詐欺師のやめ方【Cafe&BARあだん堂】

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 俺は元詐欺師だ。  元というのはすでに足を洗っているという意味もあるし、俺が既に死んでいるという意味でもある。  数年前のある日、詐欺師から足を洗って普通に働こうとしていたところで、過去に騙した男に刺されて死んだのだ。  それから気がついたらこの喫茶店にいた。「Cafe&BARあだん堂」。  この店は俺の詐欺師時代の兄貴分であるケイスケさんのお気に入りで、よく二人で話し込んでいた場所だ。要するに俺は地縛霊となってこの店に()いてしまったらしい。この店から出ようとしても出られないから、よほどこの店に未練があるのだろう。正直、驚きだった。俺はこの店に執着心があるとは思っていなかったのだ。  ただ、この店に憑いてしまったのはなんとなくわかる。この店でケイスケさんとたくさん語り合った時間が楽しかったからだ。大金が手に入ったら事業を起こそうとか、とにかく女遊びをしまくろうとか。今思えば詐欺師の分際で夢なんて語るなんてどうかしていたが、とにかくその頃は楽しくて仕方がなかった。  だからきっと俺はこの店に憑いてしまったのだろう。  開店前の(よど)んだ空気の店の中、俺はカウンターにある椅子に座ってぼんやりと考え事をしていた。ここにきてから考えるのはあの頃のことばかりだ。オレオレ詐欺から株関係の詐欺まで、実によく働いていた。ケイスケさんはどうやらヤクザと繋がりがあるらしく、稼いだ金の一部はヤクザに上納していた。ヤクザの方からは名簿が提供され、それを利用してまた稼ぐ……の繰り返しだった。  なぜ詐欺師になったか、明確なきっかけは思い出せないが、そこそこの偏差値の高校を卒業して、所謂(いわゆる)毒親だった両親から逃げるように家を飛び出した俺は、気がついたら半グレ集団の中にいた。その中でケイスケさんと俺は「頭が回るやつ」というポジションだった。そこでヤクザに目をつけられ、いつの間にか詐欺師になっていた。  たくさんの人を騙した。数十万円から数百万円の単位で、人からお金を騙し取った。その金で高級ソープに行ったり、焼肉に行ったり、寿司を食ったり、ブランド物の服や高級車を買ったりして、かなり羽振りは良かった。  しかし同時にたくさんの人の人生を台無しにした。数百万円、老後のためにと貯めていたお金を、株に投資して確実に増やすと言って騙し取った時は確実にその人の人生を壊していた。そんな中の一人に刺されて死んだわけだが、当然の報いだと思う。  当然の報いを受けて、ああ、俺は地獄に行くんだな、と思っていたら現世に留まってしまったのだ。地縛霊という形で。  地縛霊って本当にいるんだなあ、というのが最初の感想だった。他の地縛霊に会ったことはないのでわからないけれど。今の俺にできることは物をちょっと動かしたり、他人に憑依するといったちっぽけなことだった。数百万円を手玉に取っていた時代からは随分と矮小化(わいしょうか)してしまった俺という存在。でも仕方ない、これも罰のうちなのかもしれない。地獄に行くよりはだいぶマシだと思う。  開店時間が近くなったのですっかり定位置となった店の観葉植物の横に腰を下ろして三角座りをする。営業時間中はこの位置でずっと客を見ているのが日課だ。あだん堂にはさまざまな客が来る。若い女性も老人もジャズやクラシックに包まれた落ち着いた空間を楽しんでいる。店主は老成してはいるがなかなかの美形で、それを目当てで来る女性客もいるようだ。この店は昼はカフェ、夜はバー形態で経営しており、メニューも昼と夜では異なる。独特な渋い内装も相まって昼夜ともに賑わっている良い店だ。  ある日、いつものように昼のカフェに来ている客を観察していると、何かの勧誘をしている二人組の男女と老女がいた。男女の女の方が滔々(とうとう)と喋り、老女はそれに相槌(あいずち)を打っている。話の内容をよくよく聞くと、どうやらネズミ講の勧誘のようだった。  ネズミ講とは先に入会した者が、これに連鎖して段階的に増加する後続の入会した者が出す金品から、先に入会したものが出した金品の総額を上回る配当を受け取るという仕組みであり、ネズミのように連鎖して加入者が増えることからそう呼ばれている。  しかしながらネズミ講は実際には配当が思うように手に入らないケースが多く、現在は法律で禁止されている。  元詐欺師の俺からすれば、古典的すぎる手段なのだが、被害者は現在も後を絶たない。  老女は今にも契約書にサインをして印鑑を押しそうになっていた。店主は忙しいらしくこの事態には気づいていないようだ。  