花ひとひら〜空から

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花ひとひら〜空から

散りはじめた川沿いの桜並木 桜の花びらの絨毯を踏みしめながら、待つ者のない家路をひとりとぼとぼ歩く夕暮れ 時おり散った桜が髪や肩に舞い降りる ふと足をとめ見るでもなく上を見る ひとひら花びらが私に向かって落ちてくるのをとっさに手をだし受け止める 淡く薄っすらピンク色をした桜の花びら 手の中で愛でる 不意に泪が溢れだす やがて手のひらの花びらにひとつ落ちた泪をじっと見つめた 会いたい もう一度会いたい 「香織ちゃん、香織ちゃん」 名前を呼ばれふと我にかえる 「香織ちゃん会いたかった」 声のする足元を見ると最近空へ旅立った愛猫ではないか 「香織ちゃん早く抱っこ、抱っこして」 リルはいつもこうして私が部屋に帰るなり抱っこをせがんで這い上がってきてはストッキングをだめにした 「香織ちゃんてば、抱っこだよ。いつもしてくれるじゃない早く早く」 私はリルを抱き上げ強く抱きしめた 「香織ちゃん苦しい苦しいもっと優しくだよ」 リルだ リル、私もずっと会いたかった リル 私は声を放って泣いた あの日リルが空へ旅立った日と同じように 「リル、私ね、私ね」 泪でむせて思うように声もでない 「香織ちゃんの抱っこは世界一だよ」 リルはずっと私の頬や鼻や口元を額で押しつけた いつもと同じリルだ 「リル戻ってきてくれたの」 リルは額を私の顔から離し目を見ながら尋ねた 「あのねボクいい子だった」 「いい子、世界一のいい子」 「ほんとに、世界一だった」 「本当、リルは私の世界一だよ」 私の泪はとまることをしなかった 「ごめんね病院のお金いっぱいかかったでしょ」 「お金なんかいいの、私は、私は、リルが助かるなら私が死んでもかまわなかった」 「ごめんね、ボクがんばれなかったんだ」 「あやまらないで、私はリルがいたから仕合わせだった、リルからたくさん仕合わせをもらった、だからあやまらないで」 「ボクね、香織ちゃんと暮らせてすごく仕合わせだったんだ」 「私もリルがいたから仕合わせだった」 「でもねボクは体が丈夫じゃなかったから、あんなに病院のお薬代もかかったのにがんばれなかったのごめんね」 「もう、もういいそんなこと。だからこのままどこへも行かないで」 「香織ちゃんも、もう泣かないで。笑顔の香織ちゃんが大好きだった」 「大好きだったなんて言わないで、これからもずっと笑顔でいるからもうどこへも行かないで」 「香織ちゃんが泣いているとボクも悲しくなっちゃうんだ」 もうとめようとも思わない泪はとめどなく流れ落ちた 「ボクも、香織ちゃんがいなくてすごく寂しいけどがまんするんだ。いい子でしょ」 「いい子じゃない、どこかへ行ってしまうリルはいい子じゃない」 「ごめんね、仕方がないんだ」 リルはするりと腕の中から飛び降りた 「もう行かなきゃ」 「嫌、行っちゃだめ。チュールもお魚もいっぱいあげる、だから」 「あの日、桜の神様と約束したの。一度だけ香織ちゃんに会いに行ってもいいよって。ちょうど虹の橋で桜の神様と会ったんだ」 ちょうどリルは桜が満開になろうかというあたりに天へ昇った 「いつまでも香織ちゃんが泣いてちゃボク心配で困っちゃう。次もきっと香織ちゃんと出会えると思うんだ。だからもう泣かないで」 リルは駆けだした 「待ってお願いだから」 リルは立ち止まり顔だけ振り向くと 「香織ちゃん本当にありがとう。ボクは世界一仕合わせだったよ。絶対また会おうね。もう行くよ」 そう言い残すとリルは走り出した振り返ることもせず 「リル、リル」 残された私はあとを追うこともできず立ち尽くしずっと手の中にある桜の花びらを握りしめた 「あの、どこかお工合が悪いのかしら、大丈夫」 声をかけられ目を開くと見知らぬおばあさんが心配そうに私の顔を見つめていた。 幻か 短い夢だったのか 「ごめんなさい。大丈夫です」 桜の花びらを握った手を開いてみた 茶色いリルの毛が手の中に遺されていた 夢じゃなかったんだ またその茶色いリルの毛を握りしめようとした瞬間、とても強い風が吹き抜けた 散りかけた桜がまるで吹雪のように舞った リルの茶色い毛も一緒に巻き上げながら ありがとうリル きっとまた会えるよね
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