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定時が過ぎて南波さんが帰った後、スマホに通知が入った。見ると、安堂さんからメッセージが届いていた。
『ちょっと今話せるか?』
今朝のことだろうな。
『大丈夫です 給湯室行きます』
『了解』
俺は安堂さんより先にデスクから離れて給湯室に向かった。せっかくだから、あったかいものでも飲んで落ち着こう。
ティーパックの紅茶を入れて、一息つく。立ちながら飲むのは良くないがこの際仕方ない。
「はぁー……」
「なんだ、随分疲れてんな」
安堂さんが、俺の様子を見て笑いながら入ってきた。
安堂さんの優しい笑顔を見て、今日一日中張り続けていた警戒心が一気に緩んだのが分かった。
この安心感。めちゃくちゃ落ち着く。
「……安堂さん」
「どうした?」
「変なこと頼んでもいいですか?」
「いいぞ」
「頭撫でてください」
「ばっ」
分かりやすくたじろいでいた。
いくら俺が疲れてるからって、部下にこんなこといきなり頼まれたら気持ち悪いよな。
やっぱ言わなきゃよかった、こんな子どもみたいな注文。
「すみません、なんでもないです」
「……いや、別に俺はいいけど」
そう言うと、安堂さんは俺の頭に手を置いた。最初は恐る恐るといった感じで撫でていたが、少ししたら指に髪を絡めて優しく撫でてくれた。
やばい、めっちゃ気持ちいい。
頭の中のわだかまりがスッと溶けるような感覚に思わず目を瞑る。
しばらくその状態で手の動きを堪能していたら、安堂さんの笑う声が聞こえた。
「そんなに気持ちいいか?」
「はい、とっても」
安堂さんの声も嫌そうじゃなくてよかった。
癒しの時間が流れる。
「やっぱり人に触られるのって癒されますね」
「手を揉んだりハグしたりって、セラピー効果あるって言うからなぁ。お前よっぽど疲れてたんだな。ハグでもしてやろうか、なんて」
上司のいつもの調子に、今日はものすごく安心する。
安堂さんとハグか。
「ーーそうですね。嫌じゃなければ、ハグしてください」
「……マジで?」
「安堂さんの包容力なら癒されるとーー」
最後まで言い切る前に、ふわりと抱きしめられた。一瞬視界が真っ暗になって何が起きたのかと思ったが、すぐそれが安堂さんの肩だということに気づく。
前もこんなことがあったが、全然感じることが違う。
ーーコーヒーと柔軟剤の匂い。
もちろん女みたいに柔らかくて多幸感のある触り心地というわけではないが、大きくて逞しい体にすっぽりと包まれるのは、これはこれで包容力があって心地よい。
「……その、どうだ?」
安堂さんがおずおずと耳元で聞いてきた。
「なんか、久々にハグした気がします。確かにこれは癒されますね」
「そりゃよかった。てか最初の方のリハビリでのハグはノーカンなのか?」
「あれは合意じゃないので」
「……すまん」
安堂さんの胸の中でゆっくり深呼吸した。
安堂さんって、男の俺が嗅いでもいい匂いなんだな。
「匂い嗅ぐなよ?」
「いい匂いなんだからいいじゃないですか」
「っ……はぁ、とりあえず癒されたみたいだから、本題入っていいか?」
そうだった、話をしに来たんだった。
セラピーのお礼を言ってハグを解いてもらった。
「南波さんのことですよね?今朝は、助け舟を出してくださりありがとうございました」
「そんなこと気にしなくていい。もしかしてアイツ、七月の方の知り合いか?」
安堂さんはコーヒーを淹れながら的確なところを突いてきた。
このことは聞かれなければ話さなくていいかとも思ったが、でも俺としては話しておきたいことでもあった。正直、社内に事情を理解してくれる人がいるのは非常に心強い。
それが安堂さんならなおさらだ。
俺は紅茶を啜りながら答えた。
「……そうです、彼は一応俺の専属カメラマンでして」
「この前話してた、しばらく休んでた専属カメラマンのことか」
「はい。まぁ別に俺が金を払って専属で依頼してるわけじゃないんですけどね」
「というと?」
……この辺の事情話すと、俺がナルシストみたいで嫌なんだけどなぁ。
すっげぇ気乗りしないけど話さないと事情が伝わらないわけだし。
はぁ。
「自分で言うのもあれなんですけど、彼、めちゃくちゃ俺のこと好きでして。あ、俺の女装がって意味ですけど。彼の中で俺の見た目は完璧らしくて引くくらい好きなんです」
「……どのくらい?」
安堂さんが眉をひそめている。
「最初に会った時、俺の帰り道付けて後ろから写真撮った挙句抱き着いてくるくらいには」
「警察行くか」
あ、やばい。目がマジだ。
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