ああ、このままだとこの老女は騙されてしまうのだろう、そして老後の資金をネズミ購に吸い取られてしまうんだろうな、そう思った時自然とその老女に憑依(ひょうい)してしまった。 「これって所謂(いわゆる)ネズミ講ですよね?」  急に切り返した老女に、一瞬戸惑った女だったが、男の方が言い返してきた。 「これはネズミ講などではありません。少額な投資で資産を増やせるビジネスです」  おそらく「ネズミ講では?」と言われた時のマニュアルがあるのだろう。冷静に切り返してきた男に向かって俺は言った。 「少額だろうが私に誰かを勧誘させてその会員からまた投資させる……その時点でネズミ講です。ネズミ講、正式には『無限連鎖講』ですが、これについて開設、運営、及び勧誘は犯罪ですよ」  急に男の顔色が変わった。「無限連鎖講」と「犯罪」という単語に反応したらしい。現時点で老女が通報すれば二人とも逮捕される可能性があるからだ。 「……話になりませんね、このビジネスのお話は無かったことに」  そそくさと帰り支度をしながら男が言い放った。証拠を残すまいと契約書類一式もカバンに入れて立ち上がる。しかし俺は契約書に書いてあった「A会」という名称とその所在地、電話番号を暗記した。 「それで結構です」  男女が伝票も持たずに去った後、老女に憑依したまま会計を済ませ、店の出入り口付近で携帯電話から警察に「A会」について通報してやった。  ざまあみろ、と思いながら老女の体から抜け出ると、老女は困惑し、首を傾げながら退店していった。  罪滅ぼし、のつもりはないが、ついあの老女のためを思って行動してしまった。俺もヤキが回ったな、と思いながら定位置に座る。  俺を刺した男は老後の資金を根こそぎ俺に奪われたから、人殺しの罪を背負う覚悟で行動したのだ。それ程に老後の資金……働きながら貯めた老後のためのお金は、重い。自分だけではなく妻の老後の生活を支えるお金。  俺を刺して刑務所に入っている男のことを思うと、自然と行動してしまった。俺らしくないとは思うが、後悔どころかむしろスッキリした気持ちになった。  喫茶店はネズミ講の勧誘にはうってつけの場所で、しかもこの店はピーク時は店主が忙しくて客に目が行き届かないことが多い。なのであえてその時間帯を狙って勧誘をする(やから)が多いことに気づいた。俺はその都度勧誘されている側に憑依し、契約を断り、警察に通報するようになった。  死んでからする罪滅ぼしにどれだけの意味があるかはわからないが、やはり目の前で騙されようとしている人間を見ると居ても立ってもいられなくなった。人間は変わるものだ。だが悪党の俺を刺し殺して服役している男のことを思うとそうせざるを得なかった。  そんな日々が続いたある日、店にケイスケさんがやってきた。久しぶりに見るその姿は俺の生前と変わりなく、ヨレヨレのスーツ姿で、傍には女性がいた。  女性はどちらかと言えばふくよかで、化粧っ気もなく、真面目そうな人物でケイスケさんの好みではなさそうだった。  ケイスケさんは席に座ると、深刻そうな顔をして女性に話しかけた。 「親父の経営している会社が傾いていて、すぐにでも五百万円用意できないとその会社は経営破綻(けいえいはたん)してしまうんだ。俺の方で三十万円は用立てられるんだけど……」 「いいよコウちゃん。私の方で五百万円くらいなら用意できるから」 「でも……」 「コウちゃんだって生活大変なんでしょう?いいよ、私に出させて」 「……ありがとう。百合子にはいつも世話になってて、俺情けないな……」 「そんなことないって!コウちゃんには夢があるんだから、婚約者として応援させてよ」  典型的な結婚詐欺。コウだなんて偽名も使っているあたり、相変わらず念入りな仕事をしている。あのヨレヨレのスーツは結婚詐欺用だとケイスケさんが言っていたのを思い出す。しかしケイスケさんはまだ詐欺師をやっていたのか。俺が勝手に詐欺師を辞めてから連絡は取らないようにしていたが、ケイスケさんはヤクザとの繋がりもあるしそう簡単には辞められないのか、辞めるつもりはないのか……。  店内にいるケイスケさんを見ていると、かつてこの店で何時間も過ごした事を思い出す。当時は詐欺なんて引っかかる方が悪いと思っていたし、なんの根拠もないけれど自分たちは最強だと思っていた。ケイスケさんは騙されやすい人間や金持ちを見分けるコツ、人間観察の方法なんかを一から叩き込んでくれた。二人で協力して詐欺を働くこともあったし、背中を預けられる唯一の存在だと思っていた。  そんな俺がケイスケさんを置いて詐欺師を辞めた理由は、人を騙して金銭を得て面白おかしく暮らす、という生活はそろそろ潮時だと思ったからだった。  