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「ーーいや〜、やっぱ安堂さんレベチだったわ〜」
松田の言葉に無言で頷きながら、安堂さんを目で追いかける。ここから離れたテーブルに一人で座ってパスタを食べ始めていたが、もうすでに複数の女性社員に声をかけられているようだった。そこで一緒にご飯を食べようものなら男性社員のひがみもひとしおだ。しかし、安堂さんはおそらく女性社員を近くに座らせないよう、上手く誘導して話しているはずだ。
会話が終わってにこやかに去っていく女達。
やっぱりか。さすがすぎる。
「そういえば今週の日曜ひま?」
突然、松田に別の話題を振られて意識がこっちに戻った。
「競馬でも当てにいこうと思ってるんだけど、七海も一緒に来る?」
「俺はー……」
今週の予定は、あー……あったな。
「悪い」
「もう予定あったか。もしかして彼女?」
「いるわけないだろ」
「なんでお前の顔面偏差値でいないんだよ。逆に怖ぇよ。その顔でどうしたら彼女できないんだよ」
「うるさい」
俺にも色々事情があるんだよ。
そろそろ昼休憩も終わりに入り、人がぞろぞろと自分の部署へ戻り始めた。
俺と松田も食器を返却し、カフェテリアを出てそれぞれ仕事へと戻った。
……そういえば今週行かなきゃいけないんだな。
外出てすんのはあんま好きじゃないんだけど。
「…………たまには頑張るか」
俺の小さな小さな呟きは、周りのタイピング音でかき消されて誰も拾いはしなかった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「こちらが列の最後尾となっておりまーす」
「すみません、これ一冊ください」
「目線お願いしまーす」
売り子と客の話し声、そして俺の周りで響く大量のシャッター音。
ここは同人誌即売会の会場。
そこで、俺は今、女装でコスプレをして写真を撮られまくっている。
タイツとスカートとブーツを履き、白髪ロングのウィッグを付け、完璧な化粧をキメているわけだ。
「今日の七月さんもめちゃくちゃきれいなんだよなぁ」
「七月さんが推しのコスなの激アツすぎる」
「マジ神、美しすぎ」
「あれで男はバグだろ」
何を言われようと、一対一で話しかけられなければ全てスルー。笑顔も全く得意でないので、役になり切るという体で無表情のままポーズをとる。
そう、これが今週入っていた予定である。もちろん趣味でやっているわけではない。あえて言うなら副業、だ。
ことの発端は大学生の時、レイヤーの姉のピンチヒッターとして呼ばれたのが始まりだ。次の日撮影を入れているのを忘れて、二日酔いになり顔がむくみまくっていた姉から「この状況をプラスに持っていくにはお前の顔しかない」などと頼まれ、渋々姉の用意した衣装を着る羽目になった。姉の予想は的中し、写真は無駄にバズることになったのだが、その時俺もせっかくなのでこの機に乗じて小遣いを稼ごうと思ったのである。お陰様で、女装の写真のCD-ROMとYouTubeで一定収入を得ている。
俺は別に女装が好きで見せたいというわけではないので、オフをメインに活動はしていない。しかしネット上での利害関係を円滑にするためには全く外へ出ないわけにもいかないため、知り合いのサークルが参加する時にこうしてたまにお邪魔しているのだ。
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