両片想い

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☆∮。・。・★。・。☆・∮。・★・。  石川さんが出て行った瞬間、鉄平はがっくりとうな垂れながら、ものすごく小さな声で呟く。 「石川にアレを見られてたなんて、しくじった……。今後一切、会社で壮馬に手を出しちゃいけないな」 「ここでしたキスもそうだけど、給湯室のキスも珍しかったもんね。いつもは、うまくあしらって終了なのに」  悔しそうな顔で長机をバシバシ叩きまくる恋人に向かって、宥めるように話しかけた。それなのに、まったく効力がなかったらしい。ムスッとしたまま、俺の頬をぐりぐりする。八つ当たりもほどほどにしてほしい。 「坊ちゃんが全部悪いんだ。もっとしっかりしてくれたら、俺がこんなに苦労せずに済むんだぞ」  ずっと長机を叩いて気が済んだのか、最後に大きな音を立てるようにグーで殴り、じろっと俺を睨む。 「え~、俺ってばしっかりしてると思う。社内にいる問題児をこの手で成敗した上に、悪さができないようにコントロールもバッチリやってのけたでしょ?」 (俺としては鉄平に、そんなに苦労させてるつもりはないのにな) 「……おまえ、石川が悪さをしていたという相談、いつの間に受けたんだ?」 「受けてないよ、あれはハッタリをかましただけ」  舌を出して肩を竦めたら、眉間に皺を寄せて不快感をあらわにした。 「うわぁ、危ない橋を渡りやがった。どんな神経してるんだ」 「ついこの間入社したばかりの新人相手に、男に襲われたなんていう相談を、わざわざしないと思うけど」 「坊ちゃんはただの新人じゃない、社長の息子だろ。というかあのとき石川に論破されたら、どうするつもりだったんだ?」  額に手を当ててうんうん唸る鉄平に、へらっと笑ってみせた。 「別に。なるようになるかなぁと」 「まったく……。考えもなしにそうやって突っ込んでいくから、目が離せないんだ」  もしや俺が良かれと思ってやってることが、鉄平の苦労の種だったりするのか!? 「俺としては昔も今も、鉄平の視線をひとりじめしたいだけなんだよ」 「これ以上の我儘を言うな、さっさと戻るぞ。石川が戻ってるのに、俺たちが戻らないんじゃ示しがつかない」  少しでも甘い雰囲気にもっていくべく、会話をそんな感じにしたというのに、ひとりでやってろと言わんばかりの冷たい態度を、思いっきりとられてしまった。 「鉄平ってば、せっかくふたりきりになれたのに。ちょっとくらい」 「順調にいけばおまえは、次期社長の御身なんだぞ。しっかりするのは当然だろ。あと名前呼びはするな」 「チェッ。課長、あのさ!」  苛立ちまかせに会議室の扉を大きく開け放った背中に、食らいつくように話しかけたら、仕方なさそうに立ち止まる。 「なんだ?」 「ホテルで俺が怒らせちゃったあの夜、眠る直前に、何かをぶつぶつ言ってたよなぁって。ものすごく小さな声で、俺に聞こえないように呟いてた」 「……覚えてない」  振り向く様子もなく、その場に立ち続けて話を聞く鉄平の気を、どうしても惹きたかった。 「今みたいに背中を向けたままの課長を見て、俺は仕方なく寝たフリしたんだ。イビキまでつける演技つきの」 「それがどうした」 「しばらくして、小さいため息をついた課長が、何かの和歌を詠んだのを聞いた。忘れないように、何とか覚えた。一部分だけど」 「記憶にない。坊ちゃんが寝ぼけていたんだろ」  チラッと顔だけで振り向いた鉄平は、どこか焦った感じに見えなくもない。 「確か『思ふには 忍ぶることぞ負けにける』だと記憶してるんだけど? 石川さんのときみたくスマホが手元にあれば、全部録音できたのにさ」  眉間に人差し指を当てながら、ずばっと核心に切り込んだ瞬間に、鉄平の頬が赤く染まった。 「くそっ、まいったな。普段のおまえは、記憶力があまりよくないはずなのに」 「実のことを言うと前半のところをかいつまんで、うろ覚えしていただけ。次の日に検索かけたら、伊勢物語の和歌がヒットした」 「あっそ。坊ちゃんとしては、ひとつ利口になったんだな」  無愛想な口ぶりで告げるなり赤ら顔を隠すように、さっさと歩きだす。その動きを止めなきゃと、左腕を慌てて掴んだ。一瞬で縮まる距離に、胸が痛いくらいに高鳴る。 (ここは会社の廊下なのに、キスしたくて堪らない――)  そんな想いを込めながら、噛みしめるように言葉を発する。 「思ふには 忍ぶることぞ負けにける 逢ふにしかへば さもあらばあれ 俺もその気持ちに応えたいと思った。だから、もっともっと強くならなきゃいけないって。愛しい貴方を守るために」  貴方を恋しいと想う気持ちには 我慢しようとしても負けて逢ってしまう。逢えるのならば この身がどうなってもかまわない。  俺は意味を理解する前に、告げられた和歌を必死になって覚えた。鉄平の気持ちが込められたものだと、本能で嗅ぎとった。 「壮馬……」  珍しく俺の名前を呼ぶ鉄平の顔は赤いままで、困惑とは違う種類の表情を浮かべていた。 「抱き合うだけじゃなく、好きだと愛の告白をするだけじゃなく、あんなふうに自分の気持ちを伝える術を知ってる、先生の傍にずっといたい」  あえて先生という言葉を使った。それを聞いた恋人は、瞳をちょっとだけ開いて、ふっと息を飲む。だけど気持ちの切り替えをさっさとしたのか、頭を振るなり、いつもの上司の顔に戻した。 「しょうがないな、まったく」  鉄平の腕を掴んでいる手が無理やり外され、やがてそれはあたたかいものに包まれた。  恋人つなぎしている手と柔らかい笑みを浮かべた顔を、思わず交互に見てしまう俺は、もしかして馬鹿だろうか。だってここは会社の廊下で誰かに見られたら、奇異な目で見られること間違いなしの行為なのに。 「無鉄砲で、考えもなしに行動するおまえの傍にいなきゃ、心臓がいくつあっても足りないだろ。頼むから俺の目の届く範囲内で、危ないことをしろ」 「上司命令だもんな、言うことをちゃんと聞く」  引っ張られながら弾んだ声で答えると、恋人つなぎされた手がぎゅっと握りしめられ、次の瞬間には鉄平の前へと放り出されてしまった。 「だったらサボった分だけ、とっとと仕事をしろ」 「はーい」  放り出された勢いよろしく、部署の扉を開けかけたそのとき。 「早く仕事を終えたら、ご褒美が待ってるかもしれない」  ぽつりと告げられたセリフで、みるみるうちにやる気がみなぎってきた。 「坊ちゃん、ちなみにさっきのは上司命令じゃなくて、恋人からの命令だからな。肝に銘じろよ」  握っていたはずだった主導権が、鉄平の小さな呟きで強引に奪われてしまう現状は、俺としては正直おもしろくない。だけどこうしてるのが、居心地の良さを一番感じられる。  きっとそれは俺だけじゃなく、鉄平も同じ気持ちでいると思う。だってふたりそろって、好きという想いでつながっているのだから。 「白鷺課長、自分なりに仕事を早く終わらせますので、ご褒美をいただけませんか?」  扉の前でおねだりした、俺の脇を通り過ぎながら、ドアノブに触れている手に、鉄平の手が重ねられた。さりげない接触の中で、鉄平のてのひらの感触を忘れないように、肌が感じようとして熱を追いかける。 「今のがご褒美だ」 「えっ?」 「冗談だよ。ご褒美は、坊ちゃん次第ということで」  俺に触れた手を見せつけるように、ひらひらと振りながら自分のデスクに戻る恋人を、複雑な心境で眺めた。自分が次期社長の座についても、鉄平にうまいこと言いくるめられて、頭が上がらない気が激しくする。それでも――。 「頑張りますよ、白鷺課長のために」  両想いを持続させる努力を心の中で誓いながら、部署の扉を閉めたのだった。  おしまい
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