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未だにじんじん痛む下半身を抱えながら、白い目で見下ろす視線を無表情で受け続けた。ここで少しでも笑ったりしたら、自らを絶体絶命に追い込むことになるのが、容易に想像できる。
「石川さんがトイレに行って、部署には不在。俺たちが出て行ってすぐなのに時間がかかりすぎだと考えた鉄平は、一応トイレをチェックしてから、ここに来てくれたんだろうなぁ」
「その通りだ。それで、石川を貶める方法ってなんだよ?」
「俺がここに入ったすぐに、石川さんはあっちの扉からコッソリ入ってきた。理由は知らない。そして俺たちがイチャイチャしてるのを眺めて、鉄平が出て行ったタイミングで声をかけられた。これは何かあると咄嗟に思って、スマホに入ってるボイスレコーダーを起動させたというわけ」
「なるほど。それを警察に持って行けば、石川の犯罪を立証できてしまうもんな」
「待ってくれ! 犯罪っていったい」
話の腰を折る感じでふたりの会話に割り込み、慌てて立ち上がった。
「石川、今は男同士でも、わいせつ罪が適用される。覚悟するんだな」
白鷺課長の心の芯まで凍る冷たい言い方に、躰が勝手に震えだす。
「で、でもまだ…手は出してな、い。本当、に」
たどたどしく言いながら、社長の息子を見た。
「石川さんあのとき、自分が何を言ったのか覚えてます? 俺ってばあれだけで、メンタルがズタボロに傷ついちゃいました。病院に行って診断書が出れば、未遂でも傷害罪が適用されたりするかもしれませんね」
「とはいえ、あの状況でまったく抵抗しない壮馬も、どうかと思うけどな」
はーっと深いため息をつきながら、胸の前で腕を組む白鷺課長に、社長の息子は目の前で、右手人差し指を横に振った。
「ちっちっち、鉄平はネコだからわからないか。抵抗されたらされた分だけ、無理強いしたくなるって。ねぇ石川さん!」
縋るように見つめる俺の視線を、社長の息子は嫌な感じに瞳を細めながら受ける。してやったりなその雰囲気に飲まれて、背筋がぞくっとした。
「桜井くん、もしかしてそのことを計算していて、あのときわざと怯えていたのか!?」
(――顔色を青ざめさせるなんて演技を、どうやってしたというんだ……)
「俺も石川さんと同じ、ヤっちゃう側の男だからわかるんだよなぁ『こんなところでシたくない』とか何とか鉄平に言われたら、余計に燃えて手を出したくなるのは必然なんだよ」
「そんなことで燃えるな、馬鹿……」
呆れた感じで気持ちを言葉にした白鷺課長に、社長の息子は肩を竦めながら首を横に振る。
「つまりあのとき俺が抵抗していたら、もっと酷いことをされているであろう恋人の姿を、鉄平が目撃することになるんだって。無傷で済んでよかった」
柔らかく微笑んで、ねぎらうように俺の肩を叩く社長の息子に向かって、重たい口を開く。
「……自首すればいいのか?」
「自首も何も俺は無傷だったんだし、別に行く必要ないと思うけど」
あっけらかんとした声で答えられたせいで、二の句が継げられない。
「待てよ。俺としてはこのまま、石川を見過ごすのは危険だと思う。二度としないようなペナルティを、コイツに与えたほうがいい」
白鷺課長の告げた『ペナルティ』という重い言葉が、心の中でずしんと足枷になった。
「わる…悪かった。こんなことはもう二度としない。信じてくれ!!」
今更感が拭えなかったが、しっかりと頭を下げて謝罪の言葉を告げた。
「石川さんのその言葉、信じられるわけがないですよ。他にも、被害者がいることがわかっているんです」
(――コイツ、俺のしてきたことを知っていたから、用意周到に行動していたのか)
「壮馬、それは本当なのか?」
上目遣いで様子を窺うと、白鷺課長が信じられないというまなざしで、代わるがわる俺と社長の息子を眺めながら訊ねる。
「誰とは言いませんけど、相談を受けたのは事実です。石川さんとしては、それが誰なのかがわからないでしょうね。たくさんの新人に、手をかけていたのだから」
「くっ……」
下げた頭を上げられないまま、下唇を噛みしめた。
「男が男に襲われる。そんなことが現実で起こるはずがないというのを、やった結果がコレですよ。相手が訴えないのをいいことに、今までおいしい思いをしてきたみたいですけど、これまでです」
「桜井くんに手を出した時点で、ジ・エンドだったってことか」
吐き捨てるように告げるなり勢いよく頭を上げると、忌々しそうに俺を見る白鷺課長とは対照的に、社長の息子はさっきよりも朗らかに笑っていた。
眩しすぎる微笑みを目の当たりにして、嫌な予感が頭の中をぶわっとよぎる。
「安心してください。石川さんにはこれまで通り、ここで働いてもらいます」
「は?」
「俺と白鷺課長のために、身を粉にして働いてください」
告げられた言葉の意味がわからず、アホ面丸出しにしているであろう俺を見、渋い表情の白鷺課長が口を挟んだ。
「坊ちゃんそれは、俺たちの付き合いの裏工作的な何かを、石川にさせようと考えてる?」
「晴れて鉄平と両想いになったんだから、これからはもっと恋人らしいことをしながら、日々を満喫したいなぁと思ってさ」
「ふたりって、両想いじゃなかったのかよ!?」
疑問が思わず口から飛び出てしまい、慌てふためきながら口元を押さえた。
「石川さんの目には、俺たちが両想いに見えたんだ?」
困惑しっぱなしな俺に、社長の息子が興味津々な様子で訊ねる。
「あ、そのぅ…たまたま給湯室で、白鷺課長が桜井くんの頬にキスしてるのを――」
こっそり覗き見た手前、それを告げるにはかなりの勇気が必要だった。おどおどしつつキスをした張本人を見たら、ふいっと顔を背けられてしまった。
「あんな陳腐なキスだけで、石川さんは俺たちが両想いだと思ったんですか?」
「はあ、まぁ。白鷺課長の表情がですね、普段見られない感じのものだったですし、他の人と桜井くんに対する態度とかもあからさまに違うので、そうなのかなぁと思ったまでです」
「あーあ、残念。どんな顔してキスしてたんだろう。ねぇ鉄平」
「自分で自分の顔が見られないからな。わかるわけないだろ……」
「あのうそれで俺はおふたりに、何をすればいいのでしょうか?」
いたたまれない空気がそこはかとなく流れる中だったが、自分の役割を知るべく、恐々と質問を投げかけてみた。
「俺たちのアリバイ工作に、石川さんが関わってくれたらいいだけです。しょっちゅうふたりきりで逢ってばかりいたら、さすがにヤバいでしょ。そういうときに、協力よろしくってことで」
にんまり微笑みながら右手を差し出す社長の息子に、思いきって握手を交わした。
「わかりました。全面的に協力しますので、今までのことは穏便にお願いします」
「もちろん! 約束は守るので石川さんはこれ以上の悪いことを、社内でしないでくださいね」
ぐっさりと釘を刺された俺は、脱兎のごとく会議室をあとにした。
その後、社長の息子の下僕として散々こき使われ、ふたりの逢瀬の橋渡しをするはめになったのである。
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