃除して、洗濯して……夕飯を作って、彼が帰って来たら一緒に食べて、ってパターンでしたけど」 「私も同じです」  頭の中に「家政婦」という文字が浮かんだ。認めたくはないが、私たちは便利に使われていた可能性が高い。彼の誠実そうなイメージからすると、とても信じられないが、私と山根さんは隔週ペースで呼ばれていた。無料ハウスキーパーと考えれば辻褄が合う。  取引先の会社で、男に縁のなさそうな女二人。あの爽やかな笑顔を振りまけば、落とすのは簡単だっただろう。そう言えば私、「男の一人住まいなので、片付かなくて」という彼に、自分から「お掃除に行きましょうか」って言ったんだよな。デスクで食べていたお弁当をほめられて「栄養のあるもの、作りますよ」とも言ったわ。あー、ちょろい自分が嫌になる。  デートは最初にファミレスで食事をしただけで、外へ出かけることなどなかった。会社の人に見つからないためと納得していたが、客観的に見ればツッコミどころ満載である。秘密の共有に酔っていたのかもしれない。合鍵を渡されたときの甘いときめきが、都合の悪い現実を覆い隠していたのである。 「エプロン、ごめんなさい。使っていいと言われたので、彼の所有物だと思って」  山根さんが、思い出したように謝ってくれた。スヌーピーのエプロンを、なぜ彼の物だと思ったのかわからないが、それはどうでもいいことである。肝心なのはハウスキーパー扱いだとしても、どちらが本命なのかということだが、それを考える前に山根さんから「あるブツ」が提出された。 「そしてこれも、貴女のですよね。ベッドの近くに落ちてました。それもあって、なんとなく他にも女性がいるのかな、と疑ってました」  山根さんがテーブルの上に置いたのは、ダイヤモンドと何かの宝石がついたピアス。アクセサリーには詳しくないが、安物でないことはわかる。 「いえ、私のじゃないです。私、ピアスホール開けてないので」  数秒、場が固まる。じゃあ、誰のだ。  翌日から、私と山根さんの合同捜査が始まった。思えば、おかしな関係である。つい昨日まで、同じ男に二股をかけられていた女同士が、三股目の証拠をつかむべく手を結んだのだ。そして交代で彼の家を張り込んだところ、あっという間に三人目の女性が浮上した。 「前田菜津子さん、丸の内の商社に勤めてますね。千歳烏山にある実家暮らし、割といいとこのお嬢さんみたいです。あ、彼の家に出入りする写真、撮りましたので」  山根さんの調査能力は素晴らしい。なぜ夜間モードつきの高性能デジカメを持っていたのかは謎だが、かなり鮮明に撮れている。第三の女の顔を確認してみた。女性誌で「モテ特集」に出てくるような、ふわっと清楚な美人である。  こりゃダメだ。私たちと同カテゴリーなら味方にしようかと思ったけど、彼女が本命で、私たちはその他2名だ。付き合っていると思っていたのはこっちだけで、彼にとってはやはりハウスキーパーだったのだろう。 「さあ、どうしてやりましょうか」 「とりあえず、敵の情報を得るところからですね」  こうなったら、ぶっ潰してやらねば気が済まない。あんな善良そうな顔して、とんでもない女の敵だ。今のところ、彼はこちらが尻尾をつかんでいる事実は知らない。それを利用して私たちは、彼の部屋に盗聴器を仕掛けることにした。  法律上どうなんだろうと思ったが、盗聴器を設置して傍受するだけなら罪にはならないそうだ。私たちは合鍵を渡されているので不法侵入ではないし、電話の回線もいじらない。あくまでもエプロンのポケットに忘れ物をしただけである。電池はハウスキーピングの時に交換すればいい。 「とりあえず1カ月、様子を見てみましょう」  そうして私と山根さんは、なにくわぬ顔で家政婦を続けた。相変わらず彼は隔週ペースで私たちを呼んだが、掃除と洗濯だけして「用事があるから」と泊まらずに帰った。  正直に言えば、まだ彼に対する気持ちが冷めたわけではない。顔を見れば、切なさで涙がこみあげてくる。しかし、他に本命がいる男と抱き合う気分になれなかった。付き合い始めの頃、浮かれてレースの下着を買ったのがバカらしく思えた。  事態が動いたのが、その月の終わり。例の彼女は毎週金曜の夜に来るとわかっていたので、それに合わせて準備を進めた。ちなみに盗聴はほとんど収穫がなかった。拾えたのはテレビの音と笑い声くらいで、スパイ映画みたいにはいかない事を知った。  しかし、私が別方面から執念でスペシャルゲストを獲得した。その人物が金曜日の夜、彼の家に入っていくのを確認して、私たちは部屋の真下で会話を傍受した。ようやく盗聴器が役に立つ。耳にイヤホンを突っ込んでマンション下に立つ、二人のアラサー女。怪しいことこの上ない。 「えっ、えええっ、なんで、お前」  彼が驚いて素っ頓狂な声を挙げる。「お前」と呼ばれた人物が、それに対して口を開いた。よく通る、低めの女性の声だ。 