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(読切・完結)
それは、僕が知る限りこの世で一番無垢な白だった。
真の純白、100パーセントの「白」だった。
◆◆◆◆◆
20数年前のことだった。
母に連れられて、祖母の田舎を訪れた。
この国が「恒久の平和」を宣言するまでに、多くの尊い命を犠牲にした戦争のさなか、一途な慕情に殉じた若い恋人同士のなきがらがそこにはあった。
特別攻撃隊への名誉ある入隊命令を拒み、隣家の一人娘と薄氷に閉ざされた深い池に身を投じて心中した祖母の兄は、長らく一族の汚名とされてきた。
死期を間近に迎えた祖母の夢枕に現れるまでは、誰もその存在すら忘れていたらしい。
深い山中の雑木林に囲まれた小さな池のほとりに、申し訳程度に土を盛り上げ、適当に石を積み上げただけの塚が、なごり雪に覆われていた。
当時、僕は6歳。大人たちの会話からある程度の事情をうかがい知ることのできる早熟な子だったとはいえ、後の知識を幼い日の感傷とミックスして、記憶をつくりかえている部分はあるかもしれない。
ともあれ、伯父たちが白い息をはずませながら掘り返した粗末な塚からは、もとは酒樽のようなものだったとおぼしき朽ち果てた木の棺が出てきた。
祖父が生前付き合いのあった地元の業者から借り出した重機を使って土ごと掘り上げたそこには……白骨化した二体の泥まみれのなきがらがあった。
朽ちかけた頭骨には、頭髪がいくぶん残っていたように思われたが、さだかではないのだ。
それは、僕の記憶の中だけの真実だろうか?
汚辱の中から救いあげられた恋人たちは、向かい合い、支えあうような格好で丸くなり、幼い視界に飛び込んだその手首の辺りに赤いひもが幾重にも巻きつけられていた。
互いの手が決して離れることのないよう固く結びつけて深い淵に沈んだそのときのままのように。
……いや、それはやはり僕が後年アタマの中でつくりかえた虚像だろう。
そのとき掘り出された人骨はもっと粉々で原型をとどめず、伯父たちはそれらを大きなアルミ缶か何かにカキ集めて、まるでバーベキューでもやるような気軽さで、鉄板の上に少しづつ移しては、ガスバーナーを使って丹念に焼きあげていたはずだ。
それから大きな骨壷に(雪まみれの泥に汚れた軍手をはめたまま)押し詰めて、先祖代々の墓所に運んで弔ったのだ。
娘の家系は絶えてしまっていたとか。だから、再び一緒に埋葬することには異論の出る余地もなかったのだろうが、墓碑に彼女の名が刻まれることはなかった。
ああ、そうだ。
泥に汚れた"かけら"が、初春の冷気を裂く青い炎の刃に研がれて、みるみる綺麗な白い破片に変わっていくのを僕は見た。
青い炎が、骨を洗っていくように感じたんだ。
そして現れた、その骨の色は、僕が知る限り世界でもっとも白い"白"だった。
至上の白だった。
◆◆◆◆◆
撮影した映像をチェックしようと、空港から、そのままテレビ局の編集室に立ち寄った。
某国の"エリアなにがし"と呼ばれる秘密の施設で宇宙人が捕獲され生体実験されたという、タブロイド誌まがいの取材に同行し、帰国したばかりだ。
おもしろおかしく編集して、春休みのバラエティー特番に使うのだそうな。
「……?」
撮影データを再生したモニタには、軍事施設の関係者のインタビューが流れるはずだった。
しかし、画面は白い灰でも降り積もっているかのように、ボヤけた霧状の影に覆われていた。
「おかしいな」
あれこれ調整してみたが、霧は晴れない。
そのとき、顔なじみの局員が息を切らして駆け込んできて、A4用紙に印字されたファクシミリの文書を手渡した。
『昨日未明、某国の巨大軍事核燃料処理工場で事故が発生。大規模な放射能汚染の可能性。一部の軍関係者により事態は秘密裏に隠ぺいされようとしたが、予想をはるかに上回る甚大な被害の深刻さに、公表を余儀なくされ……』
それは、たった今、某国の駐在支局から入ったばかりのニュースだった。
……ああ、それでか。
思い出した。10数年前に極東で起きた原発事故のときにそんなことがあったと、先輩カメラマンから聞いたことがある。
「ごめん……このテープ全部、使い物にならないや」
僕は、モニタの白い霧をぼんやりと眺めて言った。
「放射能を強く浴びると、こんなふうに。フィルムに白い影が出てしまうんだ。そういうものらしいよ」
◆◆◆◆◆
3ヶ月がすぎた。
僕は、体中にチューブをつながれ、殺風景な無菌室に閉じ込められている。
まるで囚われの宇宙人だ。頭髪が完全に抜け落ちた青白い頭部に痩せこけた頬骨。目だけがぎょろりと光って見えるに違いない。
例のバラエティー番組は、史上最大級という呼称を更新した放射能漏れ事故の特番に変わったらしい。
このところ、やたらと夢ばかり見る。
まぶたの裏に広がる純白……僕の未来をむしばんだ白い闇か?
静謐な菊の芳香がおだやかに鼻腔をただよう。
僕は歩いている。僕の足裏は赤ん坊のように柔らかく、しゃりしゃりと踏みしだいているのは、純白の中になおいっそう白くたたずむ無数の骨のかけらだ。
地面から少しづつ湧きあがり降りつもっては嵩を増して、ゆるやかに僕を沈めていく。混じりけのない本当の白色だ。
しゃり、しゃりと。
幼い日に見た恋人たちのように、どちらがどちらの骨ともわからぬまでに混じりあった無数の白いかけら。
本当に、本当に白い、至上の白。
(完結)
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