仕合わせになれる本を売る本屋

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仕合わせになれる本を売る本屋

「はい、ございますよ」 そしてこれが最後の一冊だと渡されたその本には表題すら記されていない文庫本のような本 私はさっそくその本の頁をめくった 何も書いていない どこまで頁をめくろうとも何も書かれていない 全てが白紙 「あの、これは」 丸い眼鏡が特徴的な少し背が高く痩せたその店員さんは笑顔で答えた 「仕合わせになれる本をお探しでしたよね」 たしかに私は仕合わせになれる本が欲しいと言った 「でもこれは何も書いていないじゃありませんか」 青いエプロンと丸い眼鏡の背高のっぽのまるでステレオタイプな彼はニコニコしている 「これじゃあまるで雑記帳のようです」 「はい、さようでござます」 呆気にとられる間もなく彼は続けた 「お客様あなたの思われる仕合わせとはどんなことでらっしやいますか」 私が思う仕合わせ 私が望む仕合わせ 果たしてそれは自分自身まるで見当がつかない 不意に問われたからというだけではない 私はただ漠然と仕合わせになりたい いつもただ口癖のようにそう言ってはいたものの果たしてその私の言う仕合わせとはなんなのだろう 裕福な暮らしだろうか 温かな家庭をもつことだろうか 欲したもの全てを手中におさめることだろうか 私にはやはりその仕合わせの見当がつかない だのに私は毎日毎日苦しげに仕合わせになりたいと繰り返してきた 「お客様どうなさいますか最初に申し上げましたが最後の一冊ですが」 「これはどのように」 その背高のっぽの丸眼鏡はくるりと私に背を向けた 「みなさん仕合わせは人の数だけごさいます何が仕合わせで何が不仕合せかはじつは誰にも分からないものなのです」 たしかに言われてみればたしかに相違ない だがしかしこの全て白紙の本は一体 「仕合わせはあなたご自身がそこにひとつずつ書けばよいのです小さな小さな仕合わせをひとつひとつ書けばよいのです大袈裟な仕合わせなど必要ないのです道端で目にした花に心癒されたというならそう書くといいのです暮れかかる空に沈む夕陽が美しく心が洗われるようであったならそう書けばよいのです」 私はやはり欲深く何か大きな仕合わせを望んでいたのかもしれない 「辛い事も多ございますが小さな仕合わせはじつは身の回りにたくさんあるのではないでしょうか」
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