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いつもと違うことが起きたのは、退勤しようと思ってパソコンをシャットダウンし、鞄を持った直後だった。
「なぁ、七海」
安堂さんから声をかけられた。一瞬やり忘れた仕事でもあったかと思ったが、振り返って顔を確認し、そうではないことにすぐ気づく。迷いのある歯切れの悪い声、曇りのある表情、そういう雰囲気ではないことは分かった。
「はい、どうかしましたか?」
「この後時間あるか?ちょっと話があってな。俺も今から帰るからちょっとだけ付き合ってくれないか」
「予定は特にないので大丈夫です」
安堂さんから仕事外で時間を作って話がしたいとは珍しい。新人時代ならば何度も外で話をしていたが、最近はたまにご飯を一緒に食べるくらいで、それもたまたま帰り時間が合った時だけだ。
一体どんな話を聞けるのやら。とりあえず着いて行ってみるしかない。
✳︎ ✳︎ ✳︎
連れてこられたのは2駅先のファミレスだった。近場で話さないとは随分徹底してらっしゃる。
ファミレスはほどよく混んでおり、騒ついた店内は話をするにはもってこいの空間となっていた。
「ご注文を伺います」
「コーヒーとパンケーキを1つ。七海はどうする?ここは俺が持つから何でもいいぞ」
「では、同じものをお願いします」
「かしこまりました」
注文を済ませ、改めて向かいに座る安堂さんの顔を伺う。安堂さんは神妙な面持ちで、なにやらスマホの画面を確認していた。ファミレス居ても様になるってすげぇイケメン度合い。別に今の顔に不満があるわけじゃないんだけど、こういうタイプの顔の方が男前で羨ましいと思っちゃうんだよな。
「じゃあ、まず俺が話す前に確認しときたいことがあるんだが……」
脳内思考が脱線しかけていたが、安堂さんが口を開いたことで当初の目的を思い出した。
「あ、はい。なんでしょうか」
「……違ったら悪いが、このアカウントはもしかして、お前か?」
気まずそうな顔でおずおずと差し出してきたスマホ。その画面には、七月と書かれたTwitterアカウントが写されていた。
まごう事なく、これは俺の女装レイヤー用のアカウントだ。
一瞬思考がフリーズする。
マジか。
「……………………俺、ですね」
「マジか」
「マジです、というか『マジか』は俺のセリフですよ。どうやって特定したんです?」
正直バレたこと自体は痛くも痒くもない。そもそも安堂さんは、人のこういうことを言いふらすような人間じゃないからな。
でも、聞きたいことはある。確かにトイレでは鉢合ったけど、あんなんだけで分かるか普通。背格好が似てる人間なんてごまんといる。こっちは顔変わるくらいバッチリメイクしてたんだぞ?俺が怪訝な顔で安堂さんを見つめると、バツが悪そうに目線を逸らした。
「すまん……あの日のイベントに来ていたコスプレイヤーは全員漁ってな。アカウントはすぐ見つけたんだ。男だと明記はしてなかったが、会話を見れば隠してないから簡単に分かった。あとはほら、YouTubeで一回私服っぽい服で撮ってた回あったろ。あの時だけお前が普段つけてるのと同じ腕時計してたから、取り忘れたんじゃねぇかなって」
なんて優秀な特定班だよ。
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