ケイスケさんはスムーズに銀行のアプリを使って口座へ五百万円を送金させようとしている。俺は迷った。ヤクザとの繋がりがあるケイスケさんの仕事を邪魔してしまったらヤクザから締められるのはケイスケさんだ。でも泡銭(あぶくぜに)での綱渡りのような暮らしを続けて欲しくないし、俺のようにいつか刺されてしまったら元も子もないという気持ちが勝った。  俺は百合子という女に憑依した。彼女に憑依したことでケイスケさんを数年ぶりに至近距離でみることになった。間近で見たケイスケさんはあの頃より少し老けて、覇気(はき)というかギラギラした光みたいなのが弱くなっている気がした。 「コウちゃん、お父さんの会社の経営状況は具体的にどういう感じなの?」 「……え?」  あっさり送金すると思っていた百合子がそう言い出したのでケイスケさんは戸惑いを隠せない表情でこちらを見返してきた。 「だって、五百万って大金を振り込むんだから、それくらいのこと教えてくれたっていいじゃない?」  そう言うとケイスケさんは慌てた様子で、 「百合子、お前どうしたんだ?」 「コウって偽名ですよね、本当は、橋場(はしば)慶介って名前でしょう?実家なんてない。これって詐欺ですよね?」 「……お前、何だ?」  ケイスケさんの顔が真顔になる。もちろんケイスケさんに霊感なんてないが、流石にここまで言われたら、この女が自分の思っている人物と違うことに思い至ったのだろう。 「私は……いや俺は浅野雄也です。ユウヤですよ、ケイスケさん」 「ユウヤって……あのユウヤか!?」 「そうです、あの刺し殺されたユウヤですよ」 「……」 「ケイスケさん、詐欺師なんてやめましょう。俺みたいに殺されるかもしれないです」  俺は懇願(こんがん)した。ケイスケさんには俺のような人生を歩んで欲しくない。罪の償いもできず、ただ刺し殺されて喫茶店の片隅の地縛霊になるような人生は。 「お前、俺の立場わかってるんだろ?ヤクザへの上納金が途切れればどちらにしろ俺は消される。だからやめられねえんだよ」 「上納金の件は俺がなんとかします。俺たちがしてきたのは他人の人生を台無しにすることです。自首して罪を償いましょう」 「なんとかするって言ったってどうするんだ!?」 「それは――」  数日後、Cafe&BARあだん堂の夜の営業時間に、上納金を納めているY組の幹部とその部下をケイスケさんは呼び出した。店主はこちらをチラチラ気にしている様子だ。明らかにヤクザとその舎弟(しゃてい)が来ているのだから無理もない。しかも二人の間には緊迫した空気が漂っている。 「急に呼び出すとはどんな用件じゃ」  幹部がドスの効いた声で言う。さすがに幹部ともなると迫力が半端ではない。腰にズンとくる低音だ。 「実は警察に目をつけられてしまいまして、このままでは逮捕される可能性が出てきました」 「下手を打ったってことか!?」  幹部が椅子から腰を浮かし、部下は今にもケイスケさんに掴みかかりそうな勢いだ。 「はい、すみません……」 「おい、お前、……」  と幹部が巻き舌で怒りをぶつけようとした瞬間、俺は彼に憑依した。そこで事前に用意していた台詞をケイスケさんに言ってもらう。 「このままだと組との関係にまで警察の捜査が及ぶ可能性があります。つきましてはそれを防ぐために組抜けをさせていただけませんか」 「……わかった。Y組幹部、山下謙蔵(やましたけんぞう)の名に()いて組抜けを認めよう」 「兄貴!?」  部下が驚いた表情で幹部を見つめる。 「ありがとうございます。ではこちらに一筆お願いいたします」  そう言って組抜けに際し一切の責務を負わせないという旨の書類を差し出した。 「おい、ケイスケェ!そうは問屋がおろさんど!」  血色(けっしょく)ばむ部下たちを幹部に憑依した俺が制す。 「ええ、ええ。警察に目をつけられて探られる方が厄介じゃ。こいつはよう稼ぐからシノギがなくなるのは痛いが仕方ないのお」  俺はそう言って用意した書類に名前と拇印(ぼいん)()した。ちなみに机の下にはレコーダを仕掛けており、一連の会話を録音してある。部下も証人になってくれるだろうしこれでケイスケさんの組抜けは万全だ。  俺が憑依をやめた瞬間、ヤクザの幹部はしばし呆然としていたが、何が起きたかわからないと言った顔で店を後にした。  ケイスケさんはしばし書類を見た後それをカバンにしまい、席を立った。 「ユウヤ、ありがとうな」  しばらくして、ある客が新聞を読んでいるのが目に入った。その一面にでかでかとある記事が記載されていた。  「熟練の詐欺師自首 橋場慶介(三五)」  
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