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5話 朱に交わって薄紅
「安堂さん、体の力抜いて。リラックスです」
「……分かってる」
「ではもう少しこのままで」
「…………七海、キツい」
「我慢してください」
「もう無理だって」
「はい、じゃあ最後に笑顔作ってみましょう」
「……これでいいか?」
「オッケーです、3分経ちました」
「はぁぁぁ終わったっ!」
安堂さんがソファに倒れ込む。
女装をして向かいに座る俺は、その様子を見ながらスマホのストップウォッチを止めた。
「3分見つめ合うとかクソしんどい……」
疲れ切ってぐったりしている安堂さんは、天井を睨みながら恨み言を絞り出している。
前髪の切間から覗く目はいつもよりは鋭いが、それでも我慢の範疇に収まっていた。
目線を下ろしてストップウォッチを確認する。
3分15秒。
女装した俺と対面で見つめ合った時間。
「でも上々ですよ。前は1分も持たず真っ赤になっていたのに」
「そらこんな良い顔毎回見てりゃな」
慣れとは恐ろしいもので、俺の読み通りレベルの高いものに触れ続けたことで女性全般への耐性が少しではあるが付いてきた。
脱衣所で着替えを済まし、Tシャツとジーパン姿で戻る。
「会社ではどうです?」
「そうだ、この前ちゃんとクライアントの目ぇ見て話せたぞ。笑顔も崩れなかったし」
安堂さんが起き上がって報告する。
得意げな顔なのがまた可愛いというか。
なんだろう、この子どもの成長を見守る保護者のような気持ち。
まぁ俺としても、成果が出ているのは嬉しい。
「やっぱ仕事柄、人の顔見れないのは致命的ですもんね」
「そうなんだよなぁ。本当七海のおかげだわ」
あぁ、こういう言葉聞けるとやった甲斐がある。ほんとよかった。
俺も落ち着いて話したくなったので、安堂さんの隣に座る。
「え」
座ったら安堂さんにギョッとされた。
なぜ?
「どうしました?」
なんとも言えない顔をしている。
「……七海って結構刺激強いよな」
「はい?」
言っている意味が分からなさすぎて変な高さの声が出た。
「俺ほど低刺激な人間は居ないと思いますが」
こんなフラットな人間を捕まえて何を言うかと思えば。
「……お前、自分が思ってるほどフラットな人間じゃないからな?」
心読めるのかこの人。
無言で圧を加えて真意を探ったが、安堂さんは答える気がないようでソファを立ってお茶を持ちに行った。
手持ち無沙汰になったので、スマホを出してTwitterを開く。すると、七月のアカウントにメッセージの通知が入っていた。
そういや通知切りっぱだった。忘れてた。
『みなみ:怪我が完治したのでようやく七月さん撮れますよ!!快気祝いは七月さんがいいな〜 久しぶりの七月さん成分たっぷり補充させてね♡』
相変わらず絶妙に気持ち悪い。
『七月:退院おめでとうございます また予定決めましょう』
返事をしたところで安堂さんがお茶を持って戻ってきた。性欲は大分落ち着いたようだ。
それでも頑なに隣へ座らないのは謎だが。
なぜだ、この前はここで一緒にアニメ見たのに。
「そういや来週、ようやくうちの課の新入社員が来るぞ」
そう言って前髪を鬱陶しそうに搔き上げる安堂さん。ムカつくくらい色気がある。俺もこういう色気ほしかったな。
…………新入社員?
「今ですか?この6月に?」
「お前忘れてんな。ほら、大学院からの新卒で男が1人配属だって年度末にあったろ」
居ないものは忘れても仕方ないのでは。
「何で今まで居なかったんです?」
「年度初め早々に事故ったか何かで、ずっと入院してたんだよ。それでようやくこの前、退院して研修終わったんだと」
「へー、そんな人いたんですね」
俺が気のない返事をしたことをめざとく察知した。
「興味なさすぎな」
うっ。
「……すみません、後輩にちゃんと気回せてなかったです」
「あ、悪い、そういうつもりじゃなかった」
肩を落として謝ると、安堂さんは慌てて言葉を足した。
「いや、お前真面目に働いてる割には、あんまり環境の変化に興味ないからさ。職場の居心地とか気にしねぇのかなって」
そういうことか。
「まぁ俺にとっては、安堂さんのいる所が一番居心地いいんで」
「…………告白?」
「そんなわけないでしょ」
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