「なんでって、妻が夫の家に来ちゃいけないわけ。ところで、そちらのお嬢さんはどなた? 紹介してくれるかしら」  なんと、彼は三股どころか既婚者だった。単身赴任先で独身みたいな顔をして、好き勝手やっていることを、私たちが地元の奥さまへお知らせしてあげたのだ。  きっかけは、彼の苗字である。かなり珍しい名前で、彼の出身地に多いと聞いたことがあった。ある日、何か探偵ごっこのヒントにならないかと、彼の会社のウェブサイトを見ていたら、あれれ? 彼の勤めている会社は彼の出身地が本社で、社長や専務は彼と同じ苗字だ。もしかして同族経営?  そこからは比較的簡単だった。その珍しい名前を検索したら、専務の娘さんが彼の妻であることがわかった。結婚式の写真も出てきた。地元では大きな会社みたいで、あちこちのSNSに投稿されている。なるほど、専務の娘婿なのね。東京の支社で修行をしているかと思えば、ちゃっかり羽を伸ばしていたというわけだ。 「まあ、奥さまお気の毒。この証拠写真を送ってあげましょうね」 「それがいいですね、もちろん日付と時刻入りで」  喜々として私たちは写真をプリントした。3週連続、金曜夜から泊まって土曜日は腕を組んでおデートだ。私と山根さんの地味な容姿は探偵に向いている。週末ごとにカメラを持って追いかけ回したけど、全然ばれない。よし、この銀座の宝飾店から出てくる写真も一枚サービスしとこう。ブランドロゴ入りの紙袋を下げてるけど、何を買ってもらったんでしょうねぇ。  奥さまはこの匿名の手紙を正しく理解してくださったようで、その週の金曜日夜、9時過ぎを狙ってご入室あそばした。まあ、妻なら現場は押さえるだろうと思ったが、まさにその通りになった。私たちも騙された被害者だが、配偶者であれば彼に不貞の咎を追及する法的な権利がある。 「うわっ、やめろ!」  ガシャーンと何かが壊れる音がした。ショータイムが始まったらしい。てっきり奥さまが何か投げたのかと思ったら、ふんわり彼女さんが暴れているようだ。 「嘘つき! 私と結婚したいって言ったくせに!」(ガシャーン) 「やめろ、危ない!危ないって」 「あんた、そんなことを言ったの! 浮気男!」(パリーン)  いやぁ、私たちの修羅場はゆるかったが、こっちの修羅場はすごいな。そのうえ「取引先の女を二人も家政婦がわりに引っ張り込んでましたよ」と言えば、さらに燃料を投下できたかもしれないが、そのドタバタを聞いているうちに、私はなんだか疲れてしまった。 「あのぅ、山根さん」 「はい」 「……もう、よくないですか」 「……ですね、行きましょうか」  あんな男のために、これ以上エネルギーを使うのがもったいない。やる事をやり切った私たちは、駅前の焼きとり屋で乾杯して帰ることにした。大ジョッキに入った強炭酸ハイボールが、心身ともに疲れ果てた女たちの喉にしみる。 「まあね、普通に考えたらああいうモテそうな人が、フリーでいるわけないすよ」  アルコールで少し頬を赤く染めた山根さんが、自虐気味に苦笑いする。あんまり酒は強くないようだ。でも、今日ぐらい飲んでいいさ。よーし、私も自虐でお返しだ。 「たとえフリーでも、私なんか相手にしないって話ですよね。騙される前に気づけよって、ねぇ」  そう言いながら、なんだか泣きそうになった。好きだったんだよ、夢を見ちゃったんだよ。もしかしたら、この人の奥さんになれるんじゃないかなんて、せっせと掃除しながら期待に胸を膨らませたんだよ。なのに、二股どころか四股じゃないか。私の貴重な時間を返せ、バカ男!  怒りに任せてやっつけて、すっきりした途端、しまいこんでいた恋心が波のように押し寄せてきた。しかし大切な自分を守るために、ここは踏ん張らねばいかんところだ。  私たちは半泣きで、自虐ネタを連発しながら、氷で薄まったハイボールを煽った。その夜の焼きとりは、やけにしょっぱい味がした。  その後しばらくして、彼は取引先の本社へ連れ戻された。どんなお仕置きをされるのか、私たちが知ったことではないが、あれだけ人を便利に利用しておきながら、転勤の挨拶さえもなかった。どうせ、地元に戻るときはフェードアウトしようと思っていたのだろう。結局は、そんな男だったのだ。  あれ以来、たまに山根さんと飲むようになった。会社では「お疲れさまです」と声をかけあうくらいだが、約一ヶ月、同じ怒りや痛みを共有しながら闘ったことで、不思議な仲間意識が生まれてしまった。  もし、一対一で彼を挟んで取り合いになっていたら、恨めしい敵になっていたはずだ。そういう意味では騙されたその他2名で良かったのかもしれない。あんなしょうもない男より、焼きとりとハイボールで酔える女友だちの方が、人生においてはよほど貴重である。 完
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