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mascara
何の為かもわからず、ただ毎日同じように
同じ道を歩いて学校に通った小学生の頃。
私は割と冷めた子供だったと思う。
友達もいたし、先生も優しかったし
何も不満に思うことはない。
それなのに学校に行くのは嫌いだった。
理由はと聞かれても特に思いつかないけれど
ただ少し疲れやすかったのかもしれない。
願わくばずっと家で本を読んでいたい、
そんな根暗な少女だった。
小学校高学年くらいになると自分という存在に
少しずつ違和感を覚えるようになった。
“私はみんなと何かが違う”
学校で友達の輪の中にいるときも
とにかくどこかへ逃げ出したくなった。
自分はここに居たらいけない気がした。
その違和感の正体が分からないままに気づけば
中学三年生になっていて、高校受験まで残り
一年もないというのに私は志望校も将来のことも
何も決まっていなかった。
成績もそれほど優秀でないし、夢もない。
もう、何もかもどうでもよかった。
周りの子達は行きたい高校を決めているのに
私だけが置いてかれている。
強いて言うなら誰も知らないところへ行きたい。
こんな田舎を抜け出して、遠いところへ。
もちろんそんなの無理だとわかっている。
周りを説得するほどの理由がないから。
県内の通える距離のどこか、の選択肢のなかから
適当に入れそうな高校を選ぶしかない。
行きたくもない塾に通って興味のない勉強をして。
そんなものに興味なんて無いのに
親達は口を開けば勉強や進学の話ばかり。
あぁ窮屈だなぁと一人部屋でため息をつく。
この小さくて生きにくい世界から逃げ出したい。
はやく大人になりたい。
大人になれば少しは生きやすくなるだろうか。
少し背伸びをしたくて、大人に近づきたくて、
私は15歳になる自分への誕生プレゼントに
人生初となる化粧品を買うことに決めた。
それが私にとって唯一心ときめくものだったから。
使い古した薄っぺらい財布を握りしめながら
ドラックストアの慣れない売り場の前で
まず何から買えばいいのかさえ分からなくて
それらの一つ一つを手にとってはまた置いて。
しばらく悩んだ末、私は“ナチュラル美マツゲ”
と謳われたマスカラを手にし、レジへ並んだ。
買ってしまった、と何故か少しの背徳感を
おぼえながら家に帰ると鏡の前でその蓋を開けた。
何故マスカラにしたのか、それは、
“他のものより簡単に出来そうだったから“
しかしその考えはすぐに誤算だと思い知らされる。
震える手で睫毛に塗ったそれは
ダマだらけで醜く、いつの間にか瞼に滲んだ。
悔しくて、とり憑かれたように
一緒に買った拭き取るメイク落としで
リセットしては、また塗って。
なんとかそれなりの形になるまでには
かなりの時間と集中力を費やしたが、
いつもより重たい瞬きの感覚は
充実感と達成感で心を満たしてくれた。
けれど、すぐにそれだけでは物足りなくなって、
今度はお母さんの化粧品のポーチの中から
内緒でビューラーを取り出し、見様見真似で
睫毛を少しカールさせてみた。
そうすると今度は目だけが異様に目立ってしまい
どうにかバランスを取るように次は眉毛を
ペンシルでなぞってみたりして試行錯誤しながら
ようやく初めてのメイクが完成した。
初めてにしては、割と上手くいった気がする。
もう少し、もう少し、と自分の姿を
アップデートしていく楽しさを覚え、
いつも一つ結びの髪の毛をおろしたり
服を着替えてみたりすれば
まるで違う自分になれたみたいで
少し恥ずかしかったけれど悪くはなかった。
せっかくだから、と上着を羽織り家を出て
少し暗くなってきた道を歩きながら
誰にも知っている人に会いませんようにって
思いながら、本当はなにかを期待してた。
私じゃない本当の私を誰かに見つけてほしかった。
家から歩いてすぐのコンビニへ着くと
店内をグルっと一周回り、何を買うか悩んだ後
珍しく、普段は選ばないような可愛らしい
イチゴのプリンがどうにも気になって
私はそれをレジへ持っていった。
結局、誰にも会うことはなかったけれど
知らない店員さんにレジをしてもらう事すら
なんだかソワソワしてしまう。
あまり前を見ないようにしていると
「これ、美味しいですよね。」
と、いきなり店員さんが私に話しかけた。
コンビニでそんな風に話しかけられるのは
初めてで驚いて顔をあげると
「あ…すみません、思わず、」
とお兄さんは申し訳無さそうに笑った。
戸惑った私は少しうわずった声で
「えっと、初めて、買うんです、」と
お金を出しながら辿々しく答えると、
「そうなんですね!期待してください!」
と嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔につられて私も笑ってしまい、
お礼を言ってプリンを手に取り歩きだすと
「あ、あの!お客様、すみません!」
と、お兄さんが後ろから私を呼び止めた。
何か忘れたかな?と振り向くと
さっきの柔らかい表情とはまるで違う
真剣な眼差しであまにりにも意外な言葉を放った。
彼のこの一言が、この先の私の運命を
変えることになるなんて、
そのときは思いもしなかった。
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