一章

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「先生、今日は午後から三件の予約があります。皆さんご新規で、日高トオル(ひだかとおる)様、宮久保(みやくぼ)様、岩山(いわやま)様です。  先生? 何で日高様だけお名前が記載してあるんですか?」 「うん、何かね。予約の電話があった時に気になったんだよ。もしかしたらかなり厄介な方なんじゃ無いかと思って。だから一応名前まで聞いといたんだ」  本来なら名字だけで予約リストを作成するのだが、日高トオルだけは嫌な予感しかなかった。  たとえドタキャンがあったとしてもそれは相談者の都合だから仕方がない。誰にでも予期せぬ事態は起こる。  しかし、俺の所に来る相談者はきちんと礼儀をわきまえている様で、後々きちんとお礼を言ってきたり改めて予約の取り直しをするなど、それなりの常識がある相談者がほとんどだ。  今回の日高トオルに関しては顔を合わすまで無駄な詮索はしたくない。それと、何故だか胸騒ぎがしてならない。気のせいだと良いのだが。  白椿の質問にそう答えながらテーブルの汚れを台布巾で綺麗に拭き取る。俺の行動を見て白椿は不思議そうな顔をして更に尋ねてくる。 「先生? テーブル、随分綺麗になってますけど、まだ気になりますか?」  指摘されるまで無心で拭いていた俺は思わず体がビクッとなった。 「あっ、そうね、もう大丈夫そうだね」  いつもは相談者の事は考えない様にしている。が、今日ばかりは心して掛からなければならないと警戒をしていた。  相談者を招き入れるのは午後からと決めている。一日中人の出入りがあったら俺の身が持たない。しかも今日は三件の予約だ。精神的にも体力的にも消耗が激しいと予測される。なるべく体力を温存しなければ。 「大和ぉ」  先程の決意はどこへやら。俺は中庭に出ると縦横無尽に走り回る大和を捕まえて頭を撫でて戯れ始める。  このポッチャリ気味の柴犬、本当に可愛い過ぎる。立ち上がった短い前足で俺は難なく押し倒された。ブンブンと振り回す丸まった尻尾は、嬉しさマックスを表現している。 「お前は本当に可愛いなぁ、ヨシヨシ」 「先生! 体力温存ですよね?」  開けっ放しのサッシの奥から白椿に怒られた。そうやって何気に白椿に管理されている俺。  それでも声を殺しながら遊んでると、更に鬼の形相で怒られた。 「先生! 体、力、温、存!」  俺と大和はその声に固まった。まるで奥さんの様だ。 「はい、すみませんでした」  尻についた芝生を払って大和の頭を軽く撫でた。 「じゃぁな大和。また遊ぼうな」  室内に入るとサッシを少しだけ開けたままにした。俺をジッと見る大和。尻尾を振りながらお利口さんにその場に座っていた。
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