その花言葉は復讐

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その花言葉は復讐

離婚をしてからのこの十年あまりというのは、私はとにかく無一文で追い出されゼロからのスタートの生活に追われ恋愛だの再婚だのということにはずっと無頓着であった。 それが五十も過ぎた最近になって、何か寂しいような侘しいような気に駆られふと誰かと恋愛をし再婚できるならばしたいと思い始めた。 しかし、鏡をつくづく見ればそこには、もう化粧などでは誤魔化しきれぬ初老の、そう老婆のような自分の顔に気づく。食事も適当に炭水化物ばかりとったせいか離婚当時より20kgも肥えていた。こんな醜い女が恋愛なんて、そう思うとやはり一生このままひとりでいるしかないのかと諦めが頭をよぎる。 何より体を悪くしあまり無理な仕事ができなくなり収入が減った。そして前夫がいつも言っていた 「足りなければ借りたらいい」 そんな言葉を思い出し高利貸しにまで手をだしてしまったのだ。 毎月の家賃と高利貸しの返済で生活費もままならず職場の親しい人から毎月借りては返すの繰り返し。ほとほと疲れたのだ。本音を言ってしまえば、男の人のところに転がりこんでせめて家賃分だけでもなくなってくれたら借金も減るのに。 生まれて初めて不純な動機で恋愛をしようと思ったのだ。だが、この容姿と年齢。どうなるはずもない。高利貸しの恥ずかしい話しついでにしてしまえば歯医者に通うお金すらなく歯もボロボロでとても人前で口も開けない有り様だ。せめてもの救いは流行感染症のおかげで365日どこへ行くにもマスク着用が義務づけられた今はこのボロボロに悪くなった歯を隠すのだけは幸いであった。そんな様で恋愛だなんて可笑しいでしょう。 ああ、これから私はどうなってしまうのだろうか。どうやって生きてゆくのか。自分自身まるで見当がつかぬのです。 誰かに救いを求めたい。しかしそんな相手は誰もいない。気づけば家族を失い友達と呼べる友達すらいない。複雑な家庭で育ち親とも疎遠。八方塞がりの人生。これが人間らしい暮らしと呼べるのか。何度も自問自答してみたのです。もう私の暮らしは、いえ人生は破綻しているのです。 まだ若い頃であれば、大変に差し障りのあることではありますが体を売ってどうにかしようと思えばできないこともなかったのですが、今のこの内も外も醜態を晒した初老の女に何ができましょう。 だからといって前夫に未練もなければ恨みつらみなどありません。むしろ別れたことは清々しているのです。 ただ、今はこの先もう生きてゆけない気がして精神安定剤の服薬量と借入金ばかりが増える一方だのです。 きっと死んでしまった方がよいのです。私のような何もかもが醜い女など死んだ方がよいのです。 泣き腫らした目を見開くとそこには袈裟を着た老人が杖をついて立っていた。 「本当にもう無理なのですか」 老人の声は優しかった。 「はい」 私は一言そう返すことしかできなかった。突然現れた老人。袈裟を着て。きっとあの世からのお迎えに違いない。 いずれ人は死ぬのだ遅かれ早かれ。それが今だというだけなのだ。これ以上苦しまずに済むのだ。私はそう思った。 「いえ、あなたはあの世ではもっと、もっと苦しみますよ」 その残酷な言葉すら優しく温かみのある声で老人は言った。心の中を全て見抜かれているのだ。やはりこの世のものではないのだ。 「左様。私はあの世から参ったのです」 しかしあの世でもさらに苦しむとはどうしたものか。 「罪をおかしたことのない人間など誰もおりません。みな地獄へ参らねばなりません。それでもこの世に未練はありませんのか」 なんだか急に悔しく思えた。そして私を無一文で家から追い出したあの男をはじめて憎み恨んだ。なぜ私がこんな辛い目に遭わなければならないのだ。思い知らせてやる。 そう思った途端、袈裟と杖の老人は目の前から煙のように消えてしまった。 我に返り辺りを見回した。 辺り一面をシロツメクサが覆っていた。 私は鞄に包丁を忍ばせボロボロの自転車でシロツメクサを掻き分けあの男の元へむかった。 かつてはあの男と私と一人息子が楽しく暮らしていたあの家へ。 新しい女と楽しく暮らしているであろうあの男の元へ。 堕ちるなら堕ちるところまで。 そして地獄へ堕ちるだけ。 シロツメクサの懐かしい香が漂っていた
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