診断されて

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ある日の長女。 日頃の運動不足を反省して、公園にウォーキングに出かけてみる。 近所の保育園の子供たちや小さなお子さんを連れたママたちがたくさんいる。 子供を幼稚園や学校に送り出したあとのママたちがお喋りをしている。 そして、高齢者。 ひとりで、ご夫婦で、お友達と。 歩いたり立ち話をしたり。 あと20年30年と経った時に自分はどこでどう過ごしているのだろうかと思う。 多少のガタはきていても、そこそこ健康に過ごしていられたら幸せだよね。 どうやって老い、どのように最期の時を迎えるのかなんて正直考えたくもないけれど、自分の前の世代の最期の時が少しだけ目の前に迫ってきたかと思うと、悲しいというよりはむしろ寂しい気持ちになった。 最近、エンディングノートが大切だとかよく言われ、葬儀をどうするとか、連絡して欲しい人は?とか、財産をどう分ける、など書くことを勧めている。 確かに大事なことだ。 だけど、 自分の亡くなった後のことよりも 最期に向かって自分がどのように生きたいのかを考えた方がいいんだろうな。 認知症と診断された父親。 まだ自分のことは自分で出来る段階ではあるけれど、彼の気持ちを聞くことは出来るだろうか。 もう、それは難しいかもしれない。
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