夕凪

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夕凪

どうして今、言うかな」 ああ、正にこれを青天の霹靂というのだろうか。僕はなぜか他人事のようにそう思った。実際、別れを切り出すタイミングをお互いに見計らい過ごしてきたのではないのか。 空は青く晴れ渡り雲ひとつない昼下がりに僕は別れを決めた。別れに演出など要らぬ。互いに主役の僕たちが、それぞれに舞台を降りて幕がさがる。それだけのことだ。 どうして女というものはその演出じみた芝居に拘るのだろうか。 さも君は、傘も役に立たぬ激しい雨風の晩にでも言ってほしかったと言わんばかりのように思えるのだ。 何が悪かったのだろうか。どちらが悪かったのだろうか。僕は、少なくとも僕はそんなことは考えもしない。きっと出会った日からそもそもの間違いであったのかもしれない。いや、それでは元も子もない。僕にも君にも失礼だろう。楽しい日々もあったではないか。思い出もたくさんあるではないか。 体が近づくほどに心は逆に離れたのか。それが男と女というものか。体の関係と金が介在すると男と女は駄目になる。なんとなくそう思えた。それは僕がまたひとつ大人になったのかもしれない。君もそうだろう。 存外、君も無表情に別れを受け入れたようで何も言わず夕凪の水面を眺めているだけではないか。 甘い日々のあとの苦い日々。まるで不養生のあと体を悪くし苦い薬を飲まされるようなものが恋愛なのか。何十年も連れ添った夫婦などは逃れられぬ惰性の中で苦い日々を送っているのだろうか。 もう何も話す言葉もなく時間だけが過ぎ僕も沈みかけた太陽がぎらぎら反射する海を見ながらそんなことばかり考えていた。 君のことなどひとつも思っていなかった。こんな別れの大場面だというのにだ。僕はよくない人間なのだきっと。 君はどうなのだろう。美化した思い出の頁をめくっているのか。それとも肩の荷でもおりたくらいに思っているのか。 人の心の中までは誰も見ることはできないのだ。だから僕はいたって心苦しいふりをして真面目な顔はしていたが、まるきり君とは無関係なことばかりが頭の中を巡っていた。なるべく横にいる君が視線に入らぬように。まっすぐ岸壁から海を見つめていた。 どぶん、と激しい水音に我にかえると横にいたはずの君がいなくなっていた
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