4 僕はどうすれば……

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 買い出しから帰ったのは、、午前十一時を少し過ぎた頃だった。  食堂前の駐車スペースに車を止めてガラス戸の内側をのぞき込んだ僕の目に映ったのは、仲良し家族の食卓のような光景だ。テーブルを囲んでいるのは、祖父と母と香純。麦茶やかき氷を前に、和やかに談笑している。  少し離れた場所に座った安西さんが、冷静にその賑わいを観察しているようだ。  僕はいつもどおりに両腕にエコバッグを下げて自宅の玄関にまわり、家族用の食材を台所へと運んだ。次に自宅側から食堂の厨房へ通じる扉の前に、業務用の荷物を持ってゆく。  薄い引き戸をあけようとしたところで、食堂側から安西さんの声がきこえた。 「JK、なぜここで宿題をしているんだ。自宅でやれよ」 「ここ、エアコンで涼しいし! カフェとか多少の雑音があるところの方が仕事や勉強が捗るって、テレビで言ってたし!」 「だったらカフェに行けよ」 「こんな田舎にそんなのないし! 安西さん、この店の主人じゃないのにうるさいよ」 「生意気だな」  香純と安西さんも、大分馴染んだみたいだ。軽口を叩きあう様子が微笑ましい。 「悧羽に会いたいだけだろ」 「なっ!」 「図星じゃなぁ、かすみん」 「かすみんって何、じいちゃん」 「はっはっは」  日頃は眠そうな祖父も、今日は笑っているようだ。  だってさぁ、と再び香純が言い出し、僕は大量の(なま)ものを抱えているにも関わらず戸を開けるタイミングを逃してしまう。 「心配なんだもん。悧羽兄(りうにい)はいつも優しいけど、本当の気持ちを見せない人だから」  ……なんだ、それ。 「悧羽兄が疲れたって言ったの聞いた事ないよ、あんなに重労働の毎日なのに」 「甘え下手で人に頼るのが苦手なのさ。悧羽は昔からそういう子だったねぇ、夏江?」 「そうね。辛くても上手に隠せちゃうし、妙に頑固で完璧主義なのよね。こっちも手を貸して良いか迷う事があるわ」  祖父も母も天気の話をするような呑気な口調で、一体何を話しているのだろう。  両腕に抱えた食材がどんどん重さを増してゆき、冷蔵庫内の製氷機で作るだけでは追いつかず安西さんのために買ってきた氷が溶けて水へと戻り始める。  ──モモちゃん。  ──コンシェルジュか。 「面倒なやつだな」  安西さんの平坦な声が胸に刺さった。僕は皆のために頑張ってきたのに、そんな風に思われていたなんて知らなかった。  だったら僕は、どうしたら良かった?  どかっ、と大きく響いた音で我に返った。無意識に、僕の右足は引き戸を強く蹴りつけていたらしい。勢いに任せてそのまま厨房側へ入り、一段低い三和土(たたき)に置いていたサンダルに足を突っ込んだ。四人がいっせいに目を丸くしてこちらを見たけれど、笑って誤魔化す気になどなれはしない。 「母さん、昼食の支度を手伝って。じいちゃん、貞夫(さだお)さんにビールとグラドルの写真集をちゃんと断って」  迷うというなら指示をしてやる。僕だって、いつも限界寸前なのだ。割り振れる仕事ならそうした方が良いに決まっている。 「香純! 昼の混雑が始まるから帰って」 「えーっ。いきなり何、悧羽兄」 「本心が知りたいんだろ。ここは高校の教室でも家庭の居間でもなく、営業中の食堂だ」 「そんなぁ」 「安西さん。あなたが来てから、氷の減りが早くなりましたよ」  一瞬、彼が客だということが頭から吹っ飛んだ。数々の不躾な発言に仕返しをしてみたくなったのは、単なる八つ当たりだろう。  どんな反応をするのかと楽しみに待ったが、彼は左手で後頭部をかいて、そうか、と言っただけだった。僕には散々耳に痛いことを言っておいて、自分への苦情は飄々と受け流すとは憎々しいにもほどがある。  と思った瞬間、ぴ、と最初の一音が室内の空気に放たれた。すぐに、ぴぴぴぴぴと連続した電子音の群れに変わったそれは、先日も聞いた、安西さんのスマホの着信音だ。 「失礼」  誰にともなく言って携帯を耳に当て、食堂の外へ出ていく安西さん。その僅かの隙に、僕は彼の横顔に苦悶の色を読み取った。 「ねぇ。安西さんって本当は何者なのかな」 「さぁねぇ。悧羽、何か聞いてる?」  香純が口元に手を当てて母に耳打ちし、当の母はこちらを振り返る。が、僕にも彼の素性は判らない。 「夏に長期休暇を満喫できるなんて、どこかのお金持ちかIT社長か、マフィアのボス? 電話の相手が彼女じゃないなら、もしかして彼氏?」 「ごふっ」  女子高生の無粋な憶測に茶を吹き出したのは、僕でも母でもなく祖父だった。 「香純。お客さんのことを邪推するのはよくないよ」 「はぁ〜い」  祖父の背を叩きながら咎める母へ渋々頷く香純を横目に見つつ、僕は冷蔵庫を開けた。  海水浴に出かけた真山さん一家も、お昼には帰ってくるかもしれない。注文に備えねば。 「彼は悪人ではないよ、大丈夫」 「じいちゃん、純粋! 大好き!」  ほのぼのとつぶやいた祖父に、すかさず香純が飛びついてゆく。何を根拠に、と母が嘆息した気持ちは僕にも判らなくはない。  ガラス戸の向こう、こちらへ背を向けて立つ安西さんの顔は見えないままだ。  僕の内面を容易く見抜いた人は今、不可視の電波で誰と繋がり、何を話しているのだろう。
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