1話 人の秘密は知らない方が吉

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しばらくして、撮影の群衆の波が穏やかになり、一度体制を整えるため男子トイレに向かった。混むのは嫌なので、多少遠くても会場の外まで出る。道行く人がすれ違うたび視線を向けてくるのは、これだけレイヤーをやっていればもう慣れた。むしろレイヤーとしての完成度が高いからこそ目を引くのだと思うと、自尊心もそれなりに満たされる。  趣味というほど好きなわけでもないが、嫌にならないということは、自分の女装姿を少なからず気に入っているんだろう。ただ、それが少々影響して、彼女ができないという弊害も生まれているが。 さておき、今日の反応は割と良さげだな。 上々、上々。  少し離れたトイレは、予想通り混んでいなかった。当たり前だが男には変わりないので、入るのは男子トイレ。 「うおっ」 「うわ!?」  しかし、混んでいないにも関わらず、すんなり男子トイレへ踏み入ることはできなかった。気持ちの問題ではない。物理的な問題である。 ようするに入り口で人とぶつかった。かなり大柄でガタイのいい男だ。相手は驚きのあまり手荷物を離してしまったらしく、戦利品がバラバラと下に落ちる。 そりゃ驚くよな、女が男子トイレに入ろうとしたら。驚かせて非常に申し訳ない。 「すみません驚かせて。拾うの手伝いますんで」 相手の顔を確認するよりも先に、しゃがんで彼の戦利品を拾い集める。それにしても戦利品にしては控えめな量だな。初めてか? 「いや!大丈夫です!あの、結構ですから!拾いますので構わず女子トイレへどうぞ!」 めっちゃ焦ってる。やっぱり勘違いしてるよなぁ。 …………………ん?この声は。 落とし物を拾い終えて立ち上がり、相手の顔を改めて正面から見やる。 何という奇遇、ぶつかった相手は安堂さんだった。 道理で戦利品がメジャー作品の健全なものしかないわけだ。スマートな安堂さんにしては珍しく、顔を真っ赤にしながら冷や汗をダラダラ流している。こんなに余裕のない顔初めて見た。もしかしてものすごく体調が悪いのか? 「あの、これ」 戦利品を袋に戻して差し出しながら、思わず一歩前に詰め寄る。本当に具合が悪くないか、もう少しちゃんと顔色を確認したい。 「あ、あ、ありがとう!」 安堂さんは素早くそれを受け取ると、詰め寄られた分以上の距離を取った。表情もさっきより険しくなっている。 俺何か悪いことーーーーあれ。 「ーー安堂さん、疲れマラ……?」 「っ!!失礼します!!」 思ったことを口に出してしまった瞬間、弾かれたように俺の横を走り抜けて、会場とは逆方向に爆速で去っていった。 …………今の安堂さん、見間違えようもなく、ハッキリしっかり勃ってたよな。 いくら俺の完成度が高いにしても、女にぶつかられただけで反応するとは、あの人相当疲れている。俺が思っていた以上に、安堂さんの過労は深刻な状態なのかもしれない。そういえば、俺の仕事は手伝ってもらうことあるのに、安堂さんの仕事は手伝ったことがない。 安堂さん、まさかここまで疲れているとは……。 「月曜、仕事奪いまくろう……」  明日からもっと有用な働きをすることを決意し、まだ衝撃を引きずった頭のまま俺は会場の方に戻っていった。残念ながら、男子トイレに行きそびれたことに気がついたのは戻ってからのことだった。
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