1人が本棚に入れています
本棚に追加
浮遊カレー
一月、奇妙な午前を過ごした僕は、最寄り駅に帰ってきた足でそのまま、徒歩20分ほど離れた大きな公園に向かった。1日のバランスを取るために自然を享受する必要があった。訳あって音楽を聴く気分ではなかったので、ラジオを聴きながらそろそろと歩いた。この公園は、自宅から駅を挟んで向こうなので家からは少し遠いが、僕はたまに自然を必要とする性分で、21歳の中では高頻度で訪れている方だろうと思う。しかし最近は来ていなかった。ふと思い出すと、気になっている(ごく最近は過去形になりつつある)女の子と散歩で来たのが最後だった。去年の10月、彼女は他県にある職場の寮から地元に帰ってきていて、その日は彼女の弟の誕生日だった。必然、会うのは遅くなった。確か20時くらいだった。僕は女性経験が豊富な方ではないので、本当に散歩だけしかしなかった。ムーディーな話すら出来なかった。それ以来あからさまに疎遠になったので、僕にあった好意は薄れつつある。人間は3週間ほど連絡が途絶えると関係性がリセットに向かうらしい。しかしそれはちょっとした失恋めいたものであり、この道程を歩くとそれを思い出して重ねざるを得ないので、無意識に、もしくは有意識に避けていたのだった。その忌避に勝る自然への憧憬が僕にこのトラウマロードを歩かせた。肩を窄めて歩きながらその夜の散歩を振り返ると、20時に近所の花屋の前で待ち合わせ、公園までの道を歩き、緊張もあってかトイレに行きたくなり、公園のトイレは少々不衛生だと考え、(彼女も公園のトイレは嫌だろうと思ったし、女性はトイレで化粧直しなどをするため、男からトイレに行きたいと言おう!というマニュアルのようなものを守ろうという切実な思いがそこにはあった。)暗闇の公園を突っ切り、駐車場、横切る道路を越え、新しくできたコンビニに入り、トイレを利用した。出てみると彼女は店内で待っており、振り返りトイレを改めてみると、ドアに男女共用を指すマークが貼ってあり、扉はたった一つだった。そりゃ、散歩を2人でしているとは言え、一切腹を割っていない異性が入ったばかりのトイレは使いたくないだろう。そして、上述した通り自宅からはそこそこの距離があるので20時集合の我々にはもう時間も大してなく、そのままコンビニを出、公園を突っ切り、帰路に着いた。長ーい連れションだ。散歩デートなんて聞こえのいい、なんだか健康的で陽の当たるようなものではなく、暗闇の中トイレに行って帰っただけだ。しかも他人と。疎遠になるのも当然だろう。昼下がりの公園を歩きつつ僕はクスッと己の不慣れさに笑ってしまった。この公園には池がある。小学校の校庭が3つ入りそうな大きさだ。その池の中心部には小島があり、冬枯れの巨木が2本花開いている。その足元を常緑樹の低木が固めている。巨木の枝先には鳥の巣が10個ほど乗っている。現役の巣はなく、枯れた雰囲気を促進している。巨木の真ん中くらいの太い枝に、灰色の背を向け首をうずめた鷺が微動だにせずとまっている。暖かみのある斜め日が骨のような枝の隙間を満たしている。そこに僕は、人が早贄のように吊られていたら壮観だろうと思った。それは大きすぎてはいけない。小さすぎてもいけない。男性の平均身長くらい、170センチほど、そう、ちょうど僕くらいの人間が吊られていたら壮観だろうと思った。
最初のコメントを投稿しよう!