狂いへの揺り

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           ・・・  姉のいる病室は、看護師や医師がせわしなく出入りしている、あの角部屋だ。  部屋に入り、姉のベッドの横に立つ。機械音が耳の中に響く。橙子には、顔全体を覆い隠すような装置がついていた。いくつもチューブが伸びていて、蛇のように見える。そして頭にはぐるぐると包帯が巻かれていた。  自分は、祈ることしかできない。桃子は胸の前で手を組み、ぎゅっと目を瞑った。  あの日のことが思い出される。  割と夜遅い時間だった。桃子は塾帰りで、橙子とはたまたま駅で会ったのだ。橙子も仕事帰りだったらしく、向こうから声を掛けられた。それで一緒に帰ることになったのだ。  人気(ひとけ)の少ない道沿いを歩いていた。帽子とサングラス姿の橙子は、サバサバした口調で今日あった出来事を喋り、桃子はスマホを見ながら相槌を打つ。二人の時は、いつもこんな感じだった。  しかし、その日は橙子の様子が少し違った。橙子は不意に立ち止まると、「嫌になっちゃう」と吐き出したのだ。 「……え?」 「だって、テレビ出始めの時は、自由にやっていいって言われてたから適当に喋ってたけど、それが変な意味でバズっちゃった今は、炎上するように喋れって命令される。反論できない。あたし、もう疲れたよ。こうなると何しても評価なんて上がんないし、上げさせてもらえない」  そして橙子は、トラックに轢かれる直前、こう呟いたのだ。 「あたし、もう芸能界やめようかな」  そう言った姉の姿が、桃子の記憶から離れない。  掛け布団の隙間から、橙子の腕がちらりと見えている。いつの間にかガリガリに痩せ細っていた。それを見た桃子は、自分の手を眼前に出し、開け閉めする。橙子が轢かれる直前に桃子が掴んだ、姉の骨張った手首の感触が、この手に思い出された。  桃子は歯ぎしりをし、その手のひらを閉じた。そして、震えるほどに拳を握りしめた。
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