祖母対音速ローブ

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「嘘でしょ……」  息を荒げながら私は呻いた。  私はぷにぷにの筋肉を駆使してペダルを漕いだ。道が下り坂に差しかかったのも相まって、自転車はかなりの速度に達していた。それにも関わらず、祖母との距離は一向に縮まらなかった。 「嘘でしょ!」  嘘ではなかった。祖母はローブ姿の人影と並び、物凄い速さで疾走していた。勢いが落ちる様子もなく、両者は抜きつ抜かれつのデッドヒートをいつまでも続けていた。  勢いを落としたのは私だけだった。足がペダルを回しているのか、ペダルが足を回しているのか、もはや判然としない状態で進み続けたけれど、下り坂が終わる頃には体力が底を尽き、私は弱々しい手つきでブレーキを握った。  ひとたび自転車を止めると、二つの背中は急速に遠ざかっていった。真っ直ぐ伸びた道の先へ、あるいは地平の彼方までも、際限なく走り続けていくかのようだった。  私はサドルにまたがったまま呆然とした気分で立ち尽くした。  聞いた話の通り、音速ローブという恐ろしい怪異は存在した。けれど私はそれよりも、祖母が見せたとんでもない脚力に衝撃を受け、怪談がどうのという思考は頭から吹き飛んでいた。  やがて祖母も人影も見えなくなった。奇妙な夢の中にいる心地でぼうっと街路の先を眺めていると、遙か向こうの方から、空気が破裂するような音が聞こえた気がした。  家族が起き出した頃になって祖母は家に帰ってきた。  ボロボロになった靴について、他の家族には「気分が乗って走り過ぎた」と説明していたけれど、私にだけは「勝ったよ」と嬉しげに教えてくれた。手には音速ローブから投げつけられた青白いタオルを握っていた。  祖母の話によると、しばらく走り続けて曲がり角にたどり着いた時、突然人影が立ち止まったらしい。人影は祖母に向かって満足げに頷きかけ、日の光に溶けるように消えていった。後には青白いタオルだけが残ったという。 「いい勝負だった。またやりたいね」  弾んだ声で言う祖母を前にして、私は安堵と呆れの混じった泣き笑いを浮かべるほかなかった。  それから数日経った後、私は学校で妙な噂を耳にした。  早朝ジョギングをしていると、淡い色の運動着を身にまとった老婆に競争を持ちかけられる。うかつに勝負を受けてしまうと、とてつもない速度を発揮する老婆の脚力に大差をつけられ、快足自慢もしょんぼり気落ちしてしまうという。  怪談ではない気がするけれど、この話は「音速ローブ」にちなんで「音速老婆」と呼ばれていた。「ダジャレじゃん」と友人は呆れていた。  家に帰ってから祖母に「音速老婆」のことを話すと、祖母は「なるほどねえ」と神妙な顔つきをした。 「その手があったね」  祖母はニッとたくましい笑みを浮かべた。  それからしばらくの間、私の家の近所を中心に「音速老婆」の目撃談が相次いだ。
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