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 娘は、草履の脱げた足で、必死に走った。  かじかんだ足は、冷たいというよりは痛みの(かたまり)だ。  薄っぺらい、だらけの着物の裾は、雪がこびりついているせいで、ひどく重い。  振り返ると、激しく降る雪の合間をぬって、人買いの姿が近づいてくるのが見えた。  昨秋、この地方一帯を襲った大凶作以来、周辺の村々に若い娘を買いに来ている姿が、何度も目撃されている連中だ。  最初は眉を顰めて彼らを見ていた村人たちも、いつしか飢えに耐えかね、一時の金をもたらしてくれる彼らの姿を、まるで救い主でもあるかのような目で見るようになっていた。  娘を売ることが、もちろん嬉しいわけはない。  だが少なくとも、食べるものもなく、瘦せ細って死んでいくしかない村に居続けるより、生き伸びる可能性は格段に上がる。  もしくは、そうとでも思わないと、やっていられない。  娘も、それはわかっていたつもりだった。  このままでは、働き手になるにはまだ幼すぎる弟妹も、いつ口減らしされるかわからない。  だから、自分が売られた金で、彼らがこの辛い冬を越えることができるのなら、と、一度は納得したつもりだった。  それでも、人買いの姿が近づいてくる光景を見たとたん、たまらず、着の身着のまま、逃げ出してしまった。  当てもないまま、裏の山の急な斜面を登る。ずぅっと、ずぅっと行けば、隣の藩との境目にある大山脈にまで繋がる山だ。  雪に足を取られながら進んでいると、名前を呼ぶ両親の声が聞こえた。 「ゆふ(ゆう)や、ゆふ、どこにいるんだい…」  今にも消え入りそうなその声を聞いて、娘--ゆふ--は、はっとした。  このまま逃げたって、行く先など、どこにもない。  それどころか、金の当ての無くなった家族は、このまま飢えて死ぬしかなくなるだろう。  ゆふの目に、涙が浮かぶ。  このまま、ただ当てもなく雪山をさまよい、死んでしまうだけなら、自分はなんの役にも立つことはできない。  それなら、死んだつもりで人買いに従えば、少なくとも家族を当座養うことはできる。  そのほうが、ましというものだ。  今一度、そう心を決めて、引き返そうとした、その時だった。  ズズズズ……という、なにかを引きずるような音が、あたりに大きく響いた。  ゆふは思わず振り返る。  雪崩(なだれ)だ。  娘の名を呼ばわる声に誘発されでもしたのだろう。  そして、視界いっぱいに、山の上から押し寄せてくる雪の波が広がった。  押し倒され、もんどりうち、雪の中に埋まったままもみくちゃにされているうちに、ゆふの意識はやがて遠のいていった。
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