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桃子は橙子の手首を引っ張り、運良く走ってきたトラックの前に飛び出した。そして手を離し、自分は駆け抜けるように反対側に走った。瞬発力には自信がある。
橙子は、まんまと轢かれた。
あのとき、トラックの運転手に一部始終を目撃されていたらとか、姉がうまく避けて怪我もしなかったらとか、何も考えてはいなかった。タイミングを見て姉をトラックの前に引きずり込むことしか考えていなかった。
結果、トラックの運転手は脇見運転をしていて何も見ておらず、目撃者はなく、自分は無傷。本当に、神様に愛されていると思った。
桃子は、橙子が自分を庇ってくれたと偽った。優しい姉の像をつくり上げ、自分は姉をずっと信じていたと言い、世の同情心を買う。
橙子と自分を切り離して考えてくれないなら、橙子の存在自体を変えてやろう。そう思ったのだ。
正直、こんなにうまくいくなんて思わなかった。桃子的には、たとえ自分の身近は変わらなくても世間の人々にさえ肯定してもらえれば……と思っての行動だった。しかし桃子への共感は一部だけにとどまらず、桃子の身近まで浸透していき、ネット上の桃子の悪口が減った。
京香に「友達枠で……」と言われたとき、浅ましいなとは思ったが、腹立たしくはなかった。むしろ、これだけ私という存在が変わったんだと嬉しかった。率先して友達と言いたいと思われるほど、印象が変わったということなのだから。
ただ一点、橙子がすぐには死ななかったことが気掛かりだった。重体とはいえ、意識が戻ってしまえば自分のしたことがばれてしまう。
桃子は毎日病院に通い、死んでと強く祈り続けた。何度、橙子の息の根を止めてやろうかと思い、歯ぎしりしたことか。しかし医師や看護師が絶えず出入りしていたので、それは不可能だった。
しかし、ようやく……ようやく死んだ。やっぱり私は特別だった。元の私に、ようやく戻っていく。
人は、流され惑わされるものだ。他人からの言葉に踊らされ、揺れている。虚栄心をかざして、他人に良く思われようと足掻く。
……分かっている。それが、私だ。でも、それのどこが悪いの?
スマホを開く。ネット上には、橙子が死んだというニュースが早速列挙されていた。ニュースタイトルだけ流し見しながら、桃子はコメントが書かれている欄を開いた。
『桃子ちゃん大丈夫かなあ、あんなに健気でかわいい桃子ちゃんにこのニュース……つらすぎる』
『桃子さんが心配です。何ぶん姉想いの良い人だから、相当応えているのではないでしょうか』
『桃ちゃん頑張って! ずっと応援してる!』
「ふふふ……」
そう、何も、ネットは悪口が蔓延るだけの場じゃない。こうして応援してくれる人もたくさんいるのだ。桃子は瞳孔を開きながらコメント欄をスクロールしていく。
ダメだ、口元が緩んで仕方がない。笑い声を喉の奥に留めておくことはできなかった。
見て。私を見て。こんなに評価されている私を、素晴らしい私を、もっと見て……!
「あははは……!」
桃子は、狂ったように、笑い続けていた